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第24話 僕の護るべき星13
僕たちが一条家の屋敷に着いた途端、女中が目を見張り、
「綾子様、聡様今、戻られました――!」
と、屋敷中に響く声で叫ぶ。
「どうしたんだい、そんなに大声を上げて。姉様がまだ少しお疲れなんだ、静かにしておくれ」
聡様は眉をひそめ、いつもの穏やかな、けれど自然と人を従わせる声音で女中を窘めた。しかし、女中の顔は恐怖と動揺で青ざめたままだ。
「も、申し訳ございません、聡様……!ですが、先ほど政公様が血相を変えて本邸に怒鳴り込んで来られまして……。今、奥の客間で旦那様と、大喧嘩をなさっているのです!」
その言葉に、綾子様がびくりと肩を震わせ、僕の腕を掴む手に力がこもる。山口さんも背後で息を呑んだのが分かった。
だが、僕の前に立つ聡様の背中だけは、微塵も揺らがなかった。それどころか、衣服の影に隠れたその指先が、僕の手に一瞬だけ触れ、愉悦に震えるようにきゅっと握られた。
(すべて、聡様の筋書き通りだ)
「そうか。叔父様がお父様に……。姉様、大丈夫ですよ。巧、姉様を一度お部屋へお連れして、温かいお茶でも淹れて差し上げて。山口も、姉様のお荷物を持って付いていくんだ」
「聡、貴方はどうするの……?」
綾子様が不安げに問いかけると、聡様は至極端正な、そしてどこまでも無垢な少年の微笑みを浮かべてみせた。
「僕は次男として、お父様をお助けしに行ってくるよ。叔父様が、ありもしない妄想で一条家を掻き回そうとしているなら、僕がちゃんと真実をお話しして、お父様を安心させてあげなくちゃ」
その瞳の奥にある、冷徹極まりない光を、女中たちは知る由もない。
「巧。後で僕の部屋へ、今日の報告に来て。……待ってるね」
すれ違いざま、聡様は僕にだけ聞こえる密やかな声でそう言い残すと、足早に、けれど優雅な足取りで応接間へと続く廊下を歩いて行った。
「巧、どうしよう……お父様にバレたら、私、本当に……」
怯える綾子様を、僕は静かに支えた。
「ご安心ください、綾子様。聡様が、すべてを完璧に片付けてくださいます。僕たちはただ、聡様を信じてお待ちするだけでよろしいのです」
僕は山口さんと目を合わせ、綾子様を和館の部屋へと誘導しながら、胸の奥で静かに、あの冷徹で美しい主人の勝利を確信していた。
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「父様。お話があります」
僕が客間に入ると、女中が言った通り、父様と叔父様が大喧嘩していた。
「何だ、聡か!」
父様は真っ赤に上気した顔で僕を振り返った。卓の上には、お気に入りの洋杯が乱暴に置かれたのか、中身の葡萄酒が赤黒い染みを作って畳へと滴り落ちている。
「ちょうどいいところへ来た!聡、お前も新富座に居たのだろう!この政公が、綾子が楽屋裏で役者風情と不貞を働いていたなどと、正気を疑うようなことを喚き散らしておるのだ。お前が一緒に居て、そのような不祥事、あるはずがなかろう!」
父様の怒声に、叔父様が縋るような、それでいて血走った目を僕に向けた。
「聡!お前からも兄上に言ってくれ!確かに見たのだ、綾子の奴が中村雪之丞の衣装部屋に二人きりで籠もっていたのを!巧という生意気な執事見習いや、あの書生の山口までグルになって、劇場の人間を巻き込んで私を嘘つき呼ばわりしおったのだ!」
必死に身の潔白を訴える叔父様の姿は、滑稽なほどに哀れだった。兄様の見合いの席での失態を取り戻そうと、焦ってこの本邸に飛び込んできたのだろうが、それが自らの首を絞めることになるとも知らずに。
僕はあえて困惑したように眉をひそめ、悲しげに目を伏せてみせた。
「……叔父様。まだ、そんなおいたわしい妄想に囚われておいでなのですか」
「何だと……!?」
「姉様は本日、劇場の熱気にあてられて、公演の途中で激しい目眩を起こされたのです。倒れそうになった姉様を、一条家が日頃からご贔屓にしている雪之丞様がご親切に楽屋へ招き入れ、衣装部屋の長椅子で休ませてくださったのですよ。巧も山口も、必死に姉様を介抱していただけです。
それを、叔父様は突然私兵を連れて乱入し、大声を上げて姉様や雪之丞様を侮辱された……。劇場中のお客様や茶屋の者たちが、皆、叔父様のその乱心ぶりに呆れ果てておりました」
「お、お前……!よくもそんな大嘘を!」
叔父様が激昂して僕の肩を掴もうとした瞬間、父様が凄まじい勢いで卓を叩いた。
「ええい、黙れ、政公――!!」
地鳴りのような父様の声に、客間が一瞬で静まり返る。
「聡が嘘を吐く理由がどこにある!場の人間や、他の一家の者たちまでがお前の乱行を目撃しているのだぞ!広樹の見合いでの不始末に続き、今度は新富座で、一条家の長女と我が家が贔屓にする役者に事実無根の泥を塗るような大騒ぎを起こすとは……。お前はどれだけ一条家の名に泥を塗れば気が済むのだ!」
「兄上、違うのです!信じてください、私は一条家のために――」
「二度とその汚い口で一条家を騙るな!」
父様は完全に冷徹な、当主としての目で叔父様を見下ろした。
「もうお前をこの本邸に立ち入らせるわけにはいかん。お前の一族への発言権も、相談役の地位も、すべて今日限りで剥奪する。即刻、私兵を連れて我が敷地から立ち去れ。二度と私の前に顔を見せるな!」
「あ、兄上……っ!」
叔父様は絶望に顔を歪め、ガタガタと震えながら崩れ落ちた。勝負はついたのだ。
僕は父様の背後で、去りゆく叔父様を見つめながら、誰にも気づかれないように唇の端を吊り上げた。
これで、僕たちの障害は一つ消えた。広樹兄様の縁談も守られ、姉様の秘密も僕の手の中に収まった。そして何より、この家での僕の価値はさらに高まった。
「お父様、お心痛お察しいたします。姉様は今、巧たちに付き添われて部屋で休んでおりますので、どうぞご安心ください」
「うむ……。聡、お前が居てくれて助かった。お前は庶子ながら、実によくできた息子だ」
父様からの賞賛の言葉を殊勝に受け止めながら、僕の頭の中は、和館の部屋で僕の帰りを待っている、あの愛しい執事のことで一杯だった。
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