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第34話 半分こ

 週末、陽介は海の街へ向かった。一時間半電車に揺られるのは久しぶりだったが、意外なほどあっという間に着いた。  梅雨が明けた後の空は白く濁っていて、潮の匂いが前に来た時よりも強く感じた。駅前で待ち合わせをして、並んで歩く。少しだけ高鳴っていた陽介の浮かれた心は、神妙な面持ちの海を見たらあっという間にどこかに行ってしまった。  坂木の妻——元妻の実家は、街から少し離れたところにあった。なんの変哲もない、普通の一軒家。インターフォンを押したのは海だった。  出てきた女性は想像よりも若かった。海と陽介の顔を見て、軽く会釈される。今日訪れることは、事前に海から連絡が行っていたらしい。ちなみに、これは記者として正しいことなのかわからないが、彼女たちの住所を海に伝えたのは柊だった。 「上がってください」  ここで大丈夫です、と言う海を押し切って、上がらせてもらう。外で話すと人目が気になると思った。  海と坂木の元妻が向き合って座る。陽介はそれを黙って見守っていた。 「ごめんなさい」  消え入りそうな声で発したのは、彼女の方が先だった。その声に、涙が滲んでいる。いまにも土下座し始めそうな勢いで頭を下げる身体は、どこか小さく見えた。 「知らなかったんです。知ってたら、あんな男だってわかってたら、私」 「オレ、謝ってほしいわけじゃなくて。あの、心配してるんです。オレもその、オレの事件でちょっとだけ有名になったりして大変だったから。あと、子供のことも」  女の気配に気圧されてか、海はしどろもどろになって、うまく話せないみたいだった。もともと順序立てて話をするのは上手くない。ちらりと助けを求めるように目配せをされて、陽介が口を開いた。 「あなたに謝らせるためにあの記事を出したわけじゃないです。あれは、俺たちが前に進むために必要なことだった。それに巻き込んで、申し訳ないと思ってます」  陽介の言葉をじっと受け止めたまま、彼女は何も言わなかった。 「坂木のこと、俺は今でも許せないです。海の人生を思ったら、こんなんじゃ生ぬるいと思ってます。でも、海は違う」  出来るだけ感情的にならないように声のトーンを落とす。 「海は、あなたのことと、あなたの子供のことを心配してます。……その」  女が顔を上げる。目元が、赤くなっている。ここから先、どう話せばいいかわからなかった。今度は、陽介が海の方に目配せする番だった。  海の方を見る途中で、ドアの辺りに、小さな子供の目が見えた。余計に話を切り出しづらくなって、口ごもる。 「タイキ、部屋にいなさいって言ったのに」  タイキ、と呼ばれた少年は、バツが悪そうに口を尖らせた。 「だって」 「タイキくん。初めまして」  陽介が何か言う前に、海が立ち上がって少年の側に寄る。 「オレね、お母さんとお話があるから、こっちのお兄ちゃんと待っててくれる?」 「うん」  そして目を見てゆっくりと話しかけた。  ああ、あの頃の海と同じだ、と、そう思った。みんなの先頭に立って、幼い子供たちに話しかけていた、陽介の淡い記憶の中と同じ海の背中がそこにある。 「いいよね? 陽介」  促されるままに、少年の手を取った。小さくて、柔らかくて、傷一つついていない、綺麗な手のひらだった。 ***  帰り道、海は黙って歩いていた。陽介も、隣を黙って歩く。先ほどより少し強くなった日差しが、二人を容赦なく照らした。 「あの子は、ね、大丈夫だって」 「そっか」 「間に合ったってことでいいんだよね」  無意識に手を開いて、握った。傷ついてもいないし、苦しんでもいない。指の間からあの子の人生が溢れ落ちなくて、良かった、と素直に思った。 「あのさ、海」 「うん」 「これでよかった?」  切り出したのは、陽介の方だった。 「良かったかどうかは、わかんないよ」  海は足を止めずに、少し下の方を向いた。つま先が、小石を蹴飛ばす。転がっていくそれの行き先を、ぼんやりと見た。 「少なくとも先生と、先生の奥さんと、あの子と、3人分の人生を変えたのはまちがいないし」  明日の天気でも話すみたいな気さくさだった。けれどそれは決して物事を重く捉えていないわけではない。海なりに今回の件を、抱えている。そう思った。 「全部一人で背負うのは、重たい」 「そう、だよな」 「だから陽介が、半分持ってね」  陽介は、虚を突かれたように立ち止まった。そんな陽介を振り返って「なに?」と海が笑う。海が、陽介に自分の抱えているものを、持って欲しいと言う。甘えられている、と頭ではわかるのに、咄嗟にその事実が頭に入ってこなかった。 「いや、びっくりして。海、ちょっと会わないうちに、雰囲気変わった気がする」 「陽介は、髪、伸びたね」  風が吹いて、海の毛先をさらっていく。それが、スローモーションみたいに見えた。  これはこの一ヶ月で、海なりに陽介とのこれからを考えてくれた結果だろうか。 「あの、海……」 「やっとこっち向いた。久しぶりに会えたのに、陽介ったら全然オレの顔見ないから」  言われて、今日初めて正面から海の顔を見たことに気づく。海の青い目の中に夏の太陽光が反射して、きらきらして見えた。 「会いたかった」 「うん」 「陽介は?」 「……会いたかった」  言葉を半分も言わないうちに、耐えかねたような勢いで、海が抱きついてくる。海のことを受け止めながら、その体温ごと抱きしめ返した。  触れ合った肌の間から、海の匂いがする。洗剤と汗の混じった匂い。心臓が、とくとくと小さな音を立てた。この一ヶ月間、ずっとこうしたくてたまらなかった。そんなことを思い出した。 「来月には、そっち行けると思う」 「待ってる」  不安なことは山のようにあって、それらは簡単に消えてくれるものじゃない。だけど今は、この体温のことを信じていたい。 「待ってて」  海の腕に力がこもるのを感じて、陽介も強く抱きしめ返した。

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