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第22話 満月に苦しむ高瀬さん、俺が助けますから
成瀬と高瀬の実家に行ってから数週。
レオニアの新規店舗も決まり、成瀬の仕事は順調だった。
高瀬は朝イチのシャワーを浴びながら成瀬の顔を思い出す。
実家から帰った次の出勤日に、戸惑いながらオフィスで臣さんと呼ばれたのだ。神谷だけじゃなく、社員全員が成瀬の通る声に注目した。
さすがにこれは違うと気付いた成瀬が真っ赤になって取り繕っている姿を思い出し、高瀬は吹き出して顔にかけていたシャワーの水を少し飲んでしまった。
軽くむせながら、成瀬を想う。
レオニアから奪い返した時、しっかり理性は働いていたが、強く抱きしめる力を、なかなか緩めることが出来なかった。
自分の体を抱きしめるように腕を交差させれば、その筋肉はとても硬い。柔らかいものが好きと言う成瀬。
優しい彼らしい好みだ。
対して高瀬の腕も体も硬い。これは、人を傷付ける恐れがある。
(大丈夫、君からは血の匂いはしないよ)
神谷の言葉がどれ程安心したか。同時に本能だけで求めてしまった神谷の唇も思い出す。
バチバチと頭から降り続けるシャワーの水の温度をどんどんと冷たくしていった。
脱衣所から出た高瀬は、キッチンのカウンターに置いてある処方薬を手に取った。実家を出る際に、レオニアが主治医から預かったと渡してくれたものだ。
獣人の為の新しい抑制剤。アレルギーが出る体質の高瀬には使えない薬だったが、新薬ができて、アレルギー反応も出にくいという。
面倒なのは、毎日同じ時間に飲まなければいけないという事くらい。
高瀬は時計を確認して、薬を一錠飲み込んだ。
今のところ、副作用というほどの症状は無い。
明日の満月に何も無ければ、今後、高瀬の薬として使い続けることができる。
高瀬は多少期待をしつつも、成瀬が撫でる手の感触を思い出して何とも言えない気持ちになった。
「高瀬くん、お昼行く?」
「いえ、おにぎりがあるので」
「あ、そう」
神谷は高瀬をランチに誘うが、最近の高瀬は外食をしなくなった。タイミングを見て休憩室に向かっている。
「薬、大丈夫そうなの?」
「問題ないです」
神谷にそれだけ言うと、高瀬は休憩室に入っていった成瀬を追うように休憩に入った。他の社員達は微笑ましくその行動を見守っている。
「そろそろ皆、君の気持ち気付き始めてるからね」
神谷は苦笑しつつ、でも嬉しそうに外食へ出かけて行った。
高瀬と成瀬は、休憩室で無言でおにぎりを食べていた。
何か世間話をとも思うが、変な緊張感があり成瀬はただモソモソとおにぎりを咀嚼していた。
「レオニアの物件、ありがとな」
「え、いえ。俺は何も。まだ宅健も持ってないから、結局一人じゃ全部できないですし」
「いや、お前の案内や接客はすごく良い。宅健なんて試験に受かれば良いだけだ」
「簡単に……」
成瀬は褒められているのに、問題集の分からないところに貼ってあるポストイットの量を思い出して、気持ちが沈んだ。優秀な高瀬には簡単なものなのだろうが、成瀬には難しい問題が多い。一人で勉強を進めるのには限界を感じている。
「あ……あの、じゃあ、また勉強みてもらえませんか」
この前と同じお願いをしているはずなのに、ずいぶん意味が違う気がしてきて成瀬はおにぎりを剥く手を止めた。
「あ、あぁ。じゃあ、明後日でいいか」
高瀬も成瀬の緊張を読み取ったらしい。言葉が揺らいでいた。しかも、明後日と言う。成瀬は、ここが勝負だろうと顔をあげて真っ直ぐに高瀬を見る。
「明日がいいです」
「いや……明日は……」
そう言われることはわかっている。
だから引けないのだ。
「明日は満月です。だから、俺の部屋に来ませんか」
「…………」
「…………」
無言。
休憩室の外から、オフィスの電話が鳴る音が聞こえる。三浦が応対した。
高瀬は困り顔のまま、成瀬を見てため息を吐く。
「…………言ってる意味がわかってるのか」
「はい。この前も、満月でした。でも、明日は泊まっていってください」
高瀬は真っ直ぐに見つめてくる成瀬の目に、本気を感じた。自分のために何かを覚悟してくれているのかと、ジワジワ温かいものが胸に染み込んでくる。
ならば、言わないといけない事がある。
「今、新薬の抑制剤を飲んでいる」
この薬が効けば、成瀬の手による抑制は要らなくなる。すなわち、特別な感情が無ければ、関わる必要がない。
「それって……」
成瀬を試すような言い方をしたか。高瀬はテーブルに目を落とし、成瀬の言葉を待った。
「良かったです!上手くいったら、もう満月に苦しまなくて良いんですよね!?」
「……そう……だな……」
嬉々とした成瀬の声色が、高瀬の心を押しつぶすように重く感じた。
「あ、でも……そしたら俺はお役御免ですか……」
「………………」
そんな事ないと、言いそうになって高瀬は息を飲み込んだ。そんな高瀬に、成瀬は静かに言葉を続ける。
「その……それでも……一緒にご飯……食べませんか」
成瀬の頬が赤く染っていき、照れくさそうにはにかんでいた。つられて高瀬も頬が緩まる。
「確約は出来ない。それでもいいか」
成瀬の顔が満面の笑みになり、高瀬はその頭をガシガシと撫でた。
満月の朝、高瀬はいつもの時間に薬を飲んだ。副作用も無い。時間の経過を考えるのがいつもより恐ろしい。きっと、この薬にかなり期待を込めているからだろう。
今日は、成瀬と二人で夕食を食べたい。一緒に朝を迎えたい。
祈るような気持ちで、高瀬は仕事に向かった。
昼を過ぎ、高瀬は軽い倦怠感を感じていた。成瀬は内見に同行していて、一緒に昼を食べる事ができなかった。
残念と言うよりも、成瀬の手を欲していることに気付く。
まずいな……
高瀬を見ていた神谷も、同時に同じことを感じていた。抑制剤はしっかりと効けば問題がないが、時に半獣化を暴走させることもある。
高瀬の場合は、アレルギーで一錠でも飲めば体に支障をきたす。ここまで飲み続けられたと言うことは期待できるものだと思っていたが、今日は休ませた方が良かったか。
しかし、精神力の強い高瀬だ。何も無いかのように仕事をこなしている。
陽の色が、オレンジがかってくる夕方。
高瀬の息は上がっていた。脂汗が滲み、座っているがデスクにもたれている。
限界かな……
「高瀬くん、帰ろうか」
「神谷さん……すみません……」
「いいよ。実家までタクシー呼んであげるから」
「ちょっと……外の空気吸ってきます」
高瀬はゆらりと立ち上がって、社用車の駐車場へと続く扉を開けた。
同時に表の扉が開き、三浦が戻りましたとオフィスに入ってきた。神谷はすぐに、同行していた成瀬の姿を探す。
「三浦くん、成瀬くんは?!」
「あ、車停めに行ってますけど」
まずい。
今鉢合わせたら、成瀬くんが危ない。
神谷が慌てて駐車場へ向かおうとした時、外から女性の悲鳴が聞こえた。
「お疲れ様です」
成瀬の声がした気がする。いや、成瀬の匂いだ。
助けてくれ。
高瀬は、目の前の人影に手を伸ばした。
すごい力で肩を掴まれている。
成瀬は状況がよく分からなかった。
まだ夜でも無いのに、高瀬が半獣化して成瀬を掴んでいるのだ。すごく興奮して、耳も尻尾も毛が逆立って、口元には牙が見える。ただ、目だけは揺らいでいて、助けを求めているようだ。
「高瀬さん?大丈夫ですか」
成瀬が高瀬の背を撫でようとした時、通行人の女性が悲鳴を上げた。
「獣人!!人を襲ってるわ!!通報して!!」
その声に、高瀬は成瀬を突き倒して逃げるように駐車場の隅へと走った。
「大丈夫です。大丈夫ですから」
成瀬は通行人に言いながら、高瀬を追う。
「成瀬くん、だめだ。君では刺激になる」
オフィスから出てきた神谷の声で、成瀬は止まった。ならどうすれば良いのかと成瀬を振り返れば、狼の尻尾と耳を出し、鋭く高瀬を睨む神谷がいた。
「三浦くん、獣人センターに連絡して。抑制剤の効かない個体が抑制剤で暴走していると伝えるんだ」
「わ、わかりました!」
「そんな……」
成瀬は縋るように神谷を見つめるが、神谷の表情は固い。
「彼のためだよ。人を傷つけさせるわけにはいかない。たとえ彼を傷つけてもね」
神谷はジリジリと高瀬と距離をつめていく。
「高瀬くん……シンシア、わかるね、君は暴走をしている。大人しくそこで動かなければ何も起こらない。負けないで、しっかり理性を保つんだ。やり方は知ってるだろ」
神谷と高瀬の様子を棒立ちで見ていた成瀬は、後ろからそっと肩を叩かれすごく驚いた。
「あ、ごめんね。成瀬くんは建物に入ろう」
声をかけたのは佐伯だ。
大丈夫だと優しく微笑まれて、成瀬は泣きそうになった。
「ここで見ています」
「うん。でもね、君の匂いが主任の理性を苦しめるんだ。大丈夫、支店長は手荒なことはしない」
成瀬は上を向いて数回瞬きをすると、高瀬と神谷に背を向ける。佐伯に促されて中に入ろうとした時、獣人センターの救急車が到着した。
その瞬間に、二匹の猛獣の唸り声が上がり、成瀬は振り返る。
高瀬と神谷が掴み掛かっていて、若干だが神谷が圧されていた。
ふぅふぅと眼光鋭く牙を出し威嚇してくる高瀬に、神谷の目も鋭くなり、掴む手に力を入れる。
「シンシア……シンシアっ……もう聞こえてないか……」
「支店長!!」
成瀬の声に、高瀬が神谷を押し倒す。ギリギリと掴み合う二人の手は、きっと人だったら握りつぶされているだろう。
「早く、鎖と檻だ」
神谷が叫ぶと、救急隊は捕獲用の道具を取り出し数人で神谷から高瀬を剥がした。
俺が叫んだから、高瀬さんが……。
まるでただの猛獣扱い。
救急隊の一人は多少逃げ腰だ。
みんな怖がっている。
首に鎖をかけられて、高瀬は暴れる。神谷は高瀬の手を拘束しようと鎖を持った。
ダメだ、そんな乱暴な事。
成瀬は震える手を握りしめて、救急隊の前に立ちはだかった。
「待ってください!!高瀬さんは、助けて欲しいだけです!!」
神谷の持つ鎖を叩き落とし、高瀬に向く。
「離れて!成瀬くん、だめだ!!」
神谷が慌てて、成瀬と高瀬の間に入ろうとするが、成瀬は高瀬を抱きしめた。しかし、高瀬はさらに興奮して成瀬を襲うように押し倒し、激しく唸り声を上げる。
成瀬は優しく微笑むと、高瀬の背中に手を回し撫で始める。ゆっくりゆっくりと、大きな背中を上から下に手のひら全体で温めた。
「怖いですよね、誰かを傷つけるのが。苦しまないでください。俺は傷つきません」
成瀬の言葉に、高瀬の鋭い眼光が和らいだ。固いコンクリートに成瀬を押さえつける手からも力が抜ける。動くようになった肩で成瀬はさらに大きく高瀬を撫でた。
「大丈夫、もう怖くないです」
高瀬の目にはジワリジワリと涙が浮かんできている。口は閉じられ、牙は見えなくなった。
ポタリと成瀬の頬に雫が落ち、肩口に高瀬の顔が埋まってきた。
「もう、大丈夫ですよ。高瀬さん、あったかいですね」
ふぅふぅと高瀬は呼吸を続けていたが、やがてスゥスゥと落ち着いた呼吸音が聞こえてきた。
眠った高瀬を救急車へ乗せて、成瀬も同乗した。神谷は、久しぶりに半獣化した影響で、なかなか元に戻らないからと、一緒に病院へ向かうことにした。
「よく寝てるね、この子は」
まるで子供の癇癪を治めたかのように神谷は深いため息を吐いた。
成瀬はストレッチャーに横になる高瀬の頭を穏やかに撫でる。
そんな二人を見ながら、神谷の狼の耳はピクピクと動きフサフサの尻尾も揺れた。
「君の手はシンシアのなんなんだろうね。ちょっと僕も撫でてみてもらえない?半獣化治らないかな」
「え、あ、はい」
成瀬は神谷の頭に手を置き、優しく撫でる。上司をこんなに撫でるって、どうなんだろう。ふと神谷と高瀬の日常を思い出し、成瀬はなんとも言えない気持ちになった。
「うん、分からないね。優しい手だとは思うけど」
神谷は半獣化したままだ。ふわふわの自分の尻尾を腹の前に持ってきて、手櫛でとかすように撫でていた。
「すいません」
全く謝る必要はないのだが、成瀬はそっと神谷の頭から手を離す。
「う~ん、君の手はシンシアにだけ特別なんだろうね。僕は妻の手の方が良い」
「そうですか……」
神谷の冗談に、成瀬は軽く笑う。
「あのね、君たちの関係は、獣人の中でもとても珍しい。いや、見たことも聞いたこともない」
神谷が真剣な目で話し始めたから、成瀬はしっかりと向き合った。
「これが良いことなのかどうなのか僕には判断できないけれど、さっきのシンシアを見ても、成瀬くんは怖くないかい?」
「はい。怖いことなんて何も」
成瀬は間を空けずに答える。慈しむような目を高瀬に向け、高瀬の頬を撫でる。
「俺は、高瀬さんが好きです」
「ははっ、それは、シンシアに言ってあげて」
神谷は成瀬の言葉に涙が出そうだった。自分の役割から解放されるからじゃない。ただ、単純にシンシアの幸せがすごく嬉しかった。
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