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#53 セーラの誘惑に動じないアーメンガード
バレンティーヌスの祭日が過ぎてから数日。
冬の冷たい風が吹き抜ける中庭の片隅で、セーラは一人、柱の陰に身を潜めていた。
視線の先には、枯れ木の下で身を寄せ合うベッキーとロッティの姿があった。
ロッティがふざけてベッキーの鼻先をつつくと、ベッキーが困ったように、けれどこの上なく愛おしそうに微笑み返す。
誰の目から見ても、そこには確かな愛情と、互いを守り抜くという強固な絆があった。
「……よかったね、二人とも」
セーラは誰にも聞こえない声で呟き、静かに背を向けた。気高く身を引いたことに後悔はない。しかし、冷え切った廊下を一人で歩いていると、胸の奥にぽっかりと空いた巨大な穴から、冷たい風が吹き込んでくるような感覚に襲われた。
冬休みの間、ベッキーと肌を重ねることで辛うじて保っていた精神の均衡。その「魔法」が解けた今、セーラを包み込んでいるのは、凍えるような絶対的な孤独だった。
(……寂しい。誰か、僕を……)
その強烈な喪失感から逃れるように、セーラはある人物を誰もいない空き教室へと誘い込んだ。
◇
「いかが致しましたか、セーラ様」
恭しく頭を下げたのは、すっかりセーラの従順な下僕と成り果てたアーメンガードだった。
セーラは窓際の机に腰掛けると、自らの制服のボタンをゆっくりと外し、白い胸元を無防備に晒した。
「……ねえ、アーメンガード。僕、今すごく寂しいんだ。慰めてくれない?」
甘く、とろけるような声。かつて自分に告白のカードまで用意し、狂おしいほどの想いを寄せていた彼なら、この誘いに簡単に飛びついてくるはずだ。セーラは気まぐれで、アーメンガードの頬を指先でなぞった。孤独を埋めるための、残酷な誘惑だった。
しかし、アーメンガードはビクッとしたものの、決してセーラに触れようとはしなかった。
「……申し訳ありません。僕は、セーラ様の下僕です。そのような不敬を働くわけにはいきません」
ギリッと奥歯を噛み締め、必死に自らの想いを押し殺すアーメンガード。かつて自分に執着し、熱に浮かされたような視線を向けていた彼が、今や冷や汗を流しながら理性を総動員して耐え忍んでいる。
その光景はひどく滑稽で、セーラは小さく息を吐いた。
ふと、セーラの視線がアーメンガードの首元に留まる。そこには、下僕の証としてはめられた無骨なチョーカーが巻かれていた。
(……この首輪のせいなのか、もしかして)
絶対的な忠誠を誓わせる枷。これが彼の胸の奥でくすぶる欲望すらも完全に縛り付けているのだろうか。
期待はずれの反応に冷めたセーラは、乱れた胸元を直すと、「つまらない。もういいよ、下がって」と冷たく言い放った。
◇
学園の外では、冷たい風が街路樹を揺らしていた。
冬休みの間、ロンドンの喫茶店でアーメンガードから「セーラの現状」を聞かされて以来、いてもたってもいられなくなったムッシュ・デュファルジュは、再び重い足取りで学園の周辺をうろついていた。
「ああ……セーラくん。君は今、あの壁の向こうでどんな地獄を……」
高いレンガの塀を見上げて溜息をついた時だった。ふと、隣に建つ豪邸——クリスフォード邸との境界にある塀の上に、しなやかな人影が降り立つのが見えた。
「……ラムダスくん!」
デュファルジュが小走りで近寄ると、褐色の青年は静かに頷き、以前会った時と同じように音もなく地面へと降り立った。
「お久しぶりです、デュファルジュ先生。……以前お会いした時よりも、随分と顔色が優れないようですが」
「ああ……。ラムダスくん、以前君は、セーラくんの誇りを守るために外から見守ると言っていたね。だが……もうそんな悠長なことを言っている場合ではなくなってしまったんだ!」
悲痛な声を上げるデュファルジュに、ラムダスはスッと目を細めた。あの夜、彼が感じていた『嫌な予感』が、最悪の形で的中したのだと悟ったからだ。
「……何があったのですか」
デュファルジュは震える声で、アーメンガードから聞いた事実を絞り出すように語った。
あの気高かったセーラが、今、ミンチン院長の番として慰み者にされ、地獄のような日々を送らされていること。そして、唯一の手がかりとなる弁護士からの手紙がロッティの手に渡ってしまい、八方塞がりであること。
話を聞き終えたラムダスの瞳は、驚愕と、静かで冷たい怒りで見開かれていた。
「あのミンチンが、セーラ様を……支配してると言うのか……!」
ラムダスは固く拳を握りしめ、冷たい空気に沈む分厚い壁の向こうを鋭く睨みつけた。
つづく
53話グラレコ https://fujossy.jp/fanarts/8201
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「やめろ、セーラ! 騙されるな、院長が手紙を持ってるなんて嘘だ!」
私物をまとめて屋根裏部屋を出ようとするセーラを、俺 は必死に引き留めた。でも、お前の瞳には一切の感情が残っていなかった。
次回、A-Little-Prince 第54話。
「……今更、そんなことどうでもいいんだよ。ラムダスを救うためには、もうこれしかないんだ」
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