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第2話 すみません放っておけないんです

 帰宅ラッシュも終わり、駅に続く道は人通りが少なかった。  月の光で明るい道を歩きながら成瀬はポケットに手を入れスマホを探す。  あれ?カバンにも入ってない。会社か……。  もうかなりの距離を歩いてきてしまったが、スマホがないと不便だ。仕方なく来た道を戻ることにした。  オフィスの電気はすでに消えていたが、鍵はかかっていなかった。  高瀬がまだいるのだろうか。非常灯のみの薄暗い中、成瀬は自分のデスクへ向かう。スマホはちゃんとデスクの上にあった。  成瀬は安堵するが、同時にグルルと獣のような鳴き声が聞こえ背に粟立つ感覚がした。  ゆっくりと振り返ると、窓辺のソファーに蹲る人のシルエットが見える。 「主任?」  問いかけるも返事はない。よくよく見れば、人影ではあるが普段の高瀬とは違う形をしていた。頭に獣の耳があり、腰からは尻尾が生えている。  獣人だ、初めて見た。  主任が獣人……。  普段の高瀬からは想像できないほどに威圧感を放つその姿に、成瀬は多少の恐怖を感じ立ち尽くした。  満月だから早く帰れってこういうことか。  ようやく佐伯が言った言葉が理解できた。 「すいません、主任……すぐに帰ります」 「ゥ……グゥ……ウゥッ……」 「え……だ……大丈夫ですか……」  そそくさとオフィスを出ようとしたが、高瀬の苦しそうな声が聞こえて、思わずソファーに近付いた。 「来るなっ!!」  静かな暗いオフィスに、高瀬の大声が響き、そして静まり返った。  半獣化した姿は見られたくないものなのか。でも、息は荒いし冷や汗も出ているみたいだ。  成瀬は高瀬の声の衝撃に全身を固められてしまったが、苦しんでいるような姿は見過ごせないと一歩を踏み出す。 「大丈夫ですか、主任」 「来るな、来なくていい」  弱々しく、拒む言葉を続ける高瀬の隣まで来ると、ソファーの横にしゃがみ込んだ。  窓からは月光が降り注ぎ、ようやく高瀬の姿をしっかりと見る事ができた。  縞模様の丸い耳に、同じく縞模様の尻尾。浅い呼吸を繰り返す開いたままの口元には牙が見える。目は金色に光っていて、宝石のタイガーアイそのままだ。 「苦しいんですか。ゆっくり息をしてください。大丈夫ですから」 「さわ……るな……」  高瀬の拒否を無視して、成瀬は高瀬の丸くなっている広い背中に手を添えた。ゆっくりゆっくりと呼吸が落ち着くように撫でていく。 「大丈夫です。俺の手に合わせて息をしてください」 「息……ぅ……ふぅ……」  高瀬の浅かった息がゆっくり繰り返すようになったのを感じて、成瀬は高瀬の隣に腰掛け体を寄せた。  人の体温は落ち着くからな。  しばらく撫で続けていると、高瀬は成瀬の肩にもたれるように体を預けてきた。成瀬はそのままソファーの背もたれに埋まってしまう。 しかし、気持ちよさそうに目を瞑っている高瀬を退けることはできず、受け入れて目の前に来た虎の耳を観察した。  ふわふわの縞模様は少し垂れ下がっている。尻尾もだらんとソファーに垂れていて、大きな猫がリラックスしているように見えた。  満月がリラックスしている時にも似ているな。  これまた普段の高瀬からは想像できない姿に、成瀬がクスリと笑うと高瀬の目が開き金色の目に見上げられた。 「あ、すいません。少し落ち着きました?」  成瀬が問いかけると高瀬は首筋に頭を擦り付けてきて、金色の目を少し細めた。  高瀬の甘えるような目から視線が逸らせない。 「……んっ……」 「え……?」  何かが触れる感触。高瀬がペロリと成瀬の首筋を舐めたのだ。  その行動にも驚いたが、それ以上にジッと見つめてくる高瀬の虎の目が情欲に染まってきて、チラリと見える牙や熱い息に、喰われると本能に近い何かが警鐘を鳴らした。  ゴクリと成瀬は息を呑む。  月に雲がかかったのか、一瞬薄暗くなって高瀬の姿が見えなくなった。  成瀬が動けないでいると、高瀬はハッとした顔になり成瀬から飛び退いだ。 「悪い」  虎の耳と尻尾が下がり、成瀬の体を観察される。 「怪我はしていないか」 「え?」 「いや、痛むところが無ければいい」 「主任こそ、具合は……」 「……問題ない……」 「良かったです」  成瀬は単純にそう思って笑いかけたが、高瀬は不思議そうな顔をして、何かを考えているようだった。 「慣れているのか」 「何がですか」 「いや、いい。もう帰れ。まだ終電あるだろう」 「え……あ、そうですね……すみません、お先です」  家で待っている満月の為に終電を逃すわけにはいかない。成瀬は高瀬の姿を気にしつつも、足早にオフィスを出る。  普段夜の月を見上げれば、白いウサギを思い出すのだが、今日は金色の鋭い目を思い出し、ゾワゾワとした感覚が体を駆け巡った。

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