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第29話 二人だけの魔法の言葉を決めました
季節は秋、まもなく宅地建物取引士の試験だ。
成瀬の右腕はまだあまり動かせないが、試験日は近づいている。
高瀬が生活の世話をしながら勉強を教え、成瀬はようやく合格ラインになってきていた。
「ナルは左手でも字綺麗だよな」
「そうですか?子供の頃に練習したんですよ。両利きになるって流行りませんでした?」
「あぁ~やった記憶はあるな。俺は身に付かなかったけど」
懐かしい話をする成瀬と三浦のところに、高瀬と神谷が入ってきた。
「なんだそれは」
「男の子の不思議なところだよね~。うちの小学生の子もなんか頑張ってるよ」
成瀬と三浦と神谷のうなづく姿に、高瀬だけが不思議な顔をしている。
「格好いいのか?使えたら便利だからって練習するならわかるが」
悩む高瀬に、三浦はわかりやすい小学生ムーブの例えを出す。
「主任は目からビーム出す魔法の練習とかしませんでした?」
三浦は、眉に指を当てて目を細める。
「あっ、やりましたやりました!出るわけないのに、木とかに向かって真剣に練習しました!」
成瀬は無邪気に笑いながら、三浦と同じポーズをとって高瀬に向くが、何も反応がない。それならばと、神谷にもやってみる。
「あぁっ……やられた~」
「ははっ、支店長やられ役プロですね」
「子供達にやられてるからね」
「……真剣に練習?」
フランス育ちに日本の中二文化を理解するのは難しいようだ。
「はい、じゃあ朝礼しようか」
神谷が高瀬の肩を叩きながら社員を集め出す。
片手が使えない成瀬は、営業車の運転もできないため、お茶出しと電話対応、子供がいるお客の時だけ内見同行という形で業務にあたっていた。
時折、高瀬の商談の場に同行させてもらうこともあったが、商談というのは専門用語が多く成瀬はただただ聞いているだけだった。
しかも、日本人だけが相手ではない。先日勉強だと連れて行かれた時は、すべての会話が中国語でさっぱりわからなかった。それでも何も不自由なく話す高瀬を改めて尊敬した。
そんな成瀬の今日の仕事は、営業所の消耗品の買い出し。重いものは無理しないでと事務の女性スタッフに言われたが、左手は普通に使えるのだ。
車内清掃用に使う雑巾の洗濯洗剤や、お客用の茶葉、ちょっとした茶菓子に子供対応用の飴やパックジュースなど。大した重さではない。
女性スタッフに渡されたメモと、買い物かごにエコバックを入れてスーパーの中を歩く。
「あれ、成瀬さん?腕どうしたんです?」
振り返れば、熊のように大きな丸い体の男が立っていた。
「熊田さん、ちょっと折っちゃって……」
まさにそのままの名前の男は、成瀬が飲食店の物件を探した獣人のお客だった。右手を振りながら笑うと、熊田は丸い顔をクシャリと笑みに変えながらも心配してくれた。
「熊田さんこそ、どうしたんですか?お店は?」
「おかげさまで、先日オープン出来ました。サービスするんで、今度来てください」
「本当ですか?!わぁ、良かったです」
獣人は物件を借りる際、不利になるという見えない差別の中、成瀬が探しだし、オーナーを説得して契約できた物件だ。熊田は契約の時に何度も感謝を伝えてくれた。そのお店がオープン出来たなんて成瀬としてはかなりの朗報だった。
「あ、でも、フレンチだと、俺、マナーとかよくわからなくて……」
「そんな気取った店じゃないですよ。普通にTシャツで来てくれて構いません」
大きな体で、穏やかな小さな目を細め、熊田は電話してくださいねと、大量の食材を買い込んでいった。
シンさん誘ってみようかな。あ、いやどうせなら営業所のみんな。いやいや、フレンチで宴会は出来ないか。ん?出来ないのかな?だったら実際に契約してくれた佐伯さんとか、三浦さんは誘うべきかな。
成瀬は考え事をしながら品物を選び、案の定、茶葉のメーカーを間違えた。女性スタッフには同じお茶なら問題ないと言われたが、頼まれた買い物も満足にできないなんて、子供のようで情けない。いつもよりグレードの下がった茶葉を女性社員は棚へとしまっていた。
「ナル、お茶美味しかったって。今のお客に言われた。安い茶葉買っちゃったって言ってなかった?」
「はい。でも良かったです」
「何、何か魔法使った?」
三浦は、朝のビームの格好で笑う。
「いや、俺の母親が熱湯で淹れれば安いお茶は美味しくなるって言ってて、うちの実家の淹れ方しただけです」
「へぇ、お前生活力あんのな」
「自分の家じゃ淹れませんよ?」
三浦は話しながら、何度かビームを撃ってくる。成瀬も左手だけで応戦した。
「あ、そうだ。三浦さん。熊田さんのお店オープンしたって。さっきスーパーで会ったんです」
「おう、そうだった。お前イベント行ってたから誘えなかったんだよ。台風の日に営業所も早く閉めて佐伯さんと軽く飲みに行ったんだ」
「えっ?!ずるい」
「しょうがないだろ」
「えーじゃあ、また行きましょうよ」
「おう、良い……ぁ、俺は遠慮するわ。主任と行ってこいよ」
成瀬の後ろを見て、急に意見を変え、三浦はそそくさとお客様カウンターに戻っていった。
「楽しそうだな」
「あ、し……主任」
「あぁ?」
成瀬は低い声に振り返り、思わず名前で呼びそうになって役職名で誤魔化した。呼んだ瞬間に不機嫌そうに返事をされたが、気にしない。
「あの、熊田さんのお店に行きませんか。今日の夜」
「あぁ、わかった」
二つ返事の高瀬の表情は笑顔になっていた。
熊田の店は、大通りを少し外れた路面店。席数もそこそこにあり、アルバイトや社員も数名雇っているそうだ。フレンチだがとてもカジュアルな雰囲気で、成瀬は安心した。
カウンターから見えるオープンキッチンでは、大きな体で繊細な料理を作る熊田と、熊田の奥さんの、かなでが洗い物やドリンクを作っていた。
フレンチでカウンター席も珍しいと思ったが、最近の流行りらしい。
「急にすいません」
「いえいえ、席空いていたので嬉しいですよ」
熊田は笑いながら次々と料理を作っている。カジュアルな雰囲気だが、料理は高級店のようで、どうナイフを入れれば良いのかわからないものもあった。
「あー、すいません。良かったらカットしましょうか。そしたらフォークだけで食べられますよね」
かなでが、成瀬の腕を見て皿を引っ込める。細身で明るく気さくな雰囲気の女性だ。すぐに熊田にカットをお願いしてくれた。
二人並ぶと美女と野獣……なんて言ったら失礼かな。
それでも成瀬には素敵な夫婦に見えた。
「それ、何しちゃったんですか?利き手ですよね?」
「あまり詮索することじゃないぞ」
かなでは何気無しに聞いてくる。その後ろで熊田が嗜めるように言った言葉で、かなでは色々と察したようだ。
「ごめんなさい。あなた達も獣人と人間のカップルなんですね」
「カッ……ぷる……」
ニコリと優しく笑うかなでに、成瀬はフォークで刺した肉を落とした。
高瀬は目を伏せながらも肯定した。
高瀬の反応に、かなでは成瀬の怪我の理由も察したようだ。
「仲良しなんですね」
可哀想とか思われたかと思ったら、意外な言葉が来た。
「あ、はい」
成瀬は嬉しくなって素直にそう答える。成瀬の反応に高瀬も硬い表情を崩した。
「なら、この店の救世主の成瀬さんと、成瀬さんが大好きな彼のためにワイン一本サービスしちゃいます。あなた、良いでしょ?」
「もちろん」
かなではワインを持ち出し、軽快にコルクを抜いた。甘口で飲みやすい、成瀬の好きな味だ。
「かなでさん、俺の好みどうして知ってるんですか?」
「え?ん~、なんとなくですね。お好きな味でした?」
「はい。この前にシンさん、あ、高瀬さんにもらったものに似てます」
「そうなんですか。高瀬さん優しいですね」
「そうなんです。優しいし、格好いいんです」
成瀬が饒舌になってきて、成瀬の空のグラスにかなでがワインを注いだ。高瀬は、苦笑しながら、ゆっくり飲めと水を差し出す。
「言い切れるって素敵です。私たちは、最初は怖いがあったから」
「え?こんなに仲が良いのに?」
かなでは何かを思い出すように、腕を握った。きっと、かなでも成瀬と同じような怪我をしたことがあるのだろう。成瀬は何も言えずにかなでの言葉を待った。
「今はね、とってもラブラブですよ。怖いことなんて何もない。二人だけの愛言葉が守ってくれるんで」
パッと明るい笑顔になったかなでは、料理中の熊田の腕に自分の腕を絡めた。
「おい、危ない」
「へへ、ごめんね」
そんな簡単なやり取りでさえ、日々を共にしてきた空気を感じて成瀬は羨ましくなった。
正直、次の満月は少し怖い。
自分に危害があるという事ではなく、高瀬にはもう傷付いて悲しんでほしくない。でも、成瀬にできることは、何も無い。
「あの、失礼でなければ、合言葉とは何の事か教えてもらえないでしょうか。俺は、抑制剤が使えない体質なんです」
今までほとんど言葉を発しなかった高瀬が、食い気味にかなでに問いかけている。その様子に成瀬は驚く。高瀬は成瀬を見て、そっと頭に手を置いた。
「こいつを、ケンを……もう傷付けたくないんです。それを怖いと思う事もしたくない。ずっとそばに居たいんです」
「……シンさん……」
成瀬はツンと鼻に痛みを感じた。嬉しいはずなのに、じわりと涙が浮かぶ。泣かないように瞬きをして、真剣な目でかなでをみる。
「俺も、知りたいです」
熊田は優しい目で、デザートをカウンターに置いてくれた。
「もう大丈夫そうだと思いますけど、かなで、教えてあげたら良い」
「そうですね」
かなでが言うには、半獣化してお互いに怖いと感じたら、大丈夫と言う意味を込めて愛言葉を言うと決めたそうだ。
「不思議とね、魔法みたいに怖さが無くなるんです。しっかりと相手を見られるんです。だから、ラブの意味を込めて愛言葉って呼んでます。言葉でも仕草でも二人にとって意味のあるものなら良いと思うんです」
「魔法……」
成瀬の脳裏に、三浦と遊んだビームが浮かんだ。真剣な顔で指を眉に持っていき、流石に違うと首を振る。
「ふっ……」
そんな成瀬の行動を見て、高瀬は吹き出した。何を考えていたのかバレたのだろう。
「あ、違いますよ?ちょっと魔法って聞いたから思い出しただけで」
子供のように赤くなる顔で、必死に言い訳をしてくる成瀬が無性に可愛く、高瀬は抱きしめたい衝動に駆られる。しかし、ゴクリと飲み込んで、そっと成瀬の頬を撫でる。
「mignon……」
素直に思った言葉だけは、我慢ができなかった。
「…………もう、意味わかりますから……」
耳まで赤くする成瀬は、高瀬の呟きを聞き取れていると口を膨らましながら照れたように拗ねる。
「だったら、この言葉でいいか?呟くたびに、この顔を思い出せる」
キスができるくらい、グッと顔を近づけてくる高瀬に成瀬は周りの目を気にする。
「こ、公共の場です」
「俺はフランス育ちだ」
何だか、今日の高瀬は意地が悪い。
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