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第9話 任された仕事に、気合を入れたんですけど…

 朝一のおにぎりを頬張りながら、成瀬は新着物件を見ていた。  客の要望にいち早く物件を出すため、新着物件の情報は頭に入れておこうと頑張っているのだ。  あ、ここペット可だ。覚えておこう。  自分がペット可物件に住んでいるからあまりわかっていなかったが、ペット可の物件はかなり少ない。オーナーとしても管理が大変だからなのだろう。  お客の要望は色々あるが、たまにほとんど要望の無い人もいる。そういう人は何が決め手になるかわからない。  ペットを飼っていなくてもペットを飼いたくなるかもしれない。  成瀬のかもしれない営業は、妄想に近いところまで広がってきているが、お客のために一生懸命になる成瀬の姿勢をみんな評価していた。 「なんか良い物件あった?」 「支店長。おはようございます」 「うん。おはよう。あ、これペット可なんだ。いいね」 「支店長もペット飼われてるんですか?」 「いや」  神谷は意味ありげな顔をして笑った。 「いずれ飼いたいとか?」 「ん~、無いかな。子供達は喜ぶかもしれないけどね」 「そう……ですか……」  神谷の返事に、成瀬は理解が追いつかない。ペット可の利点て他に何かあるのだろうか。 「そういえば、この前は初契約のお祝い一緒にできなくてごめんね。高瀬くんにしっかり祝ってもらった?」 「あ、はい。良いお店に連れてってもらいました」 「それは良かったね」 「そうだ。それで、高瀬さんと俺の部屋が隣同士だったってわかったんですよ」 「あぁ、高瀬くんの部屋ならペット可物件だもんね。だから成瀬くんもウサギ飼ってるんだ」  神谷の言葉に成瀬は首を傾げる。ウサギ飼ってること話したことあったっけ?  単純な疑問だったが、それよりも高瀬がペット可の物件をすすんで選んでいるような言い方だ。 「あの、ペット可って、何かいいことあるんですか?」 「…………なるほど……知らないか……」  神谷は座っている成瀬の肩に手を置いて、顔を近付けてくる。何かまずいことを聞いたのだろうか。少し空気が重くなった気がした。 「成瀬くん、不動産をやる人間なら覚えておいて。獣人は、ペット可の物件でないと入居が難しいんだ」 「………………ぇ……」 (俺はここしかなかった)  高瀬が言っていた言葉を思い出し、成瀬は冷や汗を感じた。 「そんな法律……無いですよね……」 「無いよ。でもオーナーは嫌がる人多いからね」 「それって……差別じゃ……」  成瀬の言葉に、神谷から低く唸るような声が聞こえた。  そっと神谷を横目で見れば、目の色がブルーグレーに変わっていて成瀬は驚いた。 「成瀬くんは優しいね。僕もつい心を許しそうになるよ」 「支店長も……」 「僕は満月に支配されていないから安心して」  そう言うと、神谷は出勤してきた社員を集め出した。朝のミーティングだ。  隣に来た高瀬に顔は向けず、神谷はポツリと呟く。 「いつの間に名前で呼ばれるようになったの?」  クスリと笑う神谷の声は、高瀬にしか聞こえておらず、高瀬は思わず持っていた書類を落としそうになった。 「で、あとはお問い合わせフォームから1件。飲食店の出来るテナントを探しているお客様だ。条件は追々見てもらうとして、問題はその人が獣人という事だな」  高瀬の言葉に、佐伯も三浦も他の社員も表情を曇らせた。見つけられないってことだよな。 「……これは俺が担当する……」 「いや待って、成瀬くんやってみなよ」  高瀬が仕事を引き受けると言いかけた時、神谷が待ったをかけた。 「いや、これは新人には……」 「高瀬くんは仕事抱えすぎ。君に任せておけば問題ないだろうけど、成瀬くんの成長に良い案件だと思うんだよね。佐伯くん、三浦くん二人でフォローしてあげてくれない?必ずどっちかが成瀬くんに着いていく事」 「いや、神谷さん。成瀬にはまだ……」  高瀬は焦ったように神谷に反論する。  佐伯も三浦も、この空気にどうしたら良いものかと目を泳がせていた。  みんなの様子から察するに、本当に新人がやる仕事じゃ無いのだろう。でも、さっきの話を聞かされて、成瀬は悔しく思ったのだ。  自分にできるかわからないが、問い合わせをくれた人の力になりたい。 「やらせてください。高瀬さん」  通る声で成瀬は高瀬に真剣な目を向けた。その目の強さに高瀬は何かを言い淀む。 「だって、高瀬くん。面倒見てやってね」  神谷はニコリと高瀬に笑みを向けて自分のデスクへと向かっていく。  高瀬は、額に手を当てて盛大にため息をついた。 「飲食店のテナント、飲食店のテナント………」  成瀬は物件情報を何度も見るが、そもそも飲食店の空き物件がほぼ無い。  お客から問い合わせをもらっていた希望の物件に連絡を入れたが、申込検討をしている人が獣人と伝えた瞬間、オーナーの雰囲気が変わった。  成瀬は丁寧になんの問題もない事をオーナーに説明したが、全く聞く耳を持ってもらえなかった。  問い合わせをもらったお客は熊田と言い、まさに熊の獣人だそうだ。  熊田には、獣人だから断られたことは伏せて電話で話したが、そう簡単に見つかるとは思っていないから、あったらで構わないとあっけらかんと言われてしまった。  完全に断られた理由をわかった上で、諦めた返事に成瀬の方が憤慨していた。 「成瀬、それの他にも仕事はあるからな。午後はお客様カウンター出ろよ?」 「はい。わかってます」  三浦に言われるが、成瀬の目はパソコン画面から動かなかった。  獣人だからって、やりたい事や住みたい場所を我慢する必要ないだろう。  成瀬はどこにぶつけて良いかわからない怒りをマウスに向かって強くクリックした。 「お前さ、その……変な方向に頑張るなよ?」 「何がですか」  三浦は心配そうに成瀬に話すが、視線は色々と彷徨っていた。 「いや、その……しょうがないこともあるだろ?」 「……しょうがないで済ませて良いんですか」 「いやだってさ、怖いものは怖い。それをみんな理解できるほど簡単じゃねぇよ」  三浦は自分の右手首を掴む。何かを思い出しているのか、多少声が震えていた。 「何かあったんですか?」 「あ、いや。まぁ、昔少し怪我を………………」  ギュッと力が入る三浦の手に、怯えのようなものを感じて、成瀬は怒りから心配へと気持ちが動いていった。 「あーー、悪い。変な空気にしちまったな。その、俺実は獣人少し苦手なんだけどよ。お前の気持ちもわからなくはない。それに一生懸命なお前の応援はしたいと思ってる。だから、あまり根は詰めるなよ」  努めて明るく言う三浦に、成瀬は何とも言えず頭だけを下げた。  その日一日、成瀬の心は獣人への差別に対して揺れていた。成瀬が今まで生きてきた中で、ぶつかった事のないこの問題は、たまにニュースで見たり歴史の授業で聞いたりした程度の、関係の無いものだと思っていた。  現代において、成瀬の周りにはそんな差別は存在してなかったのだ。もしかしたら、この仕事をしなかったら知らないままだったかもしれない。  高瀬と話せば何か掴めるかとも思ったが、高瀬に嫌な思いをさせてしまうかもしれない。  それに、高瀬は外に出ていてそのまま直帰をしてしまった。今日は全く話す時間がなかった。 「俺って世間知らずだったんだな……」  成瀬は改札を出て、月を見上げる。成瀬の家で高瀬を撫でていた満月の日が、ついこの前のような気がするのに、今空にあるのはもう下弦の月だ。 「半月だな……」  ふと、ルルの店を思い出して、成瀬は路地裏へと向かっていった。  大人な雰囲気の扉を、成瀬は勇気を出して開けた。ウィンドウチャイムが鳴り、ルルが声をかけてくれる。 「あら、ケンちゃんじゃない。シンシア来てるわよ」 「え……」 「あれ、待ち合わせじゃないの?」  高瀬と話したかったが、話して良いものなのかとも思う。成瀬は、悩みながらも高瀬の隣へとやってきた。 「お疲れ様です」 「あぁ、あの案件どうなった」 「えっと…………」  仕事の話はせずに軽く飲んで帰ろうと思っていたが、高瀬の方からふられてしまえば答えないわけにはいかない。 「結論から言えよ」 「あぁ、はい。結論は……物件断られました」 「だろうな」 「いや、そんな簡単に……」 「仕方ないことだ」 「そんなこと!」 「ん?」  高瀬の諦めたような雰囲気に成瀬は怒りを露わに反論する。 「お客様もそんな事言ってましたけど、獣人だからって、物件の審査が不利になるのはひどいですよ!」  ルルが目を見開いて成瀬と高瀬を交互に見る。高瀬は、成瀬の肩に手を置いて、優しく微笑んだ。 「いや、獣人という以前に店舗物件は簡単に見つからないもんなんだ。お客の要望は?」 「……熊田さんは、今の店舗の2号店を出したいそうです。フレンチの店で、路面店が希望です。できたら居抜きでレストランをやっていたところがいいそうです」 「ちゃんと聞けてるじゃないか」 「あ……はい」  ルルがそっと成瀬の前に酒を置いた。 「なぁ、成瀬。住居を探す客と店舗を探す客は違う。BtoCは客の生活に密接に関わるけどな、BtoBは向こうもある程度こちらのことを調べてくる。見つからないことも承知のはずだ。だからって時間をかけるのは良くないが、焦らなくて良い」  高瀬は優しい声を使って、成瀬に語りかける。頑張っていることを認められたみたいで成瀬は少し安心した。  しかし、また聞きなれない言葉がある。 「Bto……」 「BtoBはビジネスとビジネス。BtoCはビジネスとカスタマー。知らなかったのか?」 「あ……はい……じゃあ、BtoAはなんですか?」 「……………」  しばらくの間のあと、高瀬の肩が震え出し、ルルの笑い声が店内に響いた。 「…………mignon……」  高瀬はガシガシと成瀬の頭を撫で、楽しそうに笑った。

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