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第5話 バーでも主任は格好いいです

 終業時間になり、妻子持ちの佐伯はすぐに会社を出て行った。成瀬は、もう一度契約書類を確認して、大事にクリアファイルに挟んだ。 「じゃあ行くぞ、成瀬」 「え、今日ですか」 「何か用事があったか」 「あ、いえ。ありがとうございます」  高瀬のお祝いがまさか今日の今日だとは思っていなかった。成瀬は慌ててデスクの上を片付け、鞄を持った。 「明日は休みだから、しっかり祝ってもらっておいで」  神谷もニコリと笑いながら見送ってくれる。  あれ、二人だけなのか。  突然の飲みの誘いに、皆予定が合わなかったのだろう。  お祝いといえば盛大なイメージを持っていた成瀬だが、高瀬と二人というのもなんだか嬉しい。  高瀬に連れてこられたのは、成瀬の家の最寄りの駅。そこの裏路地にある小さなバーだった。  入り口には『半月』と書かれたオシャレな看板がある。少し薄暗く、大人な雰囲気の漂う店に、成瀬は気後れした。  普通に居酒屋だと思っていたのに。  変な緊張をする成瀬をよそに高瀬は入り口を開けてウィンドウチャイムを揺らす。音に気付いた店員がカウンター越しにいらっしゃいませと少し低い間延びした声で反応した。  高瀬の後ろから店に入ると、カウンター裏には綺麗な酒瓶が並んでいる。その棚の前にはウェーブのかかった髪の長い美人が笑っていた。女性にしてはずいぶん背が高い。  店の間接照明が醸し出す雰囲気と、とても綺麗なその店員に、成瀬はさらに緊張して気後れする。 「成瀬、こっちだ」  店の入り口で立ち尽くす成瀬を、高瀬はカウンターに座りながら呼ぶ。  その姿がとてもサマになっており、成瀬はぎこちない動きで高瀬の隣へ向かった。 「あら、シンシアが人を連れてくるの珍しいわね」 「まぁな」 「「何飲む?」」  カウンターの少し高めの椅子に小さく座る成瀬に、店員と高瀬の視線が一気に注がれた。  重なった声に店員は笑い、高瀬はため息を吐く。 「飲めるんだろ?酒」 「はい。えっと……生とかありますか」 「ごめんね、うちカクテルバーだから」 「あ、え…カクテル……?」  成瀬の飲み会といえば居酒屋の飲み放題くらいだ。普段ならとりあえず生でいけるのだが、カクテルと言われて成瀬がすぐに思いつくものは、カシスオレンジくらいだった。  しかし、大の男がカシスオレンジは格好悪い。成瀬が困っていると、高瀬がふっと目を細める。  場慣れしてないと思われただろう。 「可愛い~シンシアとどういう関係なの?」  店員は、綺麗な顔をニコニコさせながら、成瀬に興味津々の様子で聞いてくる。  しかし、成瀬には聴き慣れない言葉があった。 「……シンシア?」 「あら、教えてないの?」  店員が高瀬を見て、楽しそうに目を細めた。高瀬は呆れた顔で店員に向かってため息をつく。 「それで呼ぶなって言ってるだろ」 「あ、主任のあだ名ですか?」 「本名よ」 「え?」 「臣・シンシア・高瀬。俺の名前だ」  成瀬は高瀬を見て目を丸くした。フランス人のハーフだということは知っていたが、そんな綺麗な名前だったとは知らなかった。  聞こえた名前の響きは目の前の綺麗な男にぴったりだと思う。  まっすぐ見つめてくる成瀬の視線に、高瀬は居心地悪そうに視線を逸らした。  店員は高瀬の表情を見て、口角を上げると、追い討ちのように言葉を繋ぐ。 「シンシアって呼ぶと怒るのよ。私は気にしないけどね」 「気にしろ」 「お、俺も綺麗な名前だと思います」  成瀬は思ったことを真っ直ぐにそのまま伝えた。  高瀬は一瞬目を見開いたが、また、成瀬から目を逸らす。 「…………Mon Dieu……」 「え?」  高瀬の呟いた言葉は聞き取れなかったが、店員は大笑いしている。 「おい、こいつにはハイボールだ」 「もう、ルルって呼んで。シンシアはいつものね」  高瀬が成瀬の酒を注文すると、店員は成瀬に向かって柔らかく微笑みながらルルと名乗った。慌てて成瀬もフルネームを名乗る。 「じゃあ、ケンちゃんね」  フレンドリーにあだ名を決められて、成瀬の前にレモンの刺さったハイボールが置かれた。これもまた、成瀬の知るハイボールよりおしゃれなものだ。 「で、なんで今日はケンちゃんと二人で来たの?」 「……ちょっとした祝いだ」 「あら、付き合った記念日とか?」 「Quoi!?」 「怒んないでよ」  今日の高瀬はやたらとフランス語が出てくる。それほどまでに気を許せる店なのだろうか。成瀬は二人の仲良さそうな会話を聞きながら、ある答えに辿り着いた。 「お二人は恋人なんですか?」 「……は?」  高瀬の眉間に深く皺が寄った。怒らせるような事を言ってしまったのかと成瀬は、身をすくめる。慌てて高瀬が表情を戻した。 「あ、悪い」 「いやよ、ケンちゃん。シンシアとは腐れ縁。それにシンシア、外見は良いけど、恋愛対象としてはないわ~」  高瀬はルルの言葉に同意するが、どこかソワソワと視線を動かしていた。二人の会話にホッとした成瀬は、気持ちが顔に出そうで俯いた。  あれ、なんでホッとしたんだろう。 「成瀬……?」  高瀬が俯く成瀬を覗き込んでくる。なんだか急に恥ずかしくなって、ハイボールをゴクゴク飲む。 「おい」 「あら、いい飲みっぷり」  成瀬の行動に高瀬は苦笑しながらも、成瀬の頭を撫でた。 「今日は祝いだからな。好きなだけ飲め」  そう言ってグラスを傾けてくる高瀬。成瀬はそこに、お洒落なハイボールのグラスをくっつけた。 「初成約おめでとう」  笑う高瀬の顔が、間接照明に当たってより綺麗に見え、成瀬は息を呑んだ。

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