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第4話 おにぎりで新人教育ですか
成瀬は出勤をするとまず、自分のデスクでおにぎりを食べる。
朝食は自宅でしっかりと食べてきているのだが、学生の時は朝練の後に、軽く何か食べてから授業に出ていたからその名残である。
未だ慣れない満員電車に揺られて来る成瀬にしてみれば、おにぎり一個の栄養補給は必須だ。
「成瀬くん。おはよう」
「あ、おはようございます。神谷支店長」
一番早く出勤した成瀬の次に来たのは、支店長の神谷だ。本社での仕事が多く、あまり支店に来られていなかったが、高瀬という次期支店長候補がいるため業務は全く問題が無かった。実際、成瀬も顔を合わすのも二週間ぶりくらいだ。
「どう、少しは慣れた?」
「はい。皆さん優しく指導してくださるので、ありがたいです」
「でも、この前のイベントでは倒れたんだって?ごめんね。イベントにも顔出せなくて。あまり無理しちゃダメだよ」
物腰柔らかく話す人で外見も優男だが、支店のトップであると貫禄も見える。年齢はまだ40前半だが、成瀬と同じくらいの歳の子供がいると聞いたこともある。
目の奥で、いつも何か観察されているような、包容力がありながらも、底知れない怖さもありそうだ。
「ありがとうございます。でも、体力には自信あるんで、もっと働けますよ」
「はは、頼もしいね。何かやる気になるような事があった?」
そう聞かれ、成瀬はイベントの時の高瀬を思い出す。
ノベルティを持って颯爽と会場に現れた高瀬。
その日一番の契約を取った高瀬。
倒れた成瀬を気遣ってくれた高瀬。
そして満月の夜の、手に残っている感触。
それは誤魔化そうとおにぎりを持ち直す。
「え、あ……その、主任にすごく助けられて、自分も主任みたいに働けるようになりたいなと」
「高瀬くんね……。ふぅん……彼の下にも少し付いていたんだっけ」
「あ、はい。でもイベントの準備が始まってからはあまり教えていただけなくて」
「…………彼の下で働きたい?」
神谷の問いに、成瀬は落としていた視線を上げた。気付けばちらほらと他の社員も出勤してきている。それでも真っ直ぐに神谷を見て、人受けする笑顔を作った。
本心からそれが出来ればと願い返事をする。
「はい。主任は格好良いので!!」
今出勤してきた者からすればなんの話だろうと思うだろう。それほどにはっきりと通る声で成瀬は言い切った。
「ははっ、正直だね。でも……そうだね~」
神谷は部屋の入り口で鞄を落とした高瀬をチラリと見て、ククッと喉を鳴らした。
「向上心があるのは良い事だけど、成瀬くんはまずは基本からだね。佐伯くん、今日から成瀬くんも一緒にお客様対応させて。外回りもバンバン連れて行って教えてあげて。体力には自信あるみたいだから。じゃ、成瀬くん頑張ってね。期待してるよ」
神谷はすぐ隣の席の佐伯にそう言って、成瀬の肩を叩いて行った。
「はいっ」
成瀬は思ったようにはならなかったが、神谷の期待しているという言葉に口角をあげ大きく返事をし、おにぎりを頬張った。
「おはよう高瀬くん。鞄落としてるよ」
「あ、はい。おはようございます」
神谷に指摘され、高瀬はようやく鞄を拾い上げた。
「成瀬くん良いね」
「はい。頑張っていると思います」
成瀬がどう良いのかは聞かずに、高瀬は無難に答える。神谷は、高瀬の肩に手を置いて、高瀬よりも少し低い位置から顔を寄せて耳打ちしてきた。
「…………君が育てたかった?」
ゾクリとするような低い声に、高瀬はゴクリと唾を飲み、冷や汗を垂らす。神谷には全てお見通しなのだろうか。平静を装って、息を吐き答えた。
「…………いえ」
「近くに置くのは怖いか?それにしても、可愛い新人だ」
「神谷さん……」
「ふっ、冗談だよ」
揶揄うような明るい声色になった神谷は、窓際の自分のデスクに向かって行った。
数日後、成瀬はスーツのまま膝に乗せた満月を撫でつつ、愚痴をこぼしていた。
神谷に期待していると言われていたのに、なかなか契約が取れない。佐伯からは、営業は数打ってなんぼだから気にするなと言われた。
しかし成瀬は、お客と話していても全く手応えを感じられず、悩んでいた。
「その人に合う部屋を見つけたいのに……」
思いだけが空回りをしていて、解決策がわからない。深くため息をつく成瀬の膝の上で、満月が急に耳を立て何かに警戒した。
「何?満月」
成瀬も耳をすませば、マンションの廊下に足音が響いている。成瀬の隣は角部屋だから、この部屋の前を通る人は隣の人だけだ。しかし、成瀬は隣の住人を見た事がない。
「引越しの挨拶に行った時もどの部屋も留守だったもんな。都会って本当に誰が住んでるか分からないのな。寂しいね、満月~」
ギュッと満月を抱きしめて、成瀬は実家を恋しく思った。成瀬の腕の中で満月はフンフンと鼻を鳴らし、隣の部屋に続く壁を見つめている。
満月には隣の部屋の生活音が聞こえるのだろう。耳をピンと立てるのをしばらくやめないでいる。成瀬は、大丈夫大丈夫と優しく満月を撫でてやった。
「ありがとうございました。またご検討ください」
佐伯についてお客対応をするようになってから、この言葉しか言っていない。内見まで行ったのは数件あるが、どれも成約にはならなかった。
お客を見送って肩を落とす成瀬に、佐伯は昼食を摂っておいでと笑いかけてくれる。
成瀬は休憩室の椅子にぐったりと座りながら、コンビニのおにぎりを開けた。母親が作ってくれるおにぎりと違い、小さい。それでも味は好みで、弁当よりもおにぎりを選ぶ方が多かった。
「俺、人当たりは良いと思ってたんだけどな。あまり印象良くないのかな」
ボソボソと独り言を言っていると、休憩室の扉が開いて、背の高い金髪の美形が入ってきた。
「主任、お疲れ様です。お昼ですか」
「まぁ」
成瀬は広げたコンビニ袋を避けて、高瀬のスペースを作る。高瀬はお昼と言いつつも何も持たずに成瀬の隣に座った。
「お前の昼飯はこれか」
そういうと、高瀬は成瀬のおにぎりをおもむろに持つ。なんだろうと見ていると質問が飛んできた。
「おにぎり好きなのか?」
「え、はい」
「なぜ?」
「えっとうまいんで」
「ふっ、中身は何が好きだ?」
高瀬はなぜだか吹き出して、続けて質問を重ねる。
「鮭とか、シーチキンマヨですかね」
「よく作るのか?」
「あ~、学生の頃は実家だったんで作ることもありましたけど、今はほとんど買っちゃってますね。コンビニのおにぎりは小さいけど自分で作るよりうまいんで」
「へぇ、料理する時間は無いか?」
「え、なくもないですけど……。一人暮らしも初めてなので、家事の手際悪いのかもしれないです」
「一人暮らし初めてなのか。たまに寂しくなったりするか?」
「え……まぁ、友達もみんな地元なんで……えっと……」
高瀬は聴きながら、成瀬のおにぎりの封を開け出し、成瀬に向けた。何を求められているのかと成瀬は怪訝な顔になる。
「今の話で、俺はお前が好きなおにぎりの具と、料理はするのかと、友達は地元に居る、その他諸々を知った」
「え……あっ……」
高瀬が何を言いたいのか、成瀬は理解した。思い返せば、成瀬は客の要望を聞くより、物件のいい場所ばかりを説明していたのだ。
「わかったら食え」
高瀬はまた、おにぎりを差し出してきた。
成瀬は、一瞬躊躇うも遠慮なくかぶりつく。
「一口が大きいな」
高瀬は優しく満足そうに笑った。その表情に成瀬も屈託なく笑う。
あと一口も無いおにぎりは、高瀬によって成瀬の口へと押しつけられ、オズオズと開けた成瀬の口に押し込まれた。
「んんっ!」
成瀬は全く話す事ができなくなるが、楽しそうな高瀬の笑顔に笑顔で返す。
「…………mignon……」
「んぇ?」
「あ、いや。……一人暮らしは寂しいのか」
高瀬は立ち上がると、ぽんぽんと成瀬の頭を叩き、意味ありげに呟いて、おにぎりで膨らんだ成瀬の顔を覗き込む。成瀬はさっきの自分の言葉を恥ずかしく思いながらもはにかんだ。
その日の午後、成瀬は対応したお客とたくさん話をした。聞けば聞くほどお客の理想がわかっていく。
そして数日後、そのお客から契約したいと申し込みの電話をもらったのだ。
「佐伯さん、やりました!!」
「うん。このお客さん成瀬くんのこと気に入っていたもんね。すごいよ」
佐伯と喜びを分かち合っていると、後ろから背の高い高瀬が現れ、成瀬の頭をポンポンと撫でた。
「よくやったな。初契約祝ってやる」
「ほんとですかっ!」
成瀬は高瀬に認められたと満面の笑みで色素の薄い瞳を見つめる。高瀬は笑いながらも、そっと目を逸らし、その視線は神谷とかちあった。
ニヤリと笑う神谷の表情に高瀬はさらにバツの悪い顔をするが、目の前の成瀬の無邪気な様子にまた頬を緩ませた。
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