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第22話 僕の護るべき星11
ついに僕たちの舞台が始まる。
山口さんは上手くやってくれるだろうか。いや、やってくれるだろう。山口さんの慕う綾子様の為に。僕と聡様も頷きあう。
初手は綾子様が急病で倒れる。そこから流れて山口さんの起こす大騒ぎだ。更に聡様が兄、広樹様の緊急の伝言を高瀬さんに伝える。その間僕は綾子様を衣裳部屋へとお連れする。
(いける、いけるんだ――!)
僕が考えを巡らせてる間に、劇場の四方に鳴り響いていた柝の音が止み、万雷の拍手とともに新富座の幕が静かに下りた。
客席の興奮が冷めやらぬまま、出口へと向かう人々で通路がにわかに混み合い始める。張り詰めた空気の中、綾子様が「少し目眩が……」と、事前に打ち合わせていた通りに青ざめた顔で座席に頽 れた。
「姉様!大丈夫ですか!?」
聡様がすかさず、周囲に聞こえるような焦燥を帯びた声で叫ぶ。その見事な呼びかけに応じるように、劇場の奥――楽屋口へと続く廊下の向こうから、突然、男たちの怒鳴り声と何かが激しくぶつかり合う凄まじい騒音が響き渡った。
「何事だ!」
お付きの女中たちが悲鳴を上げ、一条家の懐刀である高瀬さんが瞬時に目をごつかせ、音のする方へと視線を走らせる。山口さんが手配した知人による、計画通りの大騒ぎだ。どよめきが廊下に広がり、周囲の意識が完全にそちらへ引っ張られた。
今だ。僕は呼吸を止め、聡様の次の動きを待った。
聡様は混乱する人混みを縫うようにして、高瀬さんの目の前へと立ちはだかった。その表情は、いつもの年相応な少年としての弱さを完全に消し去り、冷徹なまでの切迫感に満ちている。
「高瀬さん!騒ぎは劇場の者に任せなさい。それより大変なんだ、今すぐ本邸に戻って兄様の様子を見てきておくれ!」
「……広樹様が、でございますか?」
高瀬さんが怪訝そうに眉をひそめる。一条家への忠誠が厚い彼だからこそ、長男の異変という言葉には過敏に反応する。
「ああ、先ほど僕のところに、兄様の使いの者が血相を変えて飛び込んできたんだ。『持病の容態が急変した、お父様や叔父上には内緒で、すぐに高瀬を呼んでくれ』と……!兄様と浅山家のご令嬢との婚約を控えた大事な時期だ、お父様に余計な心配をかけまいと、兄様は僕たちを頼られたんだ!」
畳みかけるような聡様の言葉には、一片の淀みもなかった。広樹様と日頃から親しくしている聡様が、これほど必死に訴えているのだ。高瀬さんの脳裏に、先日のお見合いでの失態や、ここでまた判断を誤れば一条家の未来に関わるという焦りが過ったに違いない。
「……承知いたしました。すぐに本邸へ向かいます。聡様、綾子様をお頼み申し上げます!」
高瀬さんは鋭く一礼すると、数人の供を引き連れて、喧騒の渦巻く出口へと一目散に駆け出していった。
一番の難敵だった高瀬さんの背中が、人混みの向こうへと消える。
僕と聡様は、一瞬だけ視線を交わした。聡様の瞳の奥で、計画が完璧に嵌まったことへの、冷たくて愉悦に満ちた光がギラリと不気味に輝いた。
「巧、今だよ。姉様を衣裳部屋へ」
聡様の静かな声が、僕の背中を強く押し出した。
「綾子様、どうぞこちらに。雪之丞様がお待ちです」
「ええ。巧わかっていますわ」
綾子様は震える足取りながらも、その瞳には強い決意を宿し、僕の案内に従って薄暗い廊下を急いだ。
周囲は、山口さんの知人が起こした騒動と、高瀬さんが引き揚げたことによる混乱で、一条家の女中たちも右往左往している。その隙を突いて、僕は綾子様を劇場の奥深く、あらかじめ山口さんが鍵を手配していた「楽屋裏の衣裳部屋」へと滑り込ませた。
重い木製の扉をそっと開けると、衣装が所狭しと掛けられた部屋の奥に、舞台の熱気がまだ残る一人の男が立っていた。
白塗りの化粧を落とし、浴衣姿になった中村雪之丞だ。その端正な顔立ちが、綾子様の姿を捉えた瞬間に優しく綻んだ。
「綾子……!」
「雪之丞様……っ」
二人は言葉を交わすよりも早く、互いの腕の中へと飛び込んでいった。身分違いの、決して許されることのない二人の危うい抱擁。その狂おしいほどの情愛を目にして、僕は胸の奥が締め付けられるような、けれどどこか羨望に似た熱を感じていた。
(僕と聡様も、あのお屋敷の檻の中で、これと同じ熱を分け合っている)
「巧、時間は?」
部屋の外で、見張りをしていた山口さんが小声で急かしてくる。
「5分だけです。それ以上は高瀬さんが戻るリスクや、女中たちが気づく危険が高すぎる。山口さん、周囲の警戒をお願いします」
「分かった。雪之丞、行くぞ。長居は禁物だ」
山口さんはそう言って、扉の隙間から廊下の様子を鋭く見つめた。その背中は、自分が命を懸けて想う女性を他の男に委ねる、あまりにも切なくて、けれど男らしい覚悟に満ちていた。
僕は衣裳部屋の扉を少しだけ開け、外の廊下に神経を尖らせる。
その時、劇場のロビーの方から、聞き覚えのある不穏な足音がこちらへ近づいてくるのが聞こえた。
低く、傲慢で、執拗な足音――。
(まさか……政公叔父上か!?)
冷たい汗が背筋を伝う。聡様の予想通り、あの疑り深い叔父が、姉様の不審な動きを嗅ぎつけてこの新富座に潜入していたのだ。罠の獲物が、ついに自ら足を踏み入れてきた。
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