49 / 63

#48 セーラに連れ込まれるラビニア

「オメガどもにたっぷりと『指導』をしてやる」——新生徒会長となったジェシーの高らかな宣言は、決してただの脅しではなかった。 アーメンガードが完全に失墜したその日から、新生徒会による陰湿な虐めが、公然と行われるようになったのだ。ターゲットにされたラビニアを取り巻く環境は、一瞬にして地獄へと変わった。 恐ろしいのはジェシーたち生徒会だけではない。新権力者の顔色を窺うクラスメイトたちもまた、露骨にラビニアを避け、彼らが嫌がらせを受けるたびに同調してせせら笑うようになったのだ。学園全体が、弱者となったオメガを嘲笑う異様な空気に包まれていた。 ◇ 冷ややかな空気が漂う中、ラビニアは足早に歩を進めていた。すれ違う生徒たちは、ラビニアの姿を認めるなり、まるで汚いものでも避けるかのようにサッと道を空ける。そして通り過ぎた直後に、背後からクスクスというくぐもった嘲笑が波のように追いかけてきた。 肌を刺すような孤独と、逃げ場のない疎外感。昨日まで自分が権力者として平然と「作っていた」空気が、今は完全に反転して自分に向けられている。その事実に、ラビニアは息が詰まるような焦燥感を覚えていた。 周囲の視線から逃げるように角を曲がり、トイレに向かおうとした瞬間だった。 ラビニアの心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。そこには、獲物を待つ獣のように、ジェシーと数名の生徒会メンバーがヘラヘラと笑いながら立ちはだかっていた。 行く手を完全に塞がれ、下劣な笑いを向けられる。 (……この状況) いつだったか。アーメンガードがセーラを追い詰めていたあの時だ。トイレを封鎖し、生理的な限界まで追い込んで、尊厳をズタズタにする……。あの日、自分がどこか他人事のように傍観していた「指導」という名の拷問が、今、寸分違わず自分に向けられている。 (次は、水を無理やり飲まされる番か? それとも、そのまま「漏らした異常者」として晒し者にされるのか……?) ラビニアは屈辱に震え、奥歯が鳴るほど噛み締めた。自分がかつてセーラたちにしてきたことの報いなのだと分かっていても、込み上げてくる情けなさと恐怖に視界が滲む。 「……っ、どけよ!」 周囲のギャラリーから、クスクスと下劣な笑い声が漏れる。 「どけって言われて退くわけねーだろ」と嗤うジェシーの顔を見て、ラビニアはギリッと唇を噛み締めた。このまま強行突破しようとすれば、間違いなく暴力でねじ伏せられ、それこそ無惨な姿を晒すことになる。 屈辱に顔を歪めながら、ラビニアは踵を返した。限界の近い下腹部を抱えるようにして、這うように教室へと戻るしかなかった。 しかし、本当の地獄は、そこから始まる。 チャイムが鳴り、休憩時間が訪れるたびに、絶望が押し寄せる。ジェシーたちは徒党を組み、学園中のすべてのトイレに先回りしては、ラビニアが来るのをニヤニヤと待ち構えていたのだ。逃げ場など、最初からどこにも用意されていなかった。 授業中、とめどなく冷や汗が背中を伝う。下腹部が張り裂けそうな痛みに悶えながら、ラビニアは誰の目も見れず、助けを求めることすらできなかった。 そして、……とうとう、その時は来てしまった。 冷たい石の床に生温かい水滴が落ち、小さな水溜まりが広がっていくのを見た瞬間、廊下に爆発するような下劣な嘲笑が響き渡った。 屈辱で頭が真っ白になる。両手で顔を覆い、自分に向けられる嘲笑の渦から逃げるように、ただ無我夢中でその場を走り出していた。教室に戻ることもできず、誰の目にもつかない暗がりへと、ひたすらに逃げ隠れたかった。 ◇ 息を切らし、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら辿り着いた薄暗い階段の踊り場。冷たい壁に背を預けて泣き崩れていたラビニアの頭上から、不意に声が降ってきた。 「……ラビニア」 見上げると、階段の上にセーラが立っていた。 「……ついてきな」 セーラに手を引かれ、息を潜めて辿り着いたのは、あの屋根裏部屋だった。 そこは、窓の隙間から吹き込む冬の風が容赦なく体温を奪う、氷室のように冷え切った空間。「屈服し、心まで捧げるならここから出してやる」というミンチンの傲慢な慈悲を拒絶し、セーラが自らの矜持を繋ぎ止めるために留まり続けている、彼女にとっての唯一の聖域であり、孤独な檻。 セーラはこの世で自分だけが持っているその最果ての場所へと、震えるラビニアを静かに招き入れた。 「これで拭いて、着替えるといいよ」 そのあまりにも静かで優しい気遣いに、ラビニアの中で張り詰めていた糸が完全に切れた。 「……ごめん。セーラ、本当にごめん……!」 ラビニアは震える両手で顔を覆い、床に膝をついた。 今まで自分がどれほど残酷なことをしてきたか。そして、自分が傍観し、力を失ったせいで、目の前の気高い彼がどんな目に遭わされたか。 後悔と自己嫌悪でさらに言葉を紡ごうとしたラビニアの唇を、セーラの人差し指がそっと塞いだ。 「……しっ。もう喋らなくていいよ」 セーラは静かにしゃがみ込むと、泣き崩れるラビニアの頭を、まるで哀れな仔犬を労るようにゆっくりと撫でた。 「セーラ……ッ、セーラ……!」 もはや理屈など必要なかった。ラビニアは縋りつくように、セーラの身体を強く抱きしめた。 開いたシャツの襟元から覗く、ミンチンに刻まれた凄惨な『番の痕』。それを見ても、ラビニアの心に躊躇いは生まれなかった。ただ一心に、どん底の自分を受け入れてくれた目の前の光に触れたかった…… 階下では、何事もなかったかのように午後の授業が進んでいる。——しかし二人はそのすべてをすっぽかし、冷え切った屋根裏部屋でただ互いの体温を貪り合った。 遠くから、授業の区切りを告げるチャイムの音が、一度、二度と響いては消えていく。その無機質な音色をどこか遠い世界の出来事のように聞き流しながら、ラビニアは狂おしいほどにセーラを求め、幾度も愛し続けた。 凍えるような孤独な檻の中で、重なり合う二人の熱と荒い吐息だけが、いつまでも深く溶け合っていた。 ◇ 事後。 嵐のような激しさが過ぎ去り、冷え切った屋根裏部屋にふたたび深い静けさが戻ってくる。熱に浮かされていた脳がゆっくりと冷え、代わりに凪のように透き通った思考が満ちていく——それは『賢者の刻(タイム)』の訪れだった。 情欲が引き果てたあとに特有の、奇妙なほどの感傷と痛いようなヒロイズムに突き動かされるように、ラビニアは語る。 「……セーラ。いつか必ず、僕がお前をミンチンから救い出してやるからな」 耳元で、縋るような、けれど決然とした声が響く。 しかし、その胸に抱かれたセーラは、静かに首を横に振った。 「……ううん。いいんだよ、ラビニア」 「え……?」 「僕はもう、あの人の『番』だから。これが僕の運命なんだ」 それは絶望でも悲嘆でもなく、ただ冷たい事実としてすべてを受け入れたような、凪いだ声だった。 言葉を失い、呆然とするラビニアの首に再び腕を回し、セーラはその耳元で甘く囁いた。 「……だけど、愛してるよ。ラビニア」 その気まぐれな一言は、どんな残酷な暴力よりも深く、ラビニアの心臓を貫いた。 救うことは許されない。ミンチンの番という運命を変えることもできない。ただ、この暗い屋根裏部屋でだけ、甘美な愛の言葉を与えられる。 それはラビニアにとって、一生逃れられない最も残酷な『呪い』だった。 つづく 48話グラレコ https://fujossy.jp/fanarts/8194 — 院長先生も生徒もいない冬休み。誰もいない冷たい学園に残されたのは、(ベッキー)とセーラ様だけだった。こっそり忍び込んだ院長室で高いワインを開けて……気がつけばあたしたち、ベッドで重なり合っていた。 でも、セーラ様の熱い身体を抱きしめながら、あたしの頭に浮かんだのは身重のロッティの顔。 次回、A-Little-Prince 第49話。 ……ごめんね、ロッティ。私、最低だ。

ともだちにシェアしよう!