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第24話 好きと言うだけでは伝わらない思いがあるみたいです
満月がふんふんと鼻を近づけてくる。
朝ごはんをあげて、抱き上げ、成瀬はちゃぶ台の前に座った。
自分のご飯は作る気もしない。
「満月……もう、ダメかも俺……仕事行きたくない」
ちゃぶ台に突っ伏して、ただただ満月を撫でる。そのうちに静かな寝息が聞こえてきた。
ギリギリの時間まで家で粘り、成瀬は駅までダッシュした。朝からすでに暑い季節。会社に着く頃には汗だくになっているだろうが、もうどうでも良かった。
始業前のおにぎりは無い。
汗を拭きながら鞄の中身をデスクに出していると、朝礼が始まる。
低く綺麗な声が成瀬に届くが、顔を上げることができない。見たら泣きそうだからだ。
お客様カウンターに出て、すぐに接客が始まり成瀬は少しホッとした。
神谷は昨日の疲れを見せつつも、気分良く出勤した。
高瀬と成瀬の距離が若干気になったが、ギリギリに出勤して、朝礼中も顔を上げない成瀬の様子に、昨日は二人で帰して良かったと自分を褒める。
だが、高瀬の様子がおかしい。あんなに成瀬が照れたような素振りをしていたのに、すこぶる機嫌が悪い。おそらく周りにはいつも通りに見えているだろう。
高瀬は、昨日の騒ぎを一人一人に謝って行っている。この営業所は理解ある人達ばかりで良かった。
チラチラと感じる三浦の視線だけは少し気になるが、まぁ大丈夫でしょう。
全員に謝罪を終えた高瀬を神谷が手招きする。途端に高瀬はぶすっとした子供みたいな顔になった。
「昨日はどうだったの?」
「体調は問題ありません。すみませんでした。神谷さんは怪我……」
「違うよ」
「…………………」
高瀬は奥歯を噛み締める。
いつもクールでポーカーフェイスで、綺麗な金髪の男は、神谷の一番下の子供のように唇を震わせ、泣くのを耐えているようだった。きっと、高瀬の家に二人きりだったら、抱きつかれて泣かれていただろう。久しぶりにこの子のこの顔見たな。
しかし、昨日の様子から一転しすぎていて、神谷は多少混乱していた。
「えっと、ハートブレイクしてない?」
高瀬は答えない。
「まだ成瀬くんを傷付けたくなくて、受け入れないの?」
「………………」
返事無し、それなら……いや、まさか……でも……。
「……フラれちゃったの?」
ズズっと鼻を啜る音が聞こえた。あれ、この子いくつになったんだっけ?
「ごめんね、仕事戻っていいよ」
高瀬は沈んだ顔のままデスクに戻り、外出の準備を始めていた。
昨日の救急車の中での成瀬の笑顔はなんだったのか。
神谷には全く分からず、思わず成瀬を捕まえて匂いを嗅ぎたい衝動に駆られたが、落ち着こうと首を振った。
二人の問題に、外野は深く踏み込まない方がいい。
その日の終業時間、成瀬はあえて高瀬のデスクに挨拶をしに行った。
「お先失礼します。主任」
オフィスの空気は一段下がり、皆高瀬の為にそそくさと退勤をしていった。
呼び名を主任に戻し、敢えて高瀬と距離をとり続ける日々を送っていた。
そこに、レオニアが来店した。
「いらっしゃいませ。今主任を……」
成瀬がオフィスに行こうとすると、レオニアに止められた。
「今日は君に用があったから。もう仕事終わる?夕飯一緒に食べに行こう」
「え……はい……」
レオニアに連れて行かれたのは、手頃なイタリアンだった。
高級店に連れて行かれたらどうしようかと思っていた成瀬はホッとした。
レオニアはまず、この前の満月の日の事を謝罪してきた。
「や、やめてください!」
テーブルに額がつくほど頭を下げられ、成瀬は恐縮する。
「弟の失態だ。いや、新薬を飲ませていたのに神谷さんに任せきりだった。本当に申し訳ない」
「いいんです。俺は何もされていませんし、誰も傷ついていない。もう、良いんですよ……」
成瀬は前菜のサラダにフォークを刺しながら、顔を上げられない。
「シンシアをフったって聞いたんだけど」
「えっ?」
どこから、誰からと成瀬は慌てる。レオニアに情報を流すのは神谷しかいないのだが。
「フってません!……フってなんて……いや、あれは……俺がフったんですかね……」
成瀬はフォークを置き、今にも泣き出しそうな顔をする。
「あ、あぁ、いや。聞いた話だけだからなんとも……泣かないで」
レオニアは慌ててハンカチを取り出し、成瀬へ渡す。
下げた肩に優しく触れられ、成瀬はゆっくり顔を上げた。
「もう、涙なんて出ませんよ」
そうして、またフォークを持ちサラダを口に運び始めた。ヤケ食いのような衝動にも見える行為に、レオニアはハンカチをポケットにしまう。
「君には、助けられている」
「俺は何もしていません。もう、させても貰えません」
高瀬に払われた手を思い出し、成瀬はグイッとワインをあおった。酸味が強く高瀬が用意してくれたワインのような甘さは無かった。
「いや、成瀬くんはシンシアの救いだ。今後も、シンシアを支えて欲しくて、厚かましいとは思いつつも今日はご飯に誘わせてもらった」
レオニアは悲痛な顔で成瀬に懇願する。そんなレオニアを見ても成瀬の心は動かなかった。
「俺には……俺が、シン……主任を傷付けたんです。もう、できる事は近付かない事です。レオニアさんも言っていたじゃないですか」
そう成瀬の目は諦めと共に決まっていた。
「僕は、もうシンシアに遠慮も諦めもして欲しくないんだ。僕の身体が弱いせいでずっと我慢をさせてきた」
レオニアは懺悔をするように、弟を想い言葉を繋げる。
「そこに、君が、抑制剤よりもシンシアを落ち着かせられる君が現れた」
成瀬は目を伏せる。
「俺は、薬ほど万能ではありません」
「あ、いや、ごめんね。そういう意味じゃなくて……」
「主任を傷付けて、衝動を助長させて、主任から拒否をされた身です……距離を置く方が主任の為ではないですか」
成瀬の目には光が無い。レオニアは消えそうになっている温もりを守りたくて、慌てて立ち上がり、成瀬を抱きしめた。
「成瀬くんだって傷付いてるじゃない」
抱きしめた成瀬の髪から哀しい匂いがした。離れる選択を示唆したのは自分だが、この二人にはそうなって欲しくなかったから敢えて言った言葉でもある。
そんなことないと笑った成瀬の顔に酷く安心していた。一体何があったのか。自分は何をしていたのか。
レオニアは自分の非力さを責め、呼吸が浅くなる。
「レオニアさん、苦しいんじゃないんですか?」
成瀬がそっとレオニアを離すように心臓に触れた。
「大丈夫。でも、自分が不甲斐なくて苦しいよ」
「それは……俺もですよ……」
出勤前の早朝、けたたましく鳴る玄関のインターホンに高瀬はネクタイを締めながら扉を開けた。
そこには思った通りの相手が憤怒していた。
「なんでお店に来ないのよ!!」
「どうやってオートロック抜けてきた」
時刻は日が昇った直後、まだまだ人が動く時間じゃない。
「早朝ラジオ体操のおじいちゃん達とすれ違ったのよ」
すっぴんでも綺麗な顔のルルは、悪びれもせずに玄関に入り込んでくる。
「で、どうしてお店に来ないの?」
「……べつに……」
「なに、昔の約束忘れたの?」
「……約束?」
「ちょっと!辛い時はお互い楽に相談出来る相手でいようって、半月に誓ったでしょ?」
その約束は高瀬も覚えている。それが当時救いだったから。しかし、今高瀬の置かれている状況を何故ルルが知っているのか。
「…………なんで」
「え?あんたが辛いこと?満月の日に、もっと辛い顔してケンちゃんがお店に来てたのよ」
「は?」
「あぁもう、ちゃんとケンちゃんの話聞いた?自分ばかり傷付いてるんじゃないわよ!」
ドスドスとルルは足音を鳴らしてリビングへと入っていく。
「静かにしろ。何時だと思ってるんだ」
「……こんな時間から仕事?」
「出張だ」
「ふーん」
ドカリとダイニングの椅子に座り、無言で座れと高瀬に圧をかけてくるルル。ダイニングテーブルの端に高瀬が飲まない、飲みかけのワインのボトルを見つけると、目を細めて睨んでくる。
「俺は成瀬を傷付けたくない。成瀬ももう俺に愛情は無い。庇護欲も無いさ」
「はぁ~~?」
ルルは早朝とは思えない声量で責めてくる。
「だから騒ぐな。俺はもうただの上司だ。呼び方も戻された」
「あ・ん・た・ね~」
ルルの剣幕が獣人のそれに似てきたが、フッと力を抜くと、テーブルのワインを手に取った。
「未練がましく置いてるなら、今全部飲んでやろうか?」
ザワッと高瀬の背に怒りのような感情が触れた。
「そんな顔するくらいなら、ちゃんとケンちゃんと話しなさいよ。傷付いてるのはシンシアだけじゃないの!」
「………………怖がらせるだけだ」
相変わらず自己否定するこの癖に、ルルは童顔の青年も思い出し舌打ちをしたくなった。
「怖いのはシンシアだけだろ!」
バシンとルルはテーブルを叩き、部屋にその音が響いて消えた。
「は?」
高瀬は随分と間の抜けた声を出した。思考が停止している。ルルとの会話を思い出しながら情報を整理しようとした。
ーバシンー
また、音がした。高瀬は成瀬の部屋に続く壁を見る。
「え、何?どうしたの?」
ルルには聞こえないらしいその音は、隣のウサギからの苦情だろう。
「悪い、時間だ」
「は?え?ちょっと、こんな時に仕事優先するの?」
「こんな時だからだ。しばらく考えたい」
「ちょっと、まだ話し足りないのに」
高瀬は騒ぐルルのシャツの裾をそっと掴むと、玄関まで引っ張っていった。
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