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第7章:冥醒香(5)

 家に着く頃には、すっかり辺りが薄暗くなっていた。出迎えたクォークの母親は湊の姿を見て、泣きながら縋りつく。そして、ダブラーに礼を言った。 「ありがとうございます。本当にダブラー様は命の恩人です」 「ならば息子を説得してやってくれ。こんな目に遭っても、まだアルダスに心酔してやがるんだ」 「クォーク!」 と彼女は湊を責める。湊は何も言えないでいた。言ったところで理解してもらえないだろう。 「……ったく、おまえが重いせいで腕が痺れちまったぜ。酒でも飲んで治してくるか」  そう言ってダブラーは両腕をグルグルと回す。その言葉につい湊の口から皮肉がこぼれた。 「飲み屋のお姉さんによろしくお伝えください」 ダブラーは一瞬ムッとしたが、すぐにガハハと高らかに笑った。そして 「じゃあな。くれぐれも無理すんなよ」 と手を振って立ち去ってしまった。後ろ姿が見えなくなったのを確認して、湊は籠を持って歩き出す。手足はまだじんじんと痛んでいたが、動かせないほどではなかった。それでも、うっかり傷口に触れると、顔が歪んでしまう。 「どこへ行くんだい」  すぐにクォークの母親が両手を広げて止めた。 「アルダス様にカグラシダを届けなければ」 「冗談じゃないよ。明日でもいいじゃないか」 「でも、アルダス様は待っていらっしゃるから」  湊は構わずに歩みを進める。背後から「あんたは大バカ者だよ!」という叫び声が聞こえてきた。  いつもより長い時間をかけてアルダスの店にたどり着く。その間も通りすがりの顔見知りから何度も心配そうに声をかけられた。 「おかえり。大変だったろう」  湊の姿を見るなり、アルダスは驚いた顔をして駆け寄った。 「これ、カグラシダです」  籠ごと渡すと、アルダスは夢中になってカグラシダを手に取り、眺めたり匂いを嗅いだりする。子どもに返ったみたいに無邪気な笑顔。傷だらけの湊には一瞥もくれなかった。  そして 「ご苦労さん。これで冥醒香を作れそうだ。今日はもう帰っていいぞ」 と言って、奥の作業場へ入ってしまった。湊はしばし呆然として、店の外に出る。歩き始めた途端、涙がこぼれてきた。  僕は何をやっているのだろう……。アルダス様は、とても嬉しそうで無邪気に喜んでいた。けれど……僕の傷は、まるで見えていないみたいだった。 「あいつはおまえの命を軽んじているんだぞ」  今さらながら、ダブラーの言葉が身に沁みてくる。それでも、明日になれば、またここへ来てしまうのだろう。湊はまだ痛む体を引きずりながら、小さくため息をついた。

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