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第3話 ミス、ミス、ミス、そして憧れる
満月の夜の翌日。
高瀬の仕事について行きたいと成瀬は早めに出勤をした。昨日の作業の続きを終わらせて、皆が出勤してくるのを待つ。
「早く来すぎたな」
本来の出勤時間まで1時間はある。早起きの影響で眠くなり、あくびをしながら応接用のソファーに身を沈める。
そういえば、主任は昨日ちゃんと帰れたのかな。
半獣化した高瀬の様子を思い出して、何気なく自分の首筋に触れた。甘えるように擦り付きてきた姿も撫でていた背中の体温も思い出す。
満月のたびに、あんなに苦しんでいるのかな。
そう思いつつ、成瀬はまどろみ始めた。
「おい、起きろ」
「へ?」
声に目を開ければ、金髪ハーフの美形に顔を覗き込まれていた。
「始業時間だ」
「わっ、やべ。すいません!」
「いや、昨日遅かったからだろ。すまなかった」
高瀬の言葉に成瀬は思わず首筋を隠すように触ってしまい、慌てて何事もなかったように離した。
「え、あぁ、いえ。もう大丈夫ですか」
高瀬は成瀬の手の動きを目で追いながら声を落とす。
「……あぁ、問題ない」
高瀬はバツが悪そうに成瀬から目を逸らして立ち上がった。
「昨日の作業終わったみたいだが、今日の商談は連れていけない。新築展示会の方の準備を教わってくれ」
「え…………」
そんな、頑張ったのに。
「悪いな」
高瀬はそれだけ言うと、自分のデスクに戻って行った。
春の新築展示会。
モデルルームで行われるそれは、ファミリー向けの一大イベントだ。そこで新築を決める客も多く、盛大なお祭りのように人を呼び込むイベントである。
新人はそこで着ぐるみを着て子供相手に盛り上げるのが毎年恒例らしい。
「ナルは細身だからタックルとかされたら吹っ飛んでいきそうだよな」
「え、タックルされるんですか」
「ヤンチャなガキも多いんだよ。俺は逆に跳ね返してやってたけどな」
明るくあだ名で呼んでくるのは、大学時代にラグビーをやっていた一年先輩の三浦だ。
「こう見えて俺もバレーやってたんで、そんな生っちょろくは無いですよ。体力には自信があります」
「へぇ。まぁ確かに、ナルは身長高いよな。着ぐるみ着れるか?」
「え?」
「あー、これ175cmまでだって」
「178あります」
「まじか。まぁ、3cmくらいどうにかなんだろ」
三浦は成瀬の肩を叩きながら笑う。
「主任だったら絶対無理だったな」
「確かに。さすがにあそこまでモデル体型じゃないです」
高瀬の話になり、成瀬は多少緊張したが、三浦のノリに明るく返した。
新築展示会の準備は和やかに進み、まるで文化祭準備のように楽しかった。
ただ、満月の夜以降、高瀬は全く成瀬に絡まなくなった。忙しそうにオフィスに来てはすぐ外に出ることを繰り返していて、成瀬が話しかける隙もない。
避けられてるかな。
そんなことを思う成瀬を、高瀬は別室から視線だけで追っていた。
新築展示会の日、成瀬は現地直行で集合場所に来た。バラバラと集まり出す社員に指示を受けながら準備をしていく。
「あとノベルティな。成瀬が発注してくれてたやつ、こっちに運んでおいてくれ」
三浦に言われ、成瀬は届いているだろう段ボールを探しに行く。
しかし、どこを探しても無い。別の場所なのかと移動していると、三浦に声をかけられる。
「どうした?一人で運べなきゃ手伝うぞ?」
「いえ、ダンボールが見当たらなくて」
「え、お前ここに届けてもらうように指定したか?会社に届いてたりしないよな」
「あ…………」
成瀬がやりそうなミスだ。
「おいおい、確か会社には主任がいるはずだ。会社からこっちに来るって言ってたから。電話してみろ」
「はい。すみません」
成瀬はすぐにスマホを取り出して電話をかける。
数回のコールの後、高瀬が出た。
「はい。フロンティア不動産です」
「あ、主任。すいません、成瀬です」
「なんだ」
「あの、展示会の準備してるんですけど、ノベルティが無くて、俺、間違えて発注したかもしれなくて」
「……結論を言え」
高瀬の言葉に成瀬はハッとする。
結論、結論……。
「えっと、会社に段ボール届いてませんか」
「ノベルティのか」
「はい」
「無いな」
「え……そんな、注文したのに……」
「いつだ」
「え」
「注文したのはいつだ。メールを確認する」
「あぁ、先週です」
「お前、納品来月にしてるぞ」
「えっ!?」
成瀬は青ざめる。その様子を見て三浦が首を傾げ、悪い知らせだろうと察した。
「あ~、いい。とりあえず開場時間まで他の準備をしていろ。ノベルティはどうにかしてやる」
高瀬はそう言うと電話を切ってしまった。
「ノベルティ無かったのか」
「来月に注文してました」
「はぁ?!あ、で、主任は?」
「とりあえず準備しておけと」
高瀬の言葉を伝えると、三浦は成瀬の肩を叩き、まぁなんとかなるだろと言って受付の準備に取り掛かった。
なんとかなるのか?イベントのチラシにはデカデカとノベルティプレゼントって書いてあるのにそれ目当てに来る人も居るんじゃ無いのか?クレームになる先しか見えない。
成瀬はトボトボと三浦について行く。
「とりあえずナルは着ぐるみに着替えて来い。ノベルティひとつで文句言う客は契約しない。気にすんな」
「本当にすいません」
成瀬が着ぐるみに着替えて受付に出てきた時、ワッと声が上がった。
「ありがとうございます。主任。助かりました」
「去年の物だ。チラシのものと違うと言われると思うが、そこは逆にいい接客をしろ」
「はい。話の種に使います」
現地に到着した高瀬が、会社のバンから段ボールを運び出していた。
三浦や佐伯、他の社員も皆、安堵の表情を浮かべていた。
「おい成瀬。主任がノベルティ持ってきてくれたぞ」
「え」
成瀬は着ぐるみの中から段ボールと高瀬を見て、心底ホッとした。
着ぐるみの大きな足でズンズンと高瀬へ歩いていく。
本当は走って行きたかったが足が短すぎて気持ちだけ走って行っていた。
「主任っ!ありがとうございます!俺、俺……」
「誰だ」
「成瀬です」
「あぁ、似合ってるな」
「え」
「ほら急げ、もう時間ないぞ」
高瀬への特大の感謝の気持ちを軽くスルーされて、成瀬は拍子抜けしたが、会場の外には客の列も見えていた。
成瀬は言われたとおり、マスコットとして客を出迎える準備をした。
イベント日和の晴天、気温は春なのに20度を超えていた。着ぐるみの中で、成瀬は暑さにうだる。客足はありがたいことに途絶えることはなく、次々と契約が決まっていく。
そんな契約中の家族の、子供の相手が成瀬の仕事になっていた。
本当にタックルされる。叩かれる。蹴られる。テーマパークの着ぐるみって命懸けの仕事だな。
短い手足で子供たちの猛攻を防げるわけもなく、暑さのせいもあって成瀬の体力は限界にきていた。一人の少年が、何かの必殺技を叫ぶ。タックルされると思ったら、視界が回って空が見えた。
「おい!!大丈夫か!!」
三浦の声がした。でも、空の青が黒くなっていく。あれ、もう夜だっけ?
「おいナル、しっかりしろ」
冷たいものが頭や首や身体中に当てられて、成瀬はゆっくり目を覚ました。
「あ、三浦さん」
「頭は打ってないな。着ぐるみで良かった。いや、着ぐるみだから倒れたのか」
「え?あ、うそ。すいません!」
気付けばそこは会社のバンの中で、成瀬はランニングにパンツ姿で寝かされていた。
「いや焦った。契約続きでお前の事まで気にしてやれなくて悪かったな。着ぐるみの中の暑さは俺も知ってたのに」
「いえ、俺の体力がなかっただけですよ。俺、今日何も役に立ってないですね……」
成瀬は朝からの失敗にため息を吐く。
「お前が子供みんな相手をしてくれてたから契約進んだんだ。これもチームプレイだろ」
三浦は明るく笑いながら、成瀬の頭をワシワシと撫でてくる。その笑顔につられて成瀬も笑う。
「本当にタックルされるんですね。今度タックルの耐え方教えてください」
「お、いいぜ。まずは腹筋と体幹だな」
先輩は自分の腹筋を叩き、胸を張った。シャツの上からでもわかる腹筋に成瀬が手を伸ばそうとすると、バンのスライドドアが開いた。
「あ、主任。成瀬気が付きました」
「そうか。お前は受付に戻ってやれ」
「うっす」
高瀬は三浦に指示をすると、バンに乗り込み成瀬にペットボトルを渡してきた。
「ゆっくり飲め」
「すいません」
「具合は」
「もう大丈夫です」
高瀬は、ジッと成瀬の目を見て離さない。倒れて迷惑をかけたことを謝らないとと思いつつ、成瀬は高瀬の目に吸い込まれるように思考が回らなかった。
「お前、三浦に触ろうとしたか」
「え」
「腹筋がどうとか」
高瀬の目が細くなり、多少色が変わったように見えた。夕日に近くなった光のせいか。
グルと喉が鳴るような音がして、高瀬の目が揺らぐ。
「いや、いい。ゆっくりしていろ。もう終わる時間だ」
「あ、はい」
それだけ言うと、高瀬はバンを降りて行った。
バンの扉が閉まる直前に、夕方の空に白い下弦の月が見えた。
成瀬は高瀬がくれたペットボトルに視線を落とし、それを持つ自分の手のひらを見つめた。
満月の夜の高瀬の甘えるような表情を思い出す。
まだ、感触が残っている。
その日、一番の契約を取ったのは高瀬だ。
朝イチに成瀬の失敗をフォローし、成瀬が倒れた後も様子を見にきて、さらに完璧に仕事をこなす。
成瀬は高瀬の有能さに感嘆の息を吐く。
格好良い。自分もあんな仕事ができる男になりたい。
しかし、今のままでは高瀬に着いても仕事を覚えるどころか空回りしかしないだろう。しっかりと基礎から仕事を覚えよう。高瀬に必要とされるような人間になれるように頑張ろう。
成瀬は気合を入れて、ノベルティのダンボールを片付け始めた。
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