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第7話 白い薔薇の誓い7
「おまたせ。まだ伯爵様がたは来ていないですわね」
「綾子様、山口さんには会えましたか」
綾子様が客間に来たので、僕は声をかける。綾子様はにこやかな顔で首を縦に振る。
「先程叔父様と廊下ですれ違ったわ。聡、貴方何か言ったの」
僕は聡様の代わりに先刻あった叔父、政公 と聡様のやりとりをかいつまんで話した。綾子様は軽くため息をつく。
「あの叔父上なら言いそうな事ですわね。聡負けなかったのね、偉いわ」
聡様は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。こういうところが、なんとも可愛い聡様。
「でもこれからが本番ですわ。伯爵がたやお見合い相手の奥様、それにお嬢様が見えますわ。しっかり頑張らないと」
「わかっています、姉様」
「聡様は大丈夫ですよ、綾子様。きっとお見合いは上手くいきます」
「だといいけれど。あとは広樹次第ってことかしら」
このお見合いは広樹様の物。広樹様の実直な性格が解ってもらえればお見合いは大成功だろう。身なりは申し分ないのだから。問題は健康面、か。
「失礼します、媒酌人の伯爵夫妻がみえました」
女中と共に叔父政公 も客間に戻ってきた。少しだけ眉をひそめてるのはさっきの聡様との話の所為か。コホンと咳ばらいをしつつ、叔父は席に着く。そのすぐ後、媒酌人の佐伯伯爵夫妻が客間に訪れる。
待っていた聡様も綾子様も叔父も席を立ち、自分たちよりも爵位の高い夫妻に深くお辞儀をし、
「伯爵閣下、令夫人におかれましては、本日はお忙しき中、わたくしどものために格別のご配慮を賜り、誠に恐悦至極に存じます。父はあいにく公務を外せまへんでしたが、くれぐれもよろしくとのことでした。また本日は、父の代わりといたしまして、下の弟の聡も連れて参りました。今年、ようやく十五になりました若輩 にございますが、何卒よろしくお見知りおきくださいませ」
と、綾子様。
「僕が次男、聡にございます。数え十五にございます。本日は兄上の晴れのお席に、お供として同席を許され、身の引き締まる思いにございます。至らぬことばかりの若輩 にございますが、兄上のお手伝いとして精一杯努めますれば、何卒よろしくお願い申し上げます」
と、聡様。
それに続き簡単な挨拶を叔父もするが、二人の凛とした挨拶には勝てなかったようだ。叔父はすぐ近くに居るのに、伯爵夫妻の目が完全に下手 に居る綾子様と聡様に釘付けだ。僕はそれがおかしくてたまらなかった。笑うに笑えないけれど。
「これはご立派なご姉弟 ですな」
綾子様と聡様は伯爵夫妻に一礼する。だが、叔父も負けてはおらず、突如激昂し、
「異腹 の、妾の産んだ子供が、正統たる我が家の主役がいない席で平然と首 を垂れておるのだ!いくら作法を真似たところで、しょせんは日陰の育ち!主 を差し置いて場を仕切るなど、思い上がりの極み、言語道断である!!」
と、言い出した。綾子様は何事もなかったかのように、言い放つ。
「……叔父様。声を荒らげ、そのようにお取り乱しに生ることこそ、我が一族の最大の恥辱であるとはお気付きになりませんの?妾腹 であろうと何であろうと、聡は今、完璧な華族の作法をもってこの席を護りました。対して、正統を自処 される叔父様が、お見合いの席でそのような見苦しい声を響かせるとは。どちらがこの家に相応しく、どちらが『日陰者』に相応しいか……これでは、誰の目にも明らかでございますわ」
激昂の果てに崩れ落ち、荒い息をつく叔父を見下ろす聡様。聡様の瞳には蔑みも、怒りも、勝ち誇った色すらもなく、ただ底の知れない、静かな湖面のような無表情だ。聡様は、崩れ落ちた叔父の前に静かに歩み寄ると、衣服の乱れ一つなく、完璧な華族の作法で膝をついた。
「……叔父様。お見合いのお相手方がお着きになる前に、いささかお疲れが過ぎるようでございます。兄様は、お相手方がこちらのお部屋に入られるその瞬間に合わせて、別室よりお見えになる手筈となっております。どうぞ、それまでの間、別室にてお心とお体を休めておいでください。お相手方に、一族の重鎮たる叔父様のそのようなお姿をお見せするわけにはまいりません」
聡様はそれだけ言うと、言い返す隙を一切与えない完璧なタイミングで立ち上がり、部屋の隅に控える女中に目配せをする。女中が音もなく叔父を抱き起こし、別室へ連れて行くのを、聡様はただ静かに見送る。
叔父が去り、静寂が戻った部屋で、聡様は綾子様に向き直り、何事もなかったかのように穏やかに微笑む。
「姉様、お茶を新しくさせましょう。兄様とお相手方を、最高の状態でお迎えせねばなりませんから」
僕は完璧な聡様に魅入られたように動けなくなる。先程まで泣いていた少年はもう居ない。…いや、これは仮面。一条家の次男という仮面。それを被った聡様は誰よりも強い。
綾子様は綾子様で慄然とした態度で、
「……お見苦しいところをお目にかけましたこと、心よりお詫び申し上げます。叔父は、我が家のこれからの形を受け入れるだけの器量が、いささか足りなかったようでございます。お二方の大切なお時間を無駄にいたしましたこと、どのような言葉を尽くしても足りませぬ。幸い、別室にて休ませておりますゆえ、どうぞお気に病むことなく、このままお席をお進めあそばせ。兄もまもなく別室よりお見えになります。これよりは、私どもが責任を持ってこの場をお護りいたします」
と、言い切った。
それを聞いた伯爵は、
「ふうむ……。政略の妥協と聞いていささか案じていたが、全くの取り越し苦労であったな。主役がそろう前から、これほど張り詰めた格調高さを見せつけられるとは」
と、感嘆したように言う。夫人までこう続ける。
「本当に。そして姫君、あなたのあの一言の、なんと理知的で冷徹な美しさであったことか。お二人がこれほど固い絆で結ばれ、家を護っていらっしゃるなら、あの叔父上がいくら声を荒らげようと、もはや遮る隙など微塵もございませんわね。これからのこの家が、実に頼もしく思えてまいりましたよ」
爵位こそ子爵で伯爵より劣るが、気品と教養では負けていない綾子様に聡様。僕はお仕えしているのが今日ほど誇り高かった事はない。聡様も笑顔だ。何より僕はそれが一番嬉しい。
「浅山様、ご到着にございます」
女中の静かな声と共に、重厚な扉が開かれる。部屋に入ってきたのは、お相手方のご令嬢と奥方様だった。
衣服が擦れ合う贅沢な音が、静まり返った室内に微かに響く。令嬢は、優雅な所作で、奥方の後ろから静かに姿を現した。その佇まいは、まるで一輪の美しい大輪の牡丹のようでありながら、寄せ付けぬ気高さがある。
部屋に残る「叔父が残した張り詰めた空気」を、奥方様は鋭い眼差しで一瞬にして察知する。しかし、そこは百戦錬磨の華族。何事もなかったかのように、上座に座る媒酌人の伯爵夫妻、そして出迎えた綾子様と聡様に向かって、完璧な角度で一礼を交わした。
綾子様は、
「浅山様の奥方様、そして姫君。本日はお忙しい中、ようこそお越しくださいました。媒酌人の伯爵閣下、奥方様と共に、お姿を拝見できますことを一同、心より楽しみにしておりましたの。遠路はるばるのお運び、さぞやお疲れでございましょう。まずは温かいお茶で、お心を休めてくだされば幸いに存じます」
聡様もそれに続き、一礼し、
「私は長男の弟、聡でございます。本日は姉と共に、皆様をおもてなしさせていただく大役を仰せつかりました。よろしくお願いいたします」
二人の挨拶に令嬢は唇の端に、ほんの微かに、戦慄を浮かべていた。
「お初にお目にかかります。浅山家の長女瑠璃子でございます。本日はお心のこもった温かいお迎えをいただき、誠に恐れ入ります。お姉様、そして聡様のお健やかで、眩いばかりの気品に満ちたお姿を拝見し、私の胸の仕えもすっと消え去るようでございますわ。――これほど素晴らしいご家族の元へお招きいただきましたこと、私には勿体なきほどの喜びに存じます。どうぞ、よろしくお見知りおきくださりませ」
令嬢も負けず劣らず理知的で品位のある方だ。こんな方なら聡様のお義姉様《ねえさま》としておいでいただくのもいいなと僕は勝手に思った。
お互い華族ということで、学習院の話や令嬢の趣味の話等のたわいもない話をして場が落ち着いた頃、媒酌人の伯爵が、
「では、広樹様をお呼びいたしましょう」
と、言ったので、女中が「かしこまりました」と言って出て行った。
ついに広樹様のご登場だ。
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