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第6話 白い薔薇の誓い6

「少々よろしゅうて?」  そう言って聡様の部屋に入ってきたのは次女の綾子(あやこ)様。長女の公子(きみこ)様が他の家に嫁いだので、一条家のお嬢様は彼女一人だけだ。彼女は鶴の描かれている高級な振袖を着ていた。もう彼女も弟である広樹様のお見合いの席の服装に着替えている。 「巧に先日お願いしてあった件はどうなったのかしら」  綾子様の顔はにこやかであったが、急いでいるようだ。 「あの件なら、僕は学校だったので、書生の山口さんにお願いしました。山口さんなら綾子さんとも親しいですし」 「や、山口に頼んだのね。そ、そう。わかったわ。その山口はどこに」  僕は首を横に振る。 「普通なら広樹様のところなんですが、他の用事があるとかで…、詳しくは広樹様のお部屋に居る高須さんにお聞きください」 「ありがとう、広樹の部屋ね、わかりましたわ」  綾子様はそう言うと、すぐ聡様の部屋を出ていく。 「大変だね、巧は。姉様にも頼りにされてて」 「ええ。ありがたい事ですが、僕は聡様の命令であれば綾子様のお願いとて聞きませんよ」  聡様は目を丸くした。 「えーそんなダメだよー。姉様のいう事聞いてあげて」 「僕は聡様の執事ですから」 「見習いだけどね」 「ええ、見習いです」  また僕らは顔を合わせて笑う。 「そろそろ聡様も行きましょうか、客間の方へ」 「緊張するなあ」 「広樹様はもっと緊張してますよ。行きましょう」 「うん」  僕と聡様は一階の奥にある客間に向かった。  客間へ行くと、聡様の叔父、政公(まさきみ)が既に来ていて、席についていた。 「叔父様、本日はようこそおいでくださいました」 聡様はお辞儀する。それに対し、叔父の政公(まさきみ)は、 「フン、いくら学習院の立派な正服を着せたところで、血は隠せんものだな。前立てのホックをどれだけ厳重に締めようとも、妾の卑しい血の匂いが透けて見えるようだ」 と、言ってきた。更に、 「今日のお見合いは、我が本家の格式がかかっている。お前のような日陰者がチョロチョロして、先方に『この家にはこんな汚点があるのか』と気づかれたらどうする。粗相があれば、お前をこの家から叩き出すだけでは済まんぞ。おい、そこにいる見習い、そんな出来損ないの着付けなど適当でいい。早く下がらせろ」 と、まで言い出した。  僕は腸が煮えくり返る思いでこぶしを握りしめている。こうなることは予想されていた筈だったが、あまりの言い草に僕は肩を震わせていた。言うだけ言って気分が良いのか、叔父は下卑た笑いを浮かべ、聡様の様子をうかがっている。それに対し、聡様は顎をすっと上げ、叔父を冷ややかに見据え、 「叔父様。この正服は、明治天皇がお定めになった我が学習院の『正服』にございます。これを『適当でいい』と仰ることは、院長閣下、ひいては宮内省への不敬にあたると存じますが……分家であられる叔父上は、本家を差し置いて独自の礼儀をお持ちなのですか?」 と、言い放った。  叔父は予想もしなかっただろう、聡様の反撃に顔をお赤く染め、そのまま外へ出て行った。流石は聡様、気品と完璧な論理だ。 「…はぁ」  聡様の肩がわずかに小さく震えている。よく見ると、手まで震えている。僕は手を握ろうとしたが、もう僕らは子供じゃない。僕と聡様は主従の関係、許されない境界線だ。僕は聡様の手の代わりに、聡様の正服一番上の襟元にあるホックに、そっと指先を添える。肌が触れ合わないよう、細心の注意を払いながら、ホックの歪みを直すふりをする。 「聡様、お見事でした。あなたの正服姿は、世界中の誰よりも美しく、気高くあられます。どうかそのまま、お背中をお伸ばしください。私が、ずっとあなたのお背中の影に控えております」  聡様は目に涙をため、それを零さないよう言葉を繋ぐ。 「……うん。ありがとう。巧が後ろにいてくれるなら、僕はどんな大人の前でも、完璧な人形になってみせるよ」  聡様は深く息を吸い、涙を引っ込め、仮面を被る。15歳の少年ではなく、一条家の次男としての固い信念に打ち出された仮面を。 「あら、聡様に巧くん、早いのね」  先程会った妙齢の女中だ。 「はい。少しでも場に慣れておこうと思って」  聡様が答える。僕も軽く頷く。 「綾子様もお召し物は整えられたのにまだだしね。主役の広樹様もまだ一階には下りてこられないみたいだし。政公(まさきみ)様には会ったの」 「はい」 会いたくなかったけれど、聡様も僕も。 「今回の広樹様のお相手、どうやら財閥のお嬢様らしいわ。どんな人かしらね、気になるわ。前回のお相手は公家華族のお家だったけどあまり美人じゃなかったし」  妙齢の女性らしい話だ。きっと書生の山口さんとか女中仲間でそういう話をしているのだろう。僕は「さぁ」とごまかした。 「あまり興味ないのね。聡様のお義姉様(ねえさま)になる人ですよ、気になりませんか。一条家の次期当主の奥方ですよ」  そう言われてみればそうだ。広樹様の元に嫁ぐとあれば、聡様と姉弟(きょうだい)になる方、親族会議で決まったお見合いとはいえ、一条家の次期当主の奥様になられる方だ。頭の中は聡様の事しかなかったが、それだけではない今日のお見合いの重さを教えられた。 「兄様に優しい方であれば」  聡様は言う。聡様の言いそうな事だと思ったが、その聡様の反応に女中は感激したのか、 「まあ可愛い事をおっしゃいますね、聡様は」 と、言って手を頬にやる。 「巧くんはどう。執事として仕える未来の一条家の奥方よ」 「そうですね、優しくて聡明な方であればいいですね」  広樹様の母、章子様や聡様の母、雪絵様のように。あの方々は僕たち奉公人にも優しかった。綾子様も章子様の血を受け継いでいて、温かく知性的な方だが。そういえば綾子様は無事書生の山口さんを見つけられただろうか。 「二人して欲がないのね。私なんかは絶対美人じゃなきゃと思ってしまうわ。美形な広樹様の横に立って恥ずかしくない位じゃなきゃ駄目だって思ってしまうもの」  確かに広樹様は美形と称されてもおかしくはない整った顔立ちをしている。病さえなければ、今頃当主の公親《まさちか》様同様に軍属または官僚となって働いて、それこそ引く手あまたで、親族会議の長たちを今以上に悩ませていただろう。  僕としては聡様の凛とした所と可愛らしさが同居する姿も素晴らしいと思う。顔だって、広樹様に負けてはいない位、見目麗しい。書生の山口さんが言うには一条家に生まれただけで顔の心配はない一族だと。確かに姉の綾子様も、ここには居ない公子様も華がある美人だ。 「私たちも同性として美しい人に仕えたいわ」 「その願いが叶うといいですね」  僕がそう付け足すと、「でしょう」と女中は言ってきた。 「そろそろ媒酌人の伯爵夫妻が見える頃よ、緊張すると思うけど頑張って」  言うだけ言って、彼女はテーブルを入念に拭いて去っていく。  残された聡様と僕は女中の登場で和んだ場はまた緊張感のある場へと変わっていく。聡様は襟を正し、前を向いていた。 「本日の聡様は、いつも以上に凛々しくあらせられますよ。お見合いは必ずやうまくいきます。聡様どうかいつもの眩しい笑顔を。親戚の皆様の退屈な小言など、そのお顔で吹き飛ばしてしまいましょう」 「ありがとう、巧、頑張るよ」  そこでようやく笑顔になった聡様。やはり貴方には笑顔が似合う。聡様にはいつも笑っていてほしい。  僕はこの笑顔を護る、僕が僕であるために。

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