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第7話 カイという名前

 金曜日の夕方、大学終わりに陽介はファミレスに来ていた。目の前には、双子が座っている。二人とも通夜のように暗い顔をしている。 「話して」  メッセージを送っても返事がない二人に痺れを切らした陽介は、以前教えてもらった二人の自宅前で待ち伏せをした。仕事終わりの湊斗を捕まえて人質にし、渚沙を呼び出した。 「ずるいよ、陽介」 「なにも話さないお前らのほうがずるい」 「忘れてるなら、その方がいい」 「勝手に決めるな。なあ、湊斗」  隣でオロオロと成り行きを見守っている湊斗に視線を向けると、彼は観念したように口を開いた。隣で渚沙が、大きくため息をつく。 「カイちゃんと、会うって言ってた」 「湊斗!!」 「……事件の話聞くって」  渚沙が観念したように肩を落としたのと、湊斗が自分の両手で顔を覆ったのは同時だった。 「そうだよ、カイに会いに行ってたの」 『カイ』  鈍く痛む頭が、その言葉を聞いて、高速で回転する。 「カイ?」  自分の口から出た単語にまるで馴染みがなくて、陽介はもう一度同じ単語を繰り返す。カイ。それはどうやら人の名前らしかった。 「カイって誰? 事件ってなんのこと?」  養護施設で暮らしていた中に、そんな名前の子はいなかった。はずだ。  波の音が聞こえるあの場所で、陽介は渚沙と湊斗と、たまに入れ替わる数人の子供たちとでおだやかに暮らしていた。一人一人の顔と名前を、間違えるはずがない。  そして、内心少し、落胆した自分がいた。陽介が会いに行ったのが「カイ」なら、この間あの街で会った「うみ」とは別の人物ということになる。ほのかに感じていた運命とは別人ということになる。 「陽介、本気?」  渚沙が、信じられないという顔で陽介を見つめる。陽介の表情を見て、冗談ではないと悟ったのだろう。 「これも事故の影響かな、でも……」  渚沙が、独り言のように呟く。 「カイのことも、事件のことも覚えてないの?」  じわりと、脇の下にいやな汗をかく。ものすごく大切なことを、忘れているんじゃないか。  ああ、そういえば。渚沙と湊斗とは、海の近くの小さな施設で暮らしていた。それは幼少期から、小学校中学年くらいまでの記憶だ。  そしてそれは高校までを陽介が過ごした施設とは別のものだ。なにかのきっかけがあって、二人とは別の施設で暮らすようになった。  一体、それはなんだった? 「俺が忘れたのは半年間だけだ」  猛烈な焦燥感が陽介の中を駆け巡る。忘れている、大切なこと。大切かも知れなかったこと。目の前の二人の顔がぐにゃりと歪んだ。 「俺たちは、三人だったよな、あの小さな家で」  ずきりとこめかみに、刺すような痛みが走る。そこから頭蓋骨を無理やりこじ開けて、封じ込めたなにかを取り出そうとしているみたいだった。  だれかが、なにかが、必死に開かれるのを拒んでいるせいで、頭の痛みはあっという間に大きくなって、脈打つ鼓動ですら痛みを引き起こす。 「そうだって言ってくれよ」  二人は、すぐには何も答えなかった。  目眩がする。目の前がちかちかと明滅する。心臓の音がうるさい。そしてゆっくりと、ためらうように渚沙が首を振った。 「私たちはね、四人だったよ」  湊斗が続ける。 「僕と、渚沙と、陽ちゃんと、カイちゃん」  頭が痛い。陽介自身が自分の頭の中をこじ開けようとしている側なのか、抵抗している側なのか、わからない。そのどちらでもあるような気もした。  結局その日は頭痛のせいでろくに会話が出来ず、二人とはそこで別れた。 *  *  *  その夜、夢を見た。  夜をかたどるように、光の粒がはじけて、消える。火薬の残り香が夏のしめったにおいと混じり合って、鼻腔の奥をくすぐる。一瞬の歓声、傘に落ちる雨のようなパラパラとした音、そして、訪れる前よりも濃くなる静寂と暗闇。  空を滑り落ちるように消えていく色とりどりのひかりが、打ち上げられた花火の残光だと気づいたのは、鏡のように暗い海の上に消えてからだった。いくつもいくつも、打ち上げられては消えていく。色のついた流れ星のようだ。  刹那と刹那の間に、子供の笑い声が混じる。きっと届くと信じて伸ばした指先に応えるように、水面に映った尾花の残滓が、落ちてくる空に向かって手を伸ばした、ように見えた。 「あ」  一瞬だった。空から溢れた火花の一つが、目の前に落ちて、弾けた。その瞬間、目の前が赤く染まる。ごうという風音が鼓膜を揺らして、目の前の夜が一気に昼で塗り替えられたように錯覚するほど明るくなった。歓声は悲鳴に、希望は絶望に。  色のついた星の代わりに、炭になった瓦礫が降ってくる。知らない場所だった。けれどそれはひどく懐かしく、優しいところのはずだった。 「まって、いかないで」  隣に座っていた、誰かの背中が遠ざかる。立ち上がる自分の身体を押さえつけるように、なにか、ものすごく大きくて熱いものが、自分の身体を覆った。炎だ、と思った。自分の四肢の感覚の境界線すらあいまいなのに、それだけはわかった。 「───、おねがい、ひとりにしないで」  喉の奥が熱い。痛い。全身が、焼ける。言葉を発しても、それは声にはならなくて、ただ静かに燃えて、落ちて、消えた。 ***  肋骨の焼けるような痛みが、まどろみから陽介の意識を引き上げた。たった今呼吸の仕方を思い出したように、浅く短い息を繰り返す。心臓が嫌な音を立てて鼓動を繰り返している。汗で濡れたTシャツが肌に張り付いて、上半身にまとわりつくようだ。 「う……」  がばりとベッドから起き上がると軽い眩暈がした。疼くこめかみを押さえて、シャツを握りしめる。汗を吸ったせいで、それは体温を奪うほどに冷たくなっていた。  少しずつ、身体の感覚を思い出す。ぎゅうと握り込んだ指先が震えているのは、寒さのせいだけではない。  なにか、大切なものを思い出し損ねた。覚醒とともに薄れていく夢の記憶を拾い上げようとしたが、モヤを掴むように、するりと逃げていった。  窓の外は、すっかり暗くなっていた。時計を見ると、午前1時を過ぎたところだった。  その夜は、あまり眠れなかった。  

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