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第27話 満月の夜、恐怖よりも信じたいものがあった
次の日、朝から風が強かった。台風は思ったよりゆっくり進んでいるようで、イベントは予定通りに行われた。
昨日同様に、子供を相手に目一杯遊ぶ成瀬。
気付けば、成瀬を交えてお客の子供に近所の人達もが竹とんぼの飛ばし方を教えていた。今後、ここの別荘を買うお客にはとてもプラスになる光景だろう。
高瀬が温かく見守る横で、昨日高瀬を呼び出した他店の支店長が羨ましがっていた。
「良いねぇ、ああいう子うちにも欲しいよ。次のイベントも手伝って貰おうかな」
「そうですね。色々経験させてやってください。なんでも全力でやりますよ」
高瀬は言いながら、本当にいい営業マンになるだろうと、数年後の成瀬を思った。
風が強くなり、成瀬は子供達を室内へと案内した。そこでは、台風情報を見て高瀬や他店の支店長が難しい顔をしていた。
どうやら色々なところで電車の運休が出始めているようだ。
「お客様には楽しんでもらっているけれど、もう閉めたほうが良さそうだね」
全ての客を見送った後、撤収作業を始めたが、あっという間に暴風雨になってしまい、急遽明日に作業を行うことになってしまった。
ホテルに戻った高瀬は、明日予定していたアポの引き継ぎを急いで神谷にしている。成瀬は特にやることはないので、ルルに満月の世話をお願いしたいと電話を一本入れた。
翌日の撤収は、とにかく手を動かすしかない作業だった。素早く動けるようにと、成瀬は腕時計を外し梱包搬出作業に加わった。
作業が終わったのは昼過ぎ。ところが、営業所に報告の電話をしている高瀬の表情は曇っていた。
「今、こっちの方が暴風域で電車が止まっているんだ。多分帰ってきても途中で足止めになっちゃうと思う」
「そう……ですか……」
「そっちは晴れてるの?」
神谷は不安げに聞いてきた。
「…………はい……」
「そっか……大丈夫そう?」
「……………」
高瀬は即答は出来なかった。
今夜は満月だ。
成瀬と気持ちが通じ合えたが、その相手を前に満月の夜にどこまで自制できるかわからない。
「高瀬さん?」
電話の内容は聞こえていないだろうが、深刻な顔をしてる高瀬の手を、成瀬がそっと握ってきた。
「神谷さんだ。変われって」
高瀬にスマホを渡され、成瀬は耳に当てた。
「成瀬です」
「あぁ、シンシアを頼めるかい」
高瀬よりも深刻そうな声が聞こえた。成瀬は務めて明るく声を出す。
「大丈夫です。信じてますから。俺たちはもう何も怖くないんで」
どこかの青春ドラマのようなセリフだと、言ってから気付き、成瀬は顔を赤くした。クククッと声を殺して笑う神谷の声がした。成瀬は苦笑しながら電話を切り、高瀬にスマホを返す。
「満月は大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。一緒に……いてくれますよね……」
成瀬は多少不安になりながら高瀬を見上げた。しかし、高瀬は呆れた顔をしている。
「違う。もう一泊するんだ。ルルに頼んでおけってことだ」
「え?そっちの満月?え?もう一泊?」
「お前は神谷さんに何を言われたんだ」
色々な話がつながって、成瀬は神谷に言った言葉を思い出し、多少パニックになった。
「交際宣言しちゃいました……」
「ふっ……はは、なら良い」
高瀬は成瀬の頭をガシガシと撫で楽しそうに笑っていた。
ホテルの部屋は問題なく延泊することができた。
成瀬は部屋に着いて、一息吐く。
明日までやることないな。
夜はシンさんのそばに……。
意識せずとも一昨日のキスを思い出す。
あの幸せな時間の続きを早くしたい。
成瀬はベッドに転がりながら、両手を天井に向け伸ばし、そこに高瀬がいる妄想をしてしまう。
今夜そばにいたら、どこまでされるのかな……。
二人だけの甘い未来を想像して、成瀬はニヤつく顔を抑えられなかった。
自分の両手を見つめ、ふと左手の違和感に気づく。
時計をしていない。
さっき外した時に会場に忘れてきたのだ。
明日はホテルからそのまま帰る。会場に寄ってる暇はないだろう。取りに行くしかないなと、成瀬は部屋を出た。
高瀬は長い引き継ぎ電話を終えると、成瀬の部屋に来た。扉を叩くが応答がない。高瀬はスマホを取り出して、成瀬に電話をかけた。
外は陽が傾き始め、オレンジの光に包まれている。
「成瀬か?今どこだ」
「時計忘れちゃって、会場に取りに来ていました」
「もう車も無いだろ。どうやって……」
「暇だったんで、ランニングでもしようかなって。山の中の道なら意外と近かったんで」
成瀬は呑気にガサガサと葉を踏む音をさせている。
「もう暗くなるぞ」
「もう直ぐホテルに着きますよ。暗くなる前に……」
「まて、誰かと一緒か」
成瀬の話し声の後ろから、動物が唸るような声が聞こえた。
「いや、一人ですけど……」
また聞こえる。高瀬は背筋が粟立ち、スマホの音に集中する。
2・3……
音からは複数の獣の気配がした。
「成瀬、位置情報を送れ。直ぐに行く」
それだけ言うと、高瀬はホテルの外へ飛び出した。
成瀬は、言われた通り位置情報を高瀬に送る。
一緒に散歩したかったのかな。でも、もう日が暮れるけど……。
高瀬の言動がよくわからなかったが、とりあえず、位置情報を送った場所から離れるわけにはいかないと木の根元に座り込んだ。木々の香りが心地よく、成瀬は深呼吸をする。
「地元帰りたいな……」
ぽそりと呟くと、ガサガサと草が揺れる音がして、多少身構える。
人?じゃないな。猪ならなんとか逃げられるか。熊だったら大人しくしていよう。
ガサガサとする音は、やがて成瀬を取り囲んだ。
野犬だ。これはまずいな。なんかいい匂いでもするのかな。それか、餌をやってる人がいるのか。もうすぐホテルに着くと言う場所で、野犬がいるということは街にもしょっちゅう出るのだろう。人は餌を持っていると知ってるな。
成瀬は身の危険を感じつつも、別荘地を買ったお客の危険を案じた。早々に何か手を打たないと。行政にも協力が必要だろう。
そんなことを考えていたら、しっかりと、犬の唸り声が聞こえるようになってきた。
何か餌を囮に逃げたいが、あいにく何も無い。
犬たちを刺激しないようにゆっくり立ち上がり、座り込んでいた木に登れないかと、そっと枝に手を伸ばしてみた。
瞬間、すごい力で抱きしめられ、犬たちが吠え始めた。
「し……シンさん……?」
成瀬を抱きしめる高瀬は、しっかりと半獣化していた。太陽が、あと一筋の光を山に向けているが成瀬にはほぼ暗闇で、高瀬の金色に光る目に安堵した。
高瀬は成瀬を自分の背に庇い、犬たちに向かって唸る。取り囲んでいる犬たちとジリジリと睨み合いが続き、先陣を切った一頭が高瀬に向かって噛みつこうと飛んできた。
ここは犬たちの縄張りなのだろう。圧倒的強者であろう高瀬に飛びかかってくるという事は、縄張りを守りたいのだ。
高瀬は犬を片手で振り払う。
力の差は歴然だ。それでも犬たちは引かない。
高瀬の方を見ていた成瀬は、取り囲む犬の一頭が、後ろから飛びかかってくるのに気がつかなかった。
慌てて腕でガードをするが、間に合わない。そう思ったら、体を後ろに引っ張られ、目の前に高瀬の虎の尻尾を見て、尻餅をついた。
高瀬の尻尾は興奮しているのだろう、ゆらゆらと揺れ、逆立っている。
グルグルと唸る高瀬の声が成瀬にも届く。威嚇する牙は、しっかり顔を出した満月に光り、犬たちがだんだんと距離を取り始めた。
一際低い咆哮が聞こえ、サッと犬たちの足音が遠ざかっていった。
「シンさん……」
成瀬は、そっと声をかけるが、届いていないのだろう。警戒を解かず、興奮している高瀬にそっと近付いていく。
木々の隙間から満月の光が半獣化した高瀬に降りそそぎ、その姿はとても綺麗だった。
成瀬が、優しく背中に触れ撫でようとしたら、高瀬の腕が一振り飛んできた。
体がふっ飛ばされていると気付いたのは、木の枝に右腕が打ち付けられた時。
体に衝撃を受けたのは、木の幹に叩きつけられてからだった。
「かはっ……うぐっ……」
一瞬、息が止まる。そこに高瀬が覆い被さってきた。
「シ……シンさ……」
肩を押さえつけられ、地面に押し倒される。息は戻ったが、苦しい。
枝に打ちつけた右腕は多分折れている。
高瀬は、成瀬に近づくとさらに興奮し始め、強く肩を握ってくる。
尻尾は揺れ、耳は伏せ、牙は唾液を纏って濡れている。
このままでは肩も潰される。
高瀬越しに見える満月は煌々と光り、半獣化した体のシルエットが浮かび上がった。
成瀬は本能的に恐怖を感じる。しかし、金色に光る瞳だけは揺れていることに気付いた。
「シンさん、怖くないです。俺は怖くない。シンさんがそばにいてくれれば怖くない」
動く方の左手で背中を撫でようとするが、成瀬の体は怖がっているのだろう、震えるだけで動かすことが出来なかった。
高瀬は息を荒げながら、成瀬の首筋に口を近づけてくる。成瀬は噛まれることを覚悟するが、なかなか痛みは感じなかった。濡れる牙から、唾液が成瀬に落ちる。
「グゥ……グルっ……ゥ……」
金色の瞳が揺れながら、涙を浮かべていた。
苦しそう……。
「辛いですか?」
高瀬のために傷つかないと宣言したが、理性を保つのが辛いのであれば、自分の身体は好きにしてくれて構わない。
成瀬はそう思い、体の力を抜いた。
高瀬の涙がポタリと落ちて、肩口に歯の当たる感触がした。
「いっ……」
痛みを感じたら左手が動くようになった。
成瀬は高瀬の背に手を当てて、ゆっくりと撫で始める。
「大丈夫です。大丈夫……あったかいでしょ?」
高瀬の口が離れ、成瀬と目が合った。
ニコリと笑いかける成瀬に、高瀬の顔は驚愕に満ちていった。
「あ……あ……あぁ……」
頭を抱え、高瀬は成瀬に跨ったまま涙を流す。
成瀬は右手が痛むが、ゆっくり体を起こして高瀬を左手で抱きしめた。
「大丈夫です。歯形がついたくらいで……」
成瀬の言葉に首を振り、立ち上がろうとする高瀬。
その腕を成瀬は掴み、見上げる。
逃げようとする腕の力は強いが、成瀬は離さなかった。
「離れないでください。離れていかないで……」
成瀬の目にも、涙が浮かぶ。
懇願するように声を振るわせたら、高瀬はゆっくりと成瀬を抱きしめ、啜り泣いた。
月の光は、柔らかく木々の影を地面に落としていた。
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