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第4話 退院の日

 検査を受け、食事を摂り、病室から窓の外を眺めるだけの一日を何回か繰り返すと、あっという間に、退院の日が来た。  私服に着替えながら、傷だらけの身体を見下ろす。古い傷痕に紛れて、今回の事故で受けた、まだ癒え切らない傷が残っている。  額のかすり傷はもうほとんどわからなくなっていたが、右腕には痛々しい青あざが残っていた。  肋骨のサポーターを少しキツめに巻き直すと、深呼吸をする。目覚めた初日に比べればだいぶマシになったが、まだ軋むように痛んだ。この痛みだけが、陽介にこれが現実だと知らしめてくれた。  つい先ほど、医師が言った言葉を思い出す。あのあと、さまざまな検査や経過観察を経て、陽介の容態についていくつかわかったことがあった。 『千波さんの場合、単純な記憶喪失ではないかもしれません』 『どういうことですか?』 『事故による脳の損傷だけでなく、心理的なストレスも関わっている可能性があります』 『はあ』 『解離性健忘と呼ばれます。脳が、思い出したくない記憶を封印してしまう、そんなイメージに近いでしょうか』  医師は、少し言葉を選んだ。 『逆行性健忘は、事故の前後の「期間」の記憶が失われます。しかし、解離性健忘は、特定の「人」や「場所」「出来事」の記憶が失われる』 『つまり?』 『半年分の記憶が失われているだけでなく、それ以前の記憶にも、思い出せないものがあるかもしれません』  陽介は、その言葉の意味を理解しようとした。『カイ』という陽介の知らない人物のこと。海の家で起きた『事件』のこと。そして、陽介が会っていた『誰か』について。  この半年間の記憶とそれらは、バイクの事故とは、関係のない出来事なのだろうか。『カイ』と『誰か』は同一人物なのか。同一人物でもそうでなくても、彼もしくは彼らはきっと陽介の記憶にとって重要なピースに違いない。  結局あのあと、渚沙と湊斗にメッセージをしても『カイ』のことも『事件』のことも曖昧にはぐらかされて聞き出せなかった。そのことが余計に陽介をやきもきさせた。  記憶について考えようとすると、また頭が鈍く痛んで、唇を噛んだ。ここのところ、ずっとそうだ。少ない荷物をかき集めて、ショルダーバッグをかける。何も入っていないのにやけに重たい気がした。 ***  病院の駐車場に出ると、蓮がいた。  車のキーを指先で回しながら、何か鼻歌を歌っている。綺麗にセットされた今時の大学生らしい髪は、陽介の記憶にあるものと大差ないが、車の横に立っているだけで大人びて見えた。 「よう、蓮」  蓮の車には、ぴかぴかの初心者マークが貼られていた。先日メッセージの返信をした際に、車の免許を取り立てで運転したいと言うので、その言葉に甘えて迎えに来てもらったのだ。  陽介の姿を見つけると、こちらに向かって大きく手を振った。 「お勤め、ごくろーさん!」 「ありがと」  自然な流れで荷物を受け取ると、蓮はふざけて恭しくお辞儀をし、「どうぞ」と助手席のドアを開けた。それがおかしくて、思わず噴き出す。笑ったせいで、肋骨がきしりと傷んだ。 「いてて……」 「死にかけたくせに、意外と元気そうだな!」 「ばか、笑わせんな。あばらに響く」 「そういえば保証人の人、もう帰ったよ」 「え? ああ」 「たぶん施設の人かな? 会って行かないんですかって聞いたら『陽介くんももう子供じゃないから』って。ちょっとつめてーよな」 「まああの人たちは、仕事だから」  陽介が高校卒業まで過ごした養護施設は、家族というよりも合宿所という感じだった。幼い頃、海辺の小さな家で暮らしていた時とは、雰囲気が違う。 「よし、とりあえず陽介んちでいい?」 「うん、助かる」 「いいって。どうせ暇だし」  蓮は車に乗り込んでしばらくの間、好みのプレイリストが見つからないのかスマホを操作していたが、やっとのことで気にいるものを見つけたのか、それを置いてサイドブレーキを下ろした。  流行りのバンドの曲に合わせて、エンジン音が鳴る。 「車買ったんだな」 「親父のを借りたんだ」 「運転、意外とうまい」 「そりゃどーも。はぁー、俺の初ドライブ相手がヤローだなんて!」 「あ、カノジョできた?」 「出来てたらお前なんか迎えに来てないわ!」  いつもの蓮で、軽口だ、と陽介はほっと息を吐いた。そこで、自分がこれまで緊張していたことに気づいた。 「あのさ、蓮、俺半年前……」 「そういえば、二年の前期どうすんの?」 「前期?」 「復学の手続き。もうした? 履修登録そろそろ始まるよ」  陽介は思わず固まった。復学の対になる言葉を休学しか知らない。ああ、そんなことも忘れているのか。 「……俺、休学してたの?」 「え、覚えてない? やば、マジ記憶喪失だ! なんかテンション上がってきた!」 「ちゃかすなって」 「俺らもびっくりしたのよ。だって陽介前期は休んだりとか一切しなかったじゃん? 代返も頼まれたことなかったし」 「まあ、たしかに……」  陽介は給付型の奨学金で大学に通っている。成績が落ちれば打ち切られる。これは高校3年間、必死に勉強してやっと手に入れた権利だ。そう簡単に休学なんて、できるはずがないし、するわけがない。  それを手放してまで、何をしていたんだ?  そうせざるを得なかった事情が、あの半年に詰まっているということだろうか。自分のことが信用できない感覚ははじめてだ。 「一旦行き先、大学にしとく?」  明らかに顔色が悪くなった陽介を気遣うように、蓮はちらりと助手席側を見て、返事を待たずにウィンカーを出した。 「頼む」 「もちろん! ついでにどこか寄っときたいとこある?」 「あ、じゃあ、寄ってほしいとこがあって」

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