19 / 62

第19話 Crescendori#8

「僕がその時したお悩み相談は……大人になったな、成長したな、って思われたい、みたいな。まあ、そんな感じなんだけど。Crescendoって、イタリア語で『だんだん高まる』って意味でしょ? 進行形で、元の動詞はCrescere。Crescereの意味は『成長する』とか『大きくなる』って意味。だから、カッコイイ広告をバーンとやって、大人になったんだぞーって見せてやれって」  昴の言葉を聞いて、きょとんと目を丸くする。  成長した。大人になった。何度と思っていることで、今一度改めて理月が思っていたことだ。 「もっと語源を掘り下げるとCreare――『創造』。創り出すって意味になる。って、おばあちゃんがブランド名の由来とか含めて教えてくれた。僕は音楽を創り出す人だからぴったりだって。それから、これもおばあちゃんの受け売りだけど、英語で言う三日月のCrescentは、Crescereが語源なんだって。満月に向けて段々満ちてくって感じで、素敵な単語だよね。だから、僕はりっちゃんにもぴったりだなーと思った。まあ、りっちゃんはいつだって完璧だから、CrescentっていうよりFull moonっぽいけど」  昴は正面を向いたまま穏やかにつらつらと喋っていたけれど、そこまで言って口を噤んだ。けれどまだ話は終わっていないらしく、一呼吸置き、言葉を続ける。 「ねえ、りっちゃん。僕のこと、大人になったって思う? ……とか聞くと、子どもっぽいかな。でも、りっちゃんに大人になった、成長した、って思われたい。ピアノ以外でも。いつもの親目線での『大きくなったな~』みたいなノリじゃなくて、ちゃんと対等な大人として見てほしい、と言いますか……大人の男になったな、って感じてほしいと言うか……どうかな?」  横顔でも、少し自信無さげに眉が下がっている様子が見て取れた。どうにか笑いを堪えようとして、肩がぷるぷる震えてしまう。 「くっ……あははっ! ふはっ……やっぱり、昴って可愛いよね。昔っから、ずっと可愛い」  結局堪え切れず、くつくつ喉を鳴らして笑ってしまった。   「可愛い、かぁ……凹むなぁ~。僕、カッコイイ、って言ってもらいたいんだけど……」  眉を下げた昴の横顔は、耳をぺたんと垂らしてしょげた犬のようだ。どうにも昴が可愛らしくて可笑しくて、目端に涙まで滲んでくる。しょげた昴を眺めて目を細めたら涙が零れてしまい、伝った涙を人差し指でそっと拭った。 「――大丈夫、昴は格好良いよ。誰より一番格好良い。ずっと昔からそう思ってるよ。だけど、誰より一番可愛いのも昴だ。格好良いのに可愛いんだから、狡いよね」  理月は頬を緩ませ目尻を下げて、そう口にした。心からの本音だ。本当に可愛いやつだと思う。それと同時に、格好良いとも思っている。見た目もそうだけれど、それだけじゃなくて。  ピアノに向かっている時の昴はいつだって格好良い。心から楽しんでいることが伝わる真剣な眼差しが格好良くて好きだ。じっと見詰めてくる、深い琥珀色をしている澄んだ瞳も好き。あの目で見詰めて強請られると、何でも聞いてやりたくなる。    ピアノを奏でる、男らしくゴツゴツと大きくなった手も格好良いな。大きい手から奏でられる優しい音が好きだ。昔は飛び跳ねて弾むように明るく楽しい無邪気な音を奏でていたけれど、今の昴の演奏はあれから一層深みが増した。あの頃の昴からは想像が出来ないほど、時に情熱的で、時に艶っぽい。無邪気さを残したまま、大人の演奏をするようになった。  耳によく馴染む、穏やかで落ち着いた優しい声も、格好良くて好きだ。のんびりした低音が甘くて心地良い。  呑気で無邪気なように見えて、案外強かで、頭が切れるところも好きだ。自分の見せ方をよく理解ってる。    だけどちょっと自信が無くて、そこは格好良くはないな。自信が無いというか、自己評価が低いというか。昴をそうしてしまったのは自分かもしれない、と少し負い目を感じている部分だ。格好良い、ではないけれど、そういうところも可愛くて、ただ愛おしいと思う。    昴の全部が好きだ。初めて逢ったあの日から――ずっと、昴に恋してる。 「狡いのはりっちゃんの方だよ。りっちゃんは昔から、一番綺麗で、一番格好良くて、一番可愛い。なんだって全部、りっちゃんが僕の一番だ。りっちゃんが一番大事」  狡い、と返されて苦笑する。そうだよ、と内心頷いた。  ――そうだよ。僕は狡いんだ。狡いのは昴じゃなくて、僕の方。  昴の思いなんて、とっくのとっくに知っている。昴がこれ以上踏み込めないことも知っているのに、ずっと流して気付かないふり、知らんぷりだ。  気持ちに応えてやれないくせに、好きだから身勝手に繋ぎ止めている。そんな自分をひどい奴だと、残酷なことをしているとも分かってる。 「僕の一番だって、全部昴だよ。昴は世界で一番可愛くて、一番格好良くて、一番大切で……大好きな、僕の友達だ」  ショックを受けることを理解った上で『友達』だと口にする。案の定、昴の横顔が少し曇った。これだけ分かりやすいくせ、昴本人は気付かれていないと思っているのだから、面白がっては失礼だと分かっていても面白い。気付かれていないと昴が思っているのは、理月が誤魔化しているせいだから、申し訳無さも感じている。 「……僕は、友達以上になりたいけどなぁ~」 「そんなの、ずっと前から友達以上だよ。親友っていうか……誰より一番大切な友達だし。そもそも、頻繁に連絡を取るような友達自体、僕には昴くらいのものけど」 「うーん、まあ……うん。僕はそれなりに友達居る方だけど……友達全員の中で、りっちゃんが一番大切だから、友達以上だよ。っていうか、そもそもカテゴリが別。りっちゃんは僕の特別。だから、お願い。一生、僕の傍に居てね」  昴はじりじり踏み込んで、ギリギリのところで後ずさる。友達だと嘘を吐けるギリギリで止まるチキンレースを、ふたりで馬鹿みたいに続けてる。勢い余って止まれなければ、真っ逆さまに崖の下だ。 「勿論。ずっと昴の傍に居るよ」  笑みを浮かべて、そう返した。いつまで傍に居られるのか分からないけれど、本音を言えば、ずっと傍に居たいと願ってる。  昴への想いは、止めろと言われたのに隠れて弾いていたピアノみたいなものだ。どうせ諦めないといけないと知っている。だけど好きだから手放せない。いつまで経っても成長していないなと心の中で自嘲する。    傍に居ないと寂しい。だけど傍に居るのが、ちょっと苦しい。いつか傍に居られなくなった時のために、もっと遠く、天高くまで上ってほしい。手が届かない遙か彼方なら、きっと諦めも付くだろうから。   『愛してる』なんて言葉は言わせないし、口にも出せない。  フロントガラス越しに見える夜空の向こうで、あの日のオペラのような満月が黄色く光っていた。

ともだちにシェアしよう!