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第41話 ノクターンM45#8

「りっちゃん、泣かないでー。間近でりっちゃんが泣いてるところ見るのって、初めて」  昴は椅子から腰を上げ、しゃくりあげて泣く理月の傍に近付いた。背を丸めて屈み、親指の腹でそっと理月の目端を拭う。拭われても拭われても涙が込み上げて止まらず、理月の目端からはぽたぽたと大粒の涙が溢れ続ける。 「……っ、僕だって、泣きたくて、泣いてる訳じゃないよ……昴が、泣かせるから……」 「曲の意味は、ちゃんと伝わったかな? Seleneは、僕からりっちゃんへの想いだよ。後で楽譜もプレゼントしちゃう。クラシック基調にしてるけど、ジャズも意識して即興のセクションとか入れて作ったから、今の演奏通りの楽譜では無いんだけどね。でも、即興セクション入れて良かったな。今この瞬間の想いが、君に正しく伝えられるから」  止まらない涙を拭うことは諦めたのか、昴は両手でそっと理月の頬を包んだ。しゃくり上げて泣く理月と対照的に、柔和な笑みを浮かべた。 「わかるよ、わかるけど……っ僕は……跡継ぎとして、生まれて……っ、僕の存在意義は、それで……っだから、昴のこと、僕に縛り付けるのは、もう、やめたくて……っ昴は、ずっと、僕だけ見てるから、知らないかもしれないけど……僕から目を離せば、たくさんの選択肢があることに気づける、はずだ……っ! 昴にっ……幸せに、なってほしい……僕は、離れたところから見られるだけで、幸せだから……っ」  断らないといけない。本当の気持ちなんて口に出しちゃいけない。そう決めて今日に臨んだのに、ぼろぼろと涙が頬を伝っては昴の手を濡らしていく。 「縛り付けられてるんじゃなくて、ずーっと望んで傍に居るんだけど。世界各国老若男女、たくさんの人を見てきた上で、僕はりっちゃんが良いって言ってる。りっちゃんにも僕を選ばない選択をした場合の幸せがあるっていうのは分かった上でワガママ言わせてもらうけど、僕はりっちゃんと離れたくなんかないし、君じゃなきゃ嫌だ。跡継ぎだからとか、僕を縛り付けたくないとか、幸せになってほしいとか、どれも『りっちゃんが僕のことどう思ってるか』の答えにはなってないよ。僕は今、八十パーセントくらい、りっちゃんの気持ちが僕と同じ『好き』だって踏んでます。二十パーセント分くらいはまだ不安。だからダメ押しで、もう一度、何百回目かの告白をさせて」  昴は理月を真っ直ぐ見つめてそう言い、言葉を続ける。 「僕はりっちゃんが好き。大好き。世界中の誰より一番、愛してるよ。友情とか親愛とか、僕の気持ちはそういうのじゃないんだ。初めて逢った日から、ずっと君に、恋してる。だから、その……出来れば君からも、愛してるって、返してほしい。……だめかな?」  琥珀色の瞳が、少し自信無さげに揺れる。どうしたって、この目で強請られることに理月は弱い。だから結局、最後は折れてしまうのだ。 「僕は……、ほんと、は……、僕も……っ」  声が震える。頬を包む昴の手に、両手を重ねた。ずっと喉につっかえて言えなかった言葉が、理月の口から衝いて出る。 「昴のことが、好き……大好き。友情でも、親愛でもなくて、ずっと前から、愛してる――んっ……」  そう言い終えるや否や、口唇を口唇で塞がれた。ただ触れ合わせるだけの、幼いキス。初めて口唇で触れた昴の口唇は柔らかくて、温かかった。  一瞬のようにも、永遠のようにも思える時間、おそらくほんの十数秒が経った後、そっと口唇が離れる。 「――それ、本当……? じゃあ、キスとか、しても良いの?」 「本当だよ。良いって言う前に、勝手にしてきたじゃないか……昴はいっつも事後承諾だな」  見上げた昴は、先ほどまでは笑顔だったはずなのに、じわりと目端に涙を滲ませていた。そんな表情と言葉に、理月は涙を浮かべたままくしゃっと笑う。 『――僕もピアノ弾きたいんだけど、一緒に弾いても良い?』 『良いって言う前に勝手に参加して弾いてたじゃないか……君、誰? 何?』  なんだか、そんな会話をしたあの日が頭を過ぎったから。 「僕だって、ずっとずっと、ずーっと前から……世界中の誰より一番、日向昴を愛してる。ずっと応えてあげられなくて、ごめんね。本当は、今日だって断るつもりで……言わずに墓まで持ってくつもりだったのにな。僕の負けだ」  理月は眉を八の字にして苦笑しながら、人差し指の側面で自分の目端の涙を拭った。昴は反対に目端からぼろぼろ涙を溢れさせて泣き始める。 「……っ……ほんとだ、泣きたくて泣いてるわけじゃないのに……涙って、勝手に出てくるね……恥ずかしいな」  昴は背を丸めて屈んでいたけれど、すっと身体を真っ直ぐにして手で顔を覆い理月から顔を反らした。   「あははっ、人の前で泣くのって恥ずかしいよね。だけど僕も泣いちゃったし、おんなじだ」  理月は椅子から立ち上がり、顔を背ける昴の背に両腕を回してぎゅっと軽く抱き締めた。昴が愛用している香水の、大人びたムスクの香りが鼻腔を擽る。    昴は身体をびくっとさせたけれど、理月の肩に顎を乗せて顔を埋め、理月の背に腕を回した。そのまま昴は声を押し殺して静かに泣き続ける。昴が落ち着くよう、あやすようにポンポンと背中を優しく叩いた。 「……もっと早く応えてほしかった、とか、そんなこと言わない。墓まで、持って行かれなくて、良かった。今、こうして応えてくれたから……ほんとに、良かった」 「結局言っちゃうなら、もっと早く応えてあげられたら良かったって思うけど――でも、もっと早く昴にちゃんと告白されてたら……多分、僕は断ってた。だから、今で良かった。……応えることが出来て、良かった」  昴の嗚咽交じりの言葉を聞きながら、ぎゅっと昴を抱き締める。昴も理月を抱き締める腕に力を込めた。    先に確定している別れが怖いから、躱せる限りのらりくらりと躱して、気付かないふりのまま一緒に居たかった。返せなくても一緒に居てくれたから、昴の優しさに甘えてた。  決断が遅くなってしまったけれど――もう迷わない。これから先も大好きな人と一緒に居たい、なんてささやかな願いくらい、叶えてくれたっていいだろう。 「……りっちゃん、いつから僕の気持ちに気付いてたの?」 「昴が大学三年で、僕が大学院に入る前……ペルセウス座流星群を、一緒に観た時」 「そんなに前だったかぁ~……りっちゃん、結構顏に出やすいくせに隠すの上手すぎない? ……じゃあ、りっちゃんが僕のこと好きだって気付いたのは?」  昴は声を震わせて泣きながらも、明るい声を作って笑う。 「それも同じ時だよ。昴が言う『大好き』が、友情じゃないって理解して……僕が昴に向けてる『大好き』も、同じ気持ちなんだって気が付いた。でも、多分……初めて会った時から、もう好きだった」  肩に顔を埋めている昴の頭を理月がよしよし撫でると、昴は「そっかぁ~……そっかぁ……」と言い喉をくつくつ鳴らす。昴が肩に埋めていた顔を上げ、理月を対面から見詰めてふにゃっと笑った。泣き止みはしたものの、目元が赤くなっている。

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