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第8話 満月と虎の攻防戦を想像しちゃいます

 興奮した様子の満月を抱き上げて、本当に散らかってますよと成瀬は高瀬を部屋にあげた。  高瀬は、スンと鼻を鳴らしてから、リビングへ歩いていく。 「あの、うち椅子ないんで、ラグとか座っててください。味噌汁すぐ作りますね」  成瀬は満月をケージに入れようとするが、スルリと成瀬の手からすり抜けて、壁際でバンバンとスタンピングを繰り返す。 「すいません。普段俺しかいないからちょっと警戒してるみたいで」 「怒ってるのか」 「ま、まぁ。しゅに……高瀬さん」 「いい加減なれろ」  高瀬を呼ぶたびに主任と呼びかけて直しているのが気になったらしい。  そう言われてもなんだか恥ずかしいのだから許してほしい。成瀬はそう思いながらも、気をつけることにする。 「あの、高瀬さん……ウサギ大丈夫ですか」 「別に」 「じゃあ、満月はこのまま出しておきますね」  成瀬はキッチンに向かい、鍋を火にかけた。具はさっきの小松菜でいいだろう。鍋に入れた小松菜をかき回しながら、高瀬と満月の様子を見れば、二人ともに静かに距離を保っていた。  相変わらず満月はタンタンと足を鳴らし、鼻息が荒い。高瀬は特に気にする様子はなさそうだが、なんとなく、見えていない虎の尻尾がシターンと床を叩いているように感じた。  縄張り争い?満月強気だな。  成瀬は二人の無言の攻防を勝手に妄想してクスリと笑った。  味噌汁を二つお椀に入れて、高瀬が座っているラグの上のちゃぶ台に持ってくる。  ちゃぶ台の上には高瀬が買ってきたおにぎりがゴロゴロと転がっている。 「高瀬さんお昼すごい食べますね」 「お前が好きだって言っていた具だろ」 「あぁ、人が美味しいって言ったものって気になりますよね。にしても買いすぎですよ。夕飯もおにぎりになっていたんじゃないんですか」 「そうだな」  もしかして俺がおにぎり美味しいって言った日から毎食おにぎりなのかな。まさかね。と思いつつも、高瀬の嬉しそうな顔に成瀬は苦笑する。 「大した味噌汁じゃないですけど、どうぞ」 「あぁ」  お椀と箸を渡すと、高瀬はフーフーとよく冷ましてから味噌汁を啜った。 「……うまいな……」 「ありがとうございます」  自分が作ったものを家族以外に振る舞うのは初めてだ。高瀬の言葉が成瀬は素直に嬉しかった。 「そうだ。高瀬さんがおにぎりを食べさせて教えてくれた会話術、あの時のお礼まだちゃんと言って無かったですよね。ありがとうございました」 「あぁ、いや。契約はお前の接客が良かったんだろ」 「ありがとうございます。でも、お客の希望って色々ありますね」 「お前は?」 「え?」 「成瀬はどうしてこの部屋にした?」 「いや~、俺というよりは母親ですかね」  成瀬が上京する際、部屋探しに母親が付いて来ていた。成瀬としてはもっと会社に近い部屋が良かったのだが、会社の近くは土地が高いため、家賃も高い上に狭くセキュリティもない。  成瀬的には問題はなかったが、母親は都会は何があるかわからないからとオートロックを希望した。さらに、自分が成瀬の部屋に来ることも想定して、リビングと別に一部屋ある間取りが気に入ったのだ。  あと、ペット可なら寂しくなった時に一緒にいてくれる仲間も作れるでしょと冗談交じりに言われていた。  そこは母親の言うとおりになったので、少なからず感謝はしている。家賃は自分で払うからなるべく安い所と探した結果、手頃な物件がここだったのだ。 「初期費用全部出してもらったんで、何も言えませんでした。でも、ここコンビニも近いし住んだらいい街ですよね」 「そうだな」 「高瀬さんはなんでここにしたんですか?」 「俺は……ここしか無かっただけだ」  高瀬はどことなく目を伏せて味噌汁を箸でかき回した。 「……そうなんですか。結構長く住んでるんですか?」  成瀬は先日の会話術に倣って深く聞こうかと思ったが、高瀬の伏せた目を見て、話を変えることにした。 「まぁ、7.8年くらいになるか」 「あ、じゃあ、今度この辺案内してくれませんか。駅前の商店街とか、まだちゃんと歩いてないんです」 「あぁ、良いな」  優しく笑った高瀬の顔に成瀬は安心する。  気付けば大量にあったおにぎりも無くなっており、成瀬は食器を片付けようと立ち上がる。満月が成瀬の後についてキッチンに入ってきた。  自分の小松菜は無いのかと催促しているようだ。  満月に小松菜をあげて、ちゃぶ台の方を見ると、高瀬は床に積んであった成瀬の本を手にしていた。  あ、そうだ。高瀬さんがいるなら今がチャンス。 「高瀬さん。勉強教えてもらえませんか」 「ん?」 「宅建を取るように言われているんですけど、難しくて」 「あぁ、どこだ?」  成瀬はちゃぶ台にテキストを並べると、わからないと印をつけていた付箋を指す。 「これ全部です」 「多いな」 「へへっ……勉強苦手なんです」 「でも必要な資格だ。教えてやるよ」 「ありがとうございます」 「違う」 「あ~、もう建蔽率って何……」 「休憩するか」  元来文系の成瀬は、計算問題に苦戦していた。何度も高瀬に教えてもらうが、そもそもを理解できていないようだ。高瀬もこれ以上何を噛み砕けば良いかがわからず、休憩を提案した。  随分と集中していたようで、気付けば陽が落ちかけている。満月はずっと成瀬のあぐらの中で落ち着いていた。 「この試験て年に一回だけなんですよね。受かるまで何年かかるかな」  成瀬は自分の正答率にため息をつきながら、満月を撫で、肩を落とす。 「落ちると思うなら受けるな」  自然に満月を撫でる成瀬の手。  それを見て、嫉妬のようなものを感じた高瀬は、つい言葉を強くしてしまった。 「……そうですよね。会社のお金なんだし……」 「あぁ、いや。今からやっていれば試験までには十分出来るようになるだろ」 「……頑張ります」 「しっかり教えてやるよ」  高瀬はそう言いながら、成瀬の頭をポンポンと撫でた。満月が不満そうに高瀬を睨みあげている気がして、ザワっと毛の逆立つ感覚がした。  もう陽は沈んだか。月が出る前に部屋に帰ろうと思いながらも、高瀬は満月を撫でる成瀬の手の動きから目が離せない。  満月を撫でていない成瀬の右手は、シャーペンを回しながら問題に向き合っていた。  高瀬は外が暗くなるにつれて、体の中から湧き起こるような熱を感じ、息を吐いた。目の前のちゃぶ台に突っ伏して、呼吸を整える。  部屋に戻ろうと頭は考えているが、体を動かしたくない。  だんだんと成瀬の部屋の匂いをより強く感じるようになって、それが心地良かった。 「高瀬さん?どうかしました?」  高瀬の呼吸が荒くなっていることに気付いたのだろう、成瀬が声をかけてくる。視線を向ければ心配そうに顔を覗き込まれた。 「あ、今日って満月?!」  慌ててスマホで確認をする成瀬の手を掴み、高瀬は自分の頭の上へと導いた。 「えっと……」  ズクリと耳と尻尾が出てきた。成瀬の手は優しく掴んだつもりだが、痛く無かっただろうか。 「撫でてくれ……」 「…………はい」  成瀬の手が、頭の上を往復して背まで伸びてきた。心臓の動悸がおさまるのを感じる。息がしやすくなって、高瀬は目を閉じる。  ちゃぶ台の下から、満月の不満そうな鳴き声が一つ聞こえたが、気にしてやれる余裕はない。  成瀬の手が気持ちよくて、半獣化しているのにとても穏やかな気分だ。グルグルと喉が鳴っている。  もっと、成瀬に近づきたい。 「成瀬……」  高瀬は体を起こして、成瀬に向いた。 「はい」  手を伸ばして、肩を抱き締めても抵抗はない。 「大丈夫ですか」  成瀬の手が高瀬の背に回されて、ゆっくりと撫でてくれている。  成瀬の肩に顔を埋めて、息をすれば成瀬の匂いを強く感じ、抱きしめる腕に力が入った。 「成瀬…………」  高瀬はそのまま体重をかけて成瀬を押し倒そうとしたが、成瀬の膝の上にいた満月が、キュッと苦しそうに鳴いて、動きを止めた。 「高瀬さん?」 「……悪い……」  高瀬は成瀬から離れたが、成瀬の匂いに意識を持っていかれそうになり、首を振る。 「落ち着きました?」 「あぁ、ありがとう。邪魔したな……」  それだけ言うと高瀬は立ち上がり、玄関へ向かった。 「あ、高瀬さん。ごちそうさまでした」  満月が膝の上にいる為にすぐに動けない成瀬は、玄関に向かって体を捻ってお礼を叫んだ。その姿に高瀬は笑顔を見せるが、尻尾はゆらゆらと揺れていた。  高瀬は成瀬の部屋の玄関を閉め、急いで自分の部屋に駆け込んだ。  閉めた玄関の扉にもたれ、ズルズルと座り込んでいく。大きく息を吐くが、半獣化の反応とは違う動機を感じる。  膝を抱えて自分の尻尾の先を慰めるように撫でた。

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