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第6話 海辺の街(1)

 その街は、想像していたよりもずっと殺風景だった。スマホに保存していた乗換案内の駅名を頼りに、電車を乗り継いで一時間半。  駅前はファミレスのチェーン店がぽつんと一軒あるだけで、閑散としている。  ここまで来るのに、一週間もかかってしまった。  あの海を見つけにいく、と覚悟を決めたものの、現実は思ったように身動きが取れなかった。晴れて大学二年の前期から復学した陽介を待っていたのは、履修登録、講義、そしてなにより遠慮なく向けられる周囲の好奇の視線だった。  陽介の記憶喪失は退屈な学生生活の一大ニュースとして瞬く間に広がった。新しい玩具を見つけたと言わんばかりの質問攻めにあい、しまいには別の学部の生徒まで様子を見にくる始末だ。  やっと自由な時間を手に入れられたのは、退院から一週間後のこの土曜日だった。  商店街を抜ければ海があるらしい。  けれど、手がかりは何もない。あの海への道筋も、『誰か』を探す方法も。  フィルムの写真を手に、歩き出す。この光景が、街のどこかと一致するかもしれない。自分の写っている写真を何枚も持ち歩いて眺めるのはさすがに恥ずかしいが、そうも言ってられない。  荷物を担ぎ直して、大きく深呼吸する。治りかけの肋骨がしくりと痛む。  鼻から吸い込んだ空気には、磯の匂いが混じっていて、ここが海の近くの街だということを実感させた。遠くの方から、船の汽笛やカモメの鳴き声も聞こえてくる。 「さて」  とりあえず、港の方面に向かってみる。駅前からだと商店街を通って直進するのがもっとも近そうだった。商店街の内部ではシャッターのほとんどが降ろされ、しんと静まり返っていた。  ここはまるで、ずっと眠っている街みたいだ。  30分ほど商店街の周辺を歩き回ったが、写真と一致する光景は見つからない。途方に暮れて立ち止まる。やっぱり、どこかで腰を落ち着けて作戦を練り直したほうがいいんじゃないか。  その時、前方に人影が見えた。 「あれ、陽介くん?」  聞きなれない声で自分の名前をよばれて、陽介は思わず顔を上げた。  その人影は片手をあげて、まるで知り合いに話しかけるような、親しみのある口調で陽介に語りかける。近づいてみると、『喫茶海猫』の看板が目に入った。喫茶店だろうか。陽介に語りかけた中年の男性は黒いエプロンをしている。  手のひらに、じっとりと汗をかく。 「あの」 「ほら、入って」  言葉が出ない。  手慣れた手つきで喫茶店のドアを開けて、彼は陽介を中に誘った。からんからんと小気味の良いベルが鳴る。  道端に立ち止まった途端うんともすんとも言わなくなった陽介に、彼は少しだけ不思議そうな顔をした。断る理由も見つからずに、導かれるように店内へ足を踏み入れた。  店内は全体的に薄暗い。小さな窓から差し込む柔らかな光で、かろうじて今が昼間だとわかるくらいだ。  コーヒーの匂いが染み付いたような空気が充満していた。昼過ぎだというのにいまだ開店準備中なのか、人は誰もおらず、一部のテーブル席の椅子も机の上に上げられている。  まだ、店がまどろみの中にいるような独特の雰囲気があった。  案内されたカウンター席から店内を見渡す。その隅にあるボックス席を見つけて、陽介は思わずあっと声をあげそうになった。間違いない。  あそこは、難しい顔をして本を読んでいる陽介を写した写真が撮られたところだ。特徴的な背景のモザイク模様のタイルが一致している。 「はいコーヒー、ブラックね」  かちゃん、とカップとソーサーが重なる音が静寂の中に響く。  黒い液体を一口含むと、まず舌の上に苦味を感じる。続いてかすかな甘みが広がる。美味しい。どこか懐かしいような味わいにふっと息を吐く。 「うみと仲直りした?」  動揺して持ち上げたカップを思わず取り落とすところだった。“うみ”が指すのが人の名前だと気づくのに、少し時間が必要だった。うみ。それだけだと、男性なのか女性なのかもわからない。 「あの、俺のこと、知ってますか?」 「知ってるも何も、よく来てたでしょ。うみとこの街に住んでたんだから」 「俺がですか?」  やっとのことで絞り出した言葉はひどく掠れていた。  陽介が会っていた『誰か』は『うみ』なのか? 湊斗が口にした『カイ』ではなく? しかも一緒に住んでいたのであれば、相当親しい間柄だったのではないか。だとすればあの写真を撮ったのは? 頭の中で、言葉にならない疑問が浮かんでは消えていく。 「えっと、陽介くん、だよね……?」  話の噛み合わなさに、マスターの表情に困惑の色が濃くなってきたところで、陽介はまくしたてるようにこれまでの経緯を話した。 「そっか……それは、なんというか」  陽介が話し切るのを待って、マスターが深いため息をつく。 「大変だったね。怪我は大丈夫?」 「はい、もう大丈夫です」 「そっか、よかった」  マスターはそこで一息ついて、それからまた口を開いた。けれどそれはすぐには言葉の形にならなくて、言うべきか言わないべきか迷っているようだった。 「そのバイク、元は僕のだったんだ」  マスターが、カウンター裏の壁を指差した。  そこに、青い中型バイクの写真が飾られている。色褪せたフィルムの風合いから少し古い写真なのかもしれない。 「悪いことしちゃったな」  謝るのはこっちのほうだ、と陽介は慌てて両手を顔の前で振った。 「すみません、あのバイク、いまもう修理できないぐらいぐちゃぐちゃで、その」 「いやいや、もともと廃車にしようと思ってたから気にしないで」  ため息のような呟きにも聞こえた。この人も何か、やむにやまれぬ事情を抱えているように見えた。マスターはじっと陽介を見つめると、今度は柔らかく微笑んだ。 「変わらないね、陽介くんは」  その言葉に、陽介はうまく答えることが出来なかった。この申し訳なさは、罪悪感のような感情に似ているかもしれない。 「あの、うみさん? って今どこに?」 「ああ、いや、そうだね。今日は午後から出勤なんだけど、この時間だと……あの場所にいるかも」  それから少し、この街のこと、マスターのことを聞いた。ケンゴ、と名乗ってくれた。  もっと聞きたいことはあった。けれど—— 「詳しくは、うみと話した方がいい」  ケンゴは紙ナプキンに簡単な地図を描いてくれた。うみがいるかもしれない場所。陽介はそれを丁寧に折りたたむと、上着のポケットに入れた。

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