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第5話 白い薔薇の誓い5
「広樹様、お召し替えのお時間です」
女中頭の高須さんに言われ、広樹様は持っていた服を渡す。それを見ていた聡様も僕も安堵する。
「本来なら、書生の山口が担当なのですが、山口は他の用をしておりまして私高須が参りました」
高須さんはそう言うと、上品なフロックコートをベッドに置く。
「石井様、申し訳ありませんが」
「わかっておるよ、用事も済んだことだし、部外者はここで失礼するよ」
医者の石井は、白衣を脱ぎ、簡素なコートを羽織り、持ってきた鞄を手に持つと扉の外へ出て行った。
「聡様もお着替えをお願いしますよ」
「わかりました」
高須さんは聡様への助言も忘れない。聡様と僕は広樹様の部屋を後にする。
「巧、ありがとう、僕らは着替えさせてもらうのが当たり前だからね、どうしようかなと思っていたところだった」
「聡様が困っていらっしゃるようでしたので」
聡様はくすりと笑う。
「巧はいつもそればかりだね」
「ええ、僕は巧様にお仕えしています執事です」
「見習いだけどね」
「はい、そうです、まだ見習いの執事です」
聡様と僕はお互いの顔を見合わせて笑う。
僕らは立場の差はあるけれど、同じ歳の幼馴染で幼い頃一緒に遊んだ仲。昔と変わらない聡様の笑顔は僕を元気づけてくれる。聡様にとって僕がそういう存在であったらいいなと思う。
「巧、一緒に来てくれるよね」
「勿論です」
僕は聡様の部屋に二人で向かう。
「お兄様、無茶しないでほしいな」
「そうですね」
「前回のお見合いもきつそうだったから、不安なんだ。無茶をして体を壊されるのは嫌だから」
「聡様はお優しいですね」
「そういうわけじゃないよ。家族なら当然だよ」
華族では家族であっても、家族内の格差がある。
一条家の当主で広樹様や聡様のお父様である公親 様は絶対の権力を持っていて、次いで長男の広樹様は家督を継ぐものとして、いずれは一条家の財産なども全部独占し受け取るようになっており、次男の聡様は家に残っても財産はもらえず、他家へ養子に出るか、自力で官僚や軍人になって独立するしかなく、家でも部屋の広さや細かく言えば食事の内容も違っていた。
格差がある中で、聡様は兄の広樹様を家族だから当然だと言い放った。他の華族では家督をめぐる骨肉の争いが兄弟間で起きたこともある中で、だ。家族だけに当然という聡様の言葉は一条家本家の持つ温かさと聡様の人への愛情深さがあるからこそだ。
「聡様はお優しい」
「え、巧まで何を言うの」
「そういう聡様だからお仕えしているのです、僕は」
「嫌だな、巧まで何言っているの」
聡様は柔らかく笑む。それはまるで陽だまりのように。
「早く部屋に入ろう、巧」
僕らは聡様の部屋の前に立ち、そっと扉を開ける。
「あら、聡様に巧くん」
女中の一人がそこに居た。
「お着替えをお持ちしましたよ、聡様、ベッドの上に正服 、置いておきましたよ」
「ありがとう」
聡様は女中に軽く声をかける。
「はい、聡様。巧くん、後はよろしくね」
女中はそそくさと扉を開け、去っていく。
僕は聡様の絹の普段着を脱がしにかかる。
白い肌に華奢な体、僕と同じ歳だというのに筋肉があまりついていない。学習院 で武道を習っているとは思えない痩せた体。僕の目の前に露わになる聡様の体つきに、僕は庇護欲を煽らていく。
「聡様、靴下、その後にシャツを」
腕には先程医者の石井が巻いた包帯があって痛々しい。僕の大きな掌 なら、その二の腕を容易に包み込んでしまえそうだった。その細い腕にシャツの袖を通していく。
「やっぱりちょっと変だね、腕の感じ」
「痛みますか」
「痛いとかは無いけれど、和紙を包帯で巻いたからね」
「今日だけじゃなく明日もですよ、聡様」
「白い薔薇は見つけられたのにな、代償がこれか」
「仕方がありません、聡様、我慢なさってください」
シャツが終わったら学生服だ。僕は正服のズボンを手に持つ。
「お兄様も今頃高須さんとお着替えをしているのかな」
「そうですね、高須さんは女中頭ですし、任せていいでしょう」
「そういえば書生の山口は何しているのかな、確かお兄様と同じ歳だった筈」
「彼も忙しいんでしょう、学生と書生の二足の草鞋ですから」
聡様は少し俯く。
「お兄様も学習院 まだ卒業されてない学生。なのにもうお見合いとは」
「やむを得ません、広樹様は一条家の大切な跡取りですし、親族会議で決まった事です」
「重いね、親族会議に一条家の跡取り」
「広樹様もわかっておいでですよ、聡様」
ズボンがはき終わり、後は詰襟の上だ。
「あ、あのね、母様の形見の懐中時計持って行ってもいいかな。母様がいるみたいで安心するんだ。ズボンのポケットに忍ばせるだけでもいいかな」
上目遣いで目を潤ませつつ、聡様は僕に願いを請う。抱きしめたくなるほど愛らしい聡様。抱きしめれば折れてしまいそうなか細い聡様の体躯。
「問題ありませんよ、聡様」
僕はそう言って、何処に懐中時計はあるのかを聡様に聞いた。聡様は机の方に行き、引き出しを開ける。
「これなんだ、母様にもらった懐中時計。僕が小さい頃、母様がつけていて羨ましがってたら、これは元々男性用なのよって僕にくれたんだ。元は母様のおじい様の物だったんだって」
その懐中時計は手に持つとしっかりとした重量感があり、細く繊細なローマ数字が並んでいて、時計というよりも芸術品に近いものだった。聡様の母親、雪絵様のご実家は京都の富豪。市井の人間とは言え、このような高級な品物を買えるほどの高い経済力を持つ方のご息女だった。
「銀のチェーンは見えないよう仕舞いましょう」
「わかった、見えないようにだね」
本来なら、ポケットにかけて、銀のチェーンをジャラジャラと渡らせるのが「成功した男」の証になる物、自分は身分が高いものだと主張する道具だが、聡様は次男で妾の子の庶子。贅沢なものを持っていると角が立つため、ここは目立たせない方が無難だ。
「巧、これでいいかな。これなら大丈夫かな」
「はい、聡様」
聡様はようやく笑顔を見せた。僕もつられて笑顔になる。聡様のお着替えも、正服の上の詰襟のホックを留めれば終わりだ。
「ありがとう、巧」
「髪の方が乱れてしまったので、直しますね」
僕は、手鏡を持って髪全体を確認し、櫛を使ってサッと髪の乱れを整えた。
「髪の毛なんて、自分でできるんだけどね」
「ダメですよ、聡様は名門、一条家のご子息なのですから」
聡様は優しすぎる。一条家の者として上級社会の人間のマナーをしっかり学んでいただかなくては。
「父様から怒られちゃうね、僕」
「そうですよ、お父様の公親 様がお怒りになりますよ。礼儀に厳しい方ですから、聡様も見習ってください」
「えー、巧は味方してくれないの」
「聡様はもう立志式を終えているのですから、もう大人なんですよ。少しは公親 様を見習ってください」
「ちぇっ、巧までー。巧だけは僕の味方だと思ってたのに」
「こういう場合は味方しません」
僕は聡様に笑いかけると、聡様も笑う。天真爛漫で僕ら奉公人分け隔てなく笑顔を振りまいて人懐っこさを見せる聡様。
…貴方に絶対の忠誠を。
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