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#39 中身のない封筒
重厚なマホガニーの扉の前で、ラビニアは必死に足を止めて抵抗していた。
「離せよ……! どうしてぼくが、院長の部屋にまで行かなきゃいけないんだよ!」
かつて自分がミンチンの愛人として囲われ、そして捨てられたその部屋には、ラビニアにとって屈辱的な記憶しか染み付いていない。しかし、アーメンガードは嫌がるラビニアの腕をギリッと力任せに掴む。
「いいから、ペットは黙ってついて来い!」
アーメンガードは、抵抗するラビニアをそのまま院長室へと強引に引きずり込んだ。
「院長先生。お呼びにより、推参いたしました」
アーメンガードは傲慢な笑みを浮かべ、後ろで俯くラビニアを見せつけるように胸を張った。自分がいかに強者であり、かつて院長のお気に入りだったラビニアを完全に服従させているか——その虚栄心を満たすためだけの、あまりにも無神経な振る舞いだった。
「……なんだそいつは?」
「あ、すみません。こいつは、ペットのラビニアです。おい! 院長先生にご挨拶しろ!」
強がるアーメンガードの言葉に、ラビニアは屈辱でギュッと唇を噛み締めた。かつて自分を弄んだ男の前で、今は別の男の『ペット』として見せびらかされる。これほど惨めで、ひどい仕打ちがあるだろうか。
「お前がどんなペットを飼おうが勝手だが、ここは私のオフィスだ。目障りだ」
冷徹に言い放たれたその言葉に、ラビニアの中で限界を保っていた何かがプツリと切れた。
「びどすぎる……!」
ラビニアはアーメンガードの手を振りほどき、大粒の涙を零しながら、逃げるように院長室を飛び出していった。自分がどれほど傷ついているかなど微塵も理解していないアーメンガードの無神経さが、ただひたすらに悲しかった。
——バタン、と重い扉が閉まり、室内には静寂が落ちる。
アーメンガードは気まずさを隠すように咳払いをし、院長に向き直った。すると、ミンチンは机の引き出しを開け、一通の『封筒』を机に放り投げた。
「この学園をクビになったフランス語教師のことは覚えてるか?」
アーメンガードの心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。
「……ムッシュ・デュファルジュ先生の、ことでしょうか」
「そのムッシュから、お前宛の手紙だ。……これはどういうことか、説明しろ」
アーメンガードは息を呑み、震える手で机上の封筒を手に取った。
(なんだこれは? デュファルジュからの手紙……? まさか、あの時僕がセーラのためにあいつに渡した手紙の返事か!?)※12話参照
嫌な汗が背中を伝う。確かに、デュファルジュにセーラの手紙を託したことはある。しかし、今更とは言えそれを院長に知られたくない。
「……い、意味がわかりません。僕にはなんの心当たりも……」
「とぼけるなよ。だが奇妙なことに、私が検閲した時、この封筒はすでに『空』だった。中身はどこへやった?」
ミンチンの氷のような視線が、アーメンガードを射抜く。
(空 !? そんなの知らない。僕はこの封筒の存在すら今初めて知ったんだぞ!)
頭の中で警鐘が鳴り響く。この疑り深い男が信じるわけがない。しかし、「本当に知りません」と馬鹿正直に答えるしか術はなかった。
「し、知りません! 本当に何も知らないんです!」
ミンチンは革張りの椅子に背中を預け、酷薄な笑みを深めた。
「……ほう。中身は知らない、か。ならば——」
ミンチンがさらに追及しようとしたその時、控えめなノックの音が響き、扉の向こうから秘書の声がした。
「院長先生、そろそろ次のお約束のお時間です」
ミンチンは懐中時計に目を落とすと、小さく舌打ちをして立ち上がった。
「……まあ良い。続きは今夜、私の部屋で聞いてやる。それまでの間、じっくりと自分の胸に聞いておくんだな」
ミンチンはそれだけ言い残し、足早に院長室を出て行った。
バタン、と重い扉が閉ざされる。一人取り残されたアーメンガードは、震える手の中にある『空の封筒』をただ呆然と見つめ続けていた。
◇
翌日の教室。
重苦しい空気が、生徒たちの間にねっとりと漂っていた。
「おい、見たか……今日のロッティ」
「ああ。やけにお腹のあたりがふっくらと……」
「まさか、あいつ妊娠したの?」
「って、あいつΩ(オメガ)だったの!?」
ひそひそとした囁き声は、さざ波のように教室全体へ広がっていく。
「ロッティがΩ(オメガ)なら、あいつと同じ部屋の連中も?」
「そういえば、生徒会長のアーメンガードも、最近様子がおかしいよな。同室のラビニアもげっそりしてるし……あいつら、揃いも揃ってΩ(オメガ)の集まりなんじゃないのか?」
◇
その日の夜。学園の消灯時間を過ぎた頃。
下働きメイド、ベッキーの私室に、ロッティは身を隠すように入り浸っていた。
「ベッキー……僕、怖いよ。みんなが僕のお腹を見て、ヒソヒソ笑ってる……」
少し丸みを帯び始めたお腹を抱え、ロッティはベッキーの胸に顔を埋めて震えていた。
教室での好奇と軽蔑の視線に、身も心もすり減らしているのだ。
「大丈夫だよ、ロッティ。あたしが絶対に守るから……」
ベッキーはロッティの背中を優しく撫でる。冷たく残酷な学園の中で、この狭い部屋だけが、彼らにとって唯一の温かい避難所だった。
◇
その頃、例の三人部屋。
(……今日もまた、院長のところか)
誰もいない空のベッドを見やり、ラビニアは小さくため息をついた。最近のアーメンガードは明らかにおかしい。院長への異常な執着と焦りからか、あの薬を乱用し、常軌を逸したヒートを持て余している。
(いくらなんでも、あいつ……最近やりすぎだ)
ふと、ラビニアの脳裏にある記憶が蘇る。それは以前、ミンチン院長から密かに手渡されていた『|Ω《オメガ》用鎮静チョーカー』のことだった。
暗闇の中で、ラビニアは手にしたその冷たい金属の首輪を、ただじっと見つめ続けていた。
つづく
39話グラレコ https://fujossy.jp/fanarts/8168
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「嘘をつけ! セーラのことを愛していると言え!」
氷のように冷酷な院長先生に、逃げ場のないベッドで何度も何度も組み敷かれて、激しく強要されて……。許してほしくて、ただこの苦しい時間を終わらせたくて、僕 はとうとう言ってしまったんだ。
次回、A-Little-Prince 第40話。
『愛してます……セーラを』
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