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第33話 会いたい

 記事が出たのは、取材から一ヶ月後だった。  陽介がそれを手にしたのは、発売日の当日だった。生ぬるい夜の風に吹かれながら、コンビニで雑誌を買った。事前に原稿の内容は確認していたが、実際に形になっているものを見るのとは全然違う。  家に帰るまで、待てなくて公園に立ち寄った。夕暮れが過ぎたその場所には、薄い暗闇が広がっている。  電気の切れかけた街灯に羽虫が集まっていた。ベンチに腰掛け、その明かりを借りて、雑誌を開いた。  4ページにわたって記載があった。写真は一枚だけ、「元少年A」の現在の姿として、顔が分からないように首から下だけ載っている。  思わず、その写真に指先でふれた。海がほんの少し、遠いところに行ってしまったように思えた。  10年前に起きた児童養護施設の火災に触れ、事件を起こした「元少年A」の独白が記載されている。  柊は総じてうまく書いた、と思った。あの日の海の言葉を上手に掬って、ひとつひとつを丁寧に並べたような、そんな文章だった。無駄に扇情的でも悲観的でもなかったが、読む人を引き込む力があった。陽介が話した内容も、少し載っていた。  読み終わってすぐは、動けなかった。SNSで記事の反応を検索しようかとも思ったが、恐ろしくて出来なかった。自分たちはとんでもないことをしてしまったんじゃないかと、そんな思考が頭の奥をちらつき始めた時、スマホが鳴った。 「はい」 『千波さん、こんばんは。柊です』  電話越しに聞こえてきたのは、いつも通りの淡々とした女性の声だった。海は連絡手段を持っていないから、柊とのやりとりは陽介を挟んで行っていた。 「いま、ちょうど記事を読んでいたところです」 『そうですか』  沈黙があった。なにか感想を伝えようと思ったが、うまく言えなかった。ただ、「ありがとうございます」と消えそうな声で呟いた。それだけで十分柊には伝わったみたいだった。 『坂木ですが、教員を辞めました。奥様とも離婚されるそうです』 「はい」 『間宮さんにも伝えてもらえますか?』 「わかりました」 『あとは、世間が彼を裁きます』  膝の上に開いたままの雑誌を見る。活字が、先ほどとは違う角度を持って陽介を見上げていた。  どくりと心臓が重く鳴った。かつて海に向けられた矛先が、いまは全ての元凶に向き始めている。そのことに現実感がついてこなくて、そうですか、と絞り出した声は掠れていた。自分たちのしでかしたことの重さに潰されそうだった。 『千波さん。この記事のせいでなにかあなたの生活に不都合があったら連絡してください。間宮さんも。私からしたらあなた方はまだ守られるべき子供です』  陽介の声の硬さを聞き取ったのだろう、先ほどより少し柔らかく柊が言った。 「なんか、意外です。記者の人ってみんなそこまでしてくれるんですか?」 『どうでしょうね。やらない人もいますよ。ただ、私はそこまでが記者の仕事だと思ってますから』  それから少し言葉を交わして、電話を切った。指先はまだ冷たい。どこかで虫が鳴いている。風が吹いて雑誌が何ページかめくれた。占いの特集ページだった。そういう日常たちと海の過去が隣り合っている事実に、妙な気分になった。  本当にこれで全部終わるのかと思うと、身体から力が抜けてくる。  少し呼吸を整えてから喫茶海猫の番号に電話をかけた。今の時間なら、まだあと片付けをしているかもしれない。コール音が3回鳴って、ケンゴが出た。海に繋いでもらう間、どうやって話そうかと考えたが、うまい言い方は思いつかなかった。 『はい』  電話越しに、海の声がした。 「あ、海?」 『うん。オレオレ。陽介、元気? ご飯食べた?』 「まだ。記事、読んでたから」 『オレも、今読んでたところ』  まるで漫画の最新刊を読んでたとこ、みたいな言い方だった。海は気が抜けるほどいつも通りだった。電話越しに聞く海の声は、直接聞くのと少し違っていて新鮮だった。以前柊と掲載の内容について確認したときは隣にいたから、海に電話をかけたのは初めてだ、といまさら気づく。 「柊さんから電話あったよ」  柊から聞いた話を、そのまま伝えた。海はたまに相槌を打ちながら聞いていた。話しているうちに、少しずつ緊張がほぐれてくる。 『週末、先生の奥さんに会いに行こうと思ってる』 「うん」 『陽介に、一緒にいて欲しい』 「わかった」  短い沈黙があった。表情が見えないせいで、海が何を考えているのかわからないが、想像はできた。きっと、あの澄んだ青い目で、遠くの方を見つめている。そして小さく微笑んで、納得したようにあいまいに頷くのだろう。  そう思うと、胸の奥がきゅっと切なくなった。それを眺められないのが、もったいないような気がした。 「俺、いま、すごく海に会いたい」  こんなときなのに、思わず、口をついて出た。電話の向こう側で、海が微笑むような気配がした。 『オレも、同じこと思ってた』  顔が見えない分、その言葉の一つ一つを、大切にしたくなった。吐息の音すら、聞き逃したくない。海の発する言葉を全部受け取れると、本物より遠いのに、ずっと近いような気がしてくる。それでも実際に会っている時の温度とは、程遠い。  触れたい、と、強く思った。  電話を切った後の名残惜しさの中に、その思いがまだ取り残されていた。

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