22 / 24

22.魔人の使役には登録が必要です!?※R18描写なし

「さて……このボタンを押せばユレネの洞窟の本筋と合流するわけだが……」  以前救出された時にはあった魔物との戦闘は、今回はなかった。それもまた、この魔人が原因らしい。強い魔力を持つ魔物の気配を察して、弱い魔物たちが逃げていくらしい。そのおかげで、セナと魔人、クロエネダはあっさりと入り口まで戻ってくることができた。  赤い魔石のある壁の前で立ち止まったウィルが、セナを振り返った。 「セナ、その魔人、そのまま連れて行く気か」 「え……」 「街がパニックになると思う。基本的に魔人は討伐対象で、捕獲はしないから」  人型の形態を取れる魔人はそれだけで人々の恐怖を煽る。町では既にユレネの洞窟に魔人出現の情報が出回っているため、緑色の肌の男はすぐに魔人と気づかれてしまうだろう。 「君、何か他の見た目になれない?」 「他……?」 「もう少し小さくて、害がなさそうな見た目」  そおっとセナを下ろした魔人が、考え込みながらするすると足元から解けていく。元々が人型という訳ではなく、細い蔓や触手で人の形を象っているらしい。人の形が崩れるのはどこか惨たらしいような感じがするが、蔓は根っこも巻き込んで丸い球体になって蠢いている。 「痛くない?」 「痛くない」  恐る恐る声をかけると平坦な返事があって、痛みがない事に少し安心する。しばらく眺めていると、彼は丸い盆栽のような形になった。 「これでいい?」  素焼きの植木鉢の上に、苔玉が乗っている。よく見ると苔玉にはつぶらな丸い目が付いており、頭には何かは分からないが小さな草木が一本生えていた。魔人が喋る度に植木鉢と苔玉の境目がパクパクと開いて、ギザ歯が覗いている。さっきまでの成人男性の姿よりは、余程愛らしかった。 「っかわいい!」 「可愛いか?」 「マーダープラントでしょ」  セナが両腕で抱えなければならない大きさなのは少し大変だが、これ以上小さくはなれないらしい。抱き上げてみると、ずっしりくるが持てないほどでもない。 「これならどうですか」 「セナ、俺可愛い?」 「かわいいよー」 「……まあ、テイマーだしな……大丈夫か」  口をパクパクさせる魔人の頭で、パッとピンク色の花が咲いた。喜んでいるんだなとほほえましく見下ろしていると、ウィルが頷いて魔石を押し込む。すぐに石の擦れる音が響いて、壁が開いた。壁の先は通路で、右側にユレネの洞窟の出口があり外からは日の光が差し込んでいた。 「セナさん!?」  先に出るクロエネダに続いて魔人を抱えたセナが通路へ出ると、大きな声が響いた。驚いて声の方を見れば、洞窟の入り口からシルビオが駆け寄ってくるところだった。 「シルビオさん」 「無事かい!?」 「はい。すみません、ご心配をおかけして」 「あぁ、良かった。ギルドに報告した所だったんだよ」  シルビオの目の前で攫われたこともあり、心配してくれていたらしい。セナに怪我がないか確かめるように全身を眺めている。その内にセナの腕に抱え込まれたマーダープラントに擬態した魔人に気づいたらしく、眉を寄せて指をさす。 「このマーダープラントは?」 「セナがテイムした魔人だ」 「え……?」  ウィルの言葉に、シルビオが指をさしたまま固まった。恐る恐る魔人に視線を落とし、威嚇するように開いた口に素早く手を引っ込めた。セナが魔人の口を覆い隠すと、魔人はもごもごと不満そうな唸り声を上げている。 「魔人をテイム!?本気で言ってるんです?」 「あぁ。ロコが鑑定して確認してる。とりあえず、俺らはギルドに報告しに帰る。……魔人の討伐は完了した!」  ウィルの宣言に、洞窟の入り口付近にいた冒険者や商人がざわつく。真偽を疑う者もいるが、詳細がギルドから報告されればそれが事実だと分かるだろう。乗合馬車へ向かう道すがらも冒険者たちが口々に話しかけてくるが、ウィルの表情は晴れない。ゴブリンキングを討伐してセナを連れて外に出た以前は、今よりももっと晴れやかで誇らしげな顔をしていたのを覚えている。  やはり魔人を倒すことができなかったからだろうかと思いながら、セナも乗合馬車に乗り込んだ。  冒険者ギルドに着いた頃には、もう夕暮れ近くになっていた。魔人を抱えたままギルドに入るとカウンターの所で話し合っているゼガイとミルラがいて、セナとクロエネダを見て驚きの表情を見せる。 「セナ!お前生きてたか!」 「おかげさまで……」 「シルビオからの報告を受けて、こちらも救助を出すかどうか検討していたところだが、自力で戻ってきてよかった。怪我はないか」  駆け寄ってきたゼガイは、セナの抱いているマーダープラントを見て首をわずかに傾げる。だがシルビオと違ってすぐにテイムされた魔物だと気づき、それから少し遅れてハッとした顔を見せる。 「セナ、お前まさか……」 「はい。こちら、魔人です。今は擬態してもらってます」 「っ……お前は、本当に……」  頭を抱えたゼガイから深い深いため息をつかれ、セナは内心仕方がないじゃないか、と拗ねたような気持になった。セナだって、好きで仲間にしようと思ったわけではない。魔人側からの強い希望だ。 「そうか……とりあえず場所を変えよう」  ゼガイに案内されるまま、ギルドマスターの部屋へ向かう。腕の中の魔人は大人しくしているが、視線があちらこちらへ向いており見慣れない場所に緊張しているようだった。 「まずはクロエネダから報告してもらおうか」  ソファにウィルとセナが座らせてもらい、真向いにはゼガイとミルラが座る。そう言えば初めてこの部屋に通された時も似たような状況だったなとセナが思い出していると、ゼガイに促されてウィルが口を開いた。 「前日に俺だけがステータスアップを行ってユレネの洞窟に挑戦。問題なく8階のセーフルームまで辿り着いた。むしろいつもより早いペースで着いたと言ってもいいぐらいだ。8階までは魔素の上昇も魔物の強化もほぼなかった。セーフルームで一泊して、俺とロコがステータスアップしてさらにダンジョン捜索を続行。セナはセーフルームでシルビオと待機。9階に降りた辺りでダンジョンに木の根が出ているのを確認。魔素も少し上がっていた。10階では大木の根っこが張り巡らされていて、道も変わっていた。魔物の強化もあった。各階の魔素の数値とマップはロコから伝えてもらう。俺とロコのステータスアップのおかげで順調に12階まで到達したが、魔人がどうにも強かった。根っこは本体が魔人だったからそこから攻撃もしてくるし床が凸凹して足場も悪かった。何とか一太刀浴びせても、すぐに回復する。俺たちは時間経過でステータスが元に戻るから一旦退却も考え始めた頃に、魔人がセナを天井から引っ張り出した。恐らく魔人はセナを探していたらしい。使役されることを望んで、セナが受け入れちまった」  ゼガイ、二度目の深いため息である。ミルラはさっきからじぃっと魔人を見つめている。鑑定しているのだろうか、僅かに視線が動いていた。 「で、セナはどうやって魔人に攫われたんだ」 「あー……セーフルームでシルビオさんと待ってたんですけど、セーフルームの壁にできた穴の奥って個室みたいになってるじゃないですか?そこで植物の蔓に捕まって……気を失ってたみたいで分からないんですけど、気づいたら皆さんの前にいました」 「セーフルームは天然の結界になっているが、それは部屋の中だけだ。穴の奥のスペースはダンジョン内だ。それでも魔人が察知したんだろうな。お前さん、シルビオに教わらなかったか」 「教わっては、……ないですけど、でもシルビオさんは早く戻ろうって言ってくれてました」 「じゃあそこを拠点にしてたわけじゃあねえのか。お前さん何だってそんな場所に行ったんだ」  ギクリと身を強張らせたセナに、ゼガイの視線が鋭く光ったような気がした。この場に事情を知っているシルビオは居ない。うまく取り繕う事も出来そうになくて、正直に話すしかなかった。 「実はその、見知らぬ人に無理やり引き込まれまして……」 「は?!」 「え?!」 「……ほお」  その場にいた全員がぎょっとしてセナを見た。ミルラと魔人までこちらを見るものだから、セナは誰とも目を合わせられずに天井に視線を逃がす。 「いや、えっと、そこまで被害はなかったので」 「そこまでってことは何かされたのか」 「や、あの、体液を取られるってことは……」 「セナそれ傷じゃないの?」  頬の傷をルーシャ見つけられ、セナは慌てて手で覆い隠すが遅かった。下からひょろひょろと伸びてきた触手がセナの手に触れ、ほのかに暖かくなる。 「セナ、痛い?」 「もう痛くないよ、血も止まってるみたい」 「治してあげる」  手を退けると触手は何度か傷を突いて離れていく。再びセナが頬に触れるが、傷の感触はなくなっていた。 「ありがとう」 「えへへ」  ポン、とまたピンク色の花が咲く。可愛いなあと和みながらセナが顔を上げるが、皆は深刻な顔でこちらを見ている。 「あの、……すみません、俺の不注意で一人になったところを狙われてしまったようで。シルビオさんにもご迷惑を」 「そうじゃない。いやそれもあるんだが、いったん置いておく。セナ、お前……その魔人と話せるのか」 「え……?」 「その魔人が言ってることが分かるのか?」 「はい」  ゼガイは何を言っているのか、魔人はこんなにはっきり喋っているではないか。そう思って周りを見るが、冗談を言っている様子もない。思い返せば、魔人と直接言葉を交わしたのはセナだけで、皆は話しかけたりしなかった。だがそれは、警戒心ゆえの物だと思っていたが。 「いやでも、ロコさんも話しかけてた……」 「声をかけはしたが、まともな返事はなかった」 「だがお前ははっきり聞こえるんだな」  ゼガイに念を押され、セナは頷く。だがセナが教えられた魔人は知能が高く、人語を理解し喋るものではなかったか。 「でも魔人て喋るんでしょう?」 「そうだ。だがその魔人の言葉は俺達には分からない。魔物の鳴き声と同じだ」 「ええ……。まだなりたてだからでしょうか」 「なりたて?」 「この子、俺が異世界に転移して初めて襲ってきた魔物です。それで強化されて、結果的に魔人になれたと言ってました」 「……、ああ、触手の」  ゼガイはセナの証言を思い出したのか、何度か頷いて腕を組んだ。ソファに凭れて、思案顔をしている。 「植物魔人。5歳。魔人のためレベルはないようです。上級の土魔法、水魔法。吸収。初級の回復術。元はイビルフレアだったようですね。セナさんからステータスアップの体液を摂取後、他の魔物を喰らって成長、ゴブリンキングを倒したことで魔人となっています。その後、ダンジョンにマスターとして認識され、ボス部屋から出られなくなった。ダンジョン中に木の根を張り巡らせたのは、セナさんの魔力を感知するためですね」 「あ、こら、ダメ」  鑑定が終わったらしいミルラが、魔人に手を伸ばして触手で弾かれた。強い力ではなかったらしく怪我一つないが、セナが注意すると魔人の頭の木がシュン、としおれる。 「魔人になりたてで人語が上手く発語できていない可能性は十分ありますが……セナさんが理解できるのは恐らく契約したからでしょうね。テイマーの中には、魔物の言葉を理解する者もいます」 「今後魔人が他の人も分かる言葉を離すことは可能でしょうか」 「……、その辺りは不明というしかないですね。そもそも、魔人を使役するテイマーが少ないので前例がありません」  再びミルラが手を伸ばし、嫌そうに身を捩りながらも魔人は大人しくしていた。必死に曲がってミルラの手から逃れようとする頭の木に触れられ丸い目が何度も瞬く。 「俺もテイムのスキルが開花して、この子が使役魔物としてステータスに登録されてます」 「いきなり魔人と契約したためでしょうね。本来なら、自分より強い魔物を使役することは不可能です。魔人が強く望んだため、契約が可能となったのでしょう」  セナが見下ろすと魔人はムフー、と自慢げに鼻息を出す。セナもミルラの真似をしてそっと手を伸ばすと、頭の木が掌に潜り込むようにくっついてくる。大きな葉を撫でてやれば、ポンポン、と三つほど花が咲いた。 「……、まだ幼い個体のようですね。力の制御を間違えなければ、危険は少ないかと」 「クロエネダが適わなかったかもしれない相手だぞ。セナに制御できるか」 「なら最初は補助具を使ってみればよいのでは。目印代わりになりますし、魔物自体の制限もできますね」 「そうか……そうだな」  確かに、今はセナが魔人にお願いして言う事を聞いてもらっている状態だ。使役する者と使役される者の関係性としては間違っていないのだろうが、意思が割れた時に強制力をきちんと働かせなければ力関係がおかしくなってしまう。 「ではセナさん、貴方の使役する魔物としてこの魔人を登録しましょう」 「魔物の登録」 「はい。冒険者を兼ねているテイマーは自分の使役する魔物をギルドに登録します。これは、テイマーから離れた魔物が間違って討伐されることを防ぐためです。その為の目印も付ける必要があります。魔人の名前を教えてください」 「名前……」  振り返った魔人の目がこちらを見上げてくる。心なしか、キラキラして期待しているような気がする。 「うーん……じゃあ、グロウで」 「はい、グロウですね。では手続きはこちらでやっておきます」 「グロウ、それ俺の名前?」 「そうだよ。これからはそう呼ぶからね」  ポポポ……、と花は満開になった。僅かに甘い匂いも漂ってくる。触って花を散らすのは可哀想なので、苔玉の方をポンポンと軽く叩いて撫でてやった。 「気に入ったか?」 「うん!」 「セナさん、魔人に目印をつけるため、安全に制御するために補助具を購入してください。それがないと普通の人間は魔物を信用できません」  対外的に彼が危険な存在ではないと示さなければならないらしい。セナだってこの魔人が自分に危害を加えないかどうかなどさっぱり分からないが、制御できる装置なら願ってもない事だ。 「補助具ならギルド近くの魔道具屋だが……恐らく魔人ほどの強い魔物を制御できるものは表の方には売っていないだろう」 「表……?」 「珍しいものや多少倫理観に欠ける物は少し離れた場所に売っている。町の東側、貧民街の向こうだ」  貧富の差というものがあることは薄々分かっていた。冒険者とはとても思えない装備の人間が、簡単なクエストを受注してるのを見たことがある。日銭を稼いで今日を乗り切るつもりなのだろう。薬草の収集クエストの時も、そう言った人を見たことがある。 「俺がついて行ってやろう」 「ロコさん、ありがとうございます」 「ついでだ」  クエスト達成の報酬額はギルドで検討してからという事になった。ダンジョンから魔人が居なくなるという状態にはなったものの、正確には討伐ではない。報酬を満額渡すのは難しいらしい。報酬目当てではないセナは文句はなかったし、魔人に苦戦し撤退も考えていたクロエネダも不満はないようだった。 「じゃあセナ」 「またね」 「また後で」  ギルドを出たところで、休息をとるため宿に戻るウィル達とは別行動となった。あっさり背を向けて去っていくウィル達を見送ってから、セナはうーんと唸り声を上げる。 「どうかしたか」 「いや……やっぱり、クロエネダの皆さんの邪魔をしたのかなと思って」  魔人をテイムしてから、ウィルとルーシャの口数が減っているのがセナは気にかかっていた。ルーシャはあの時はっきりと魔人を討伐する意思を見せていたし、セナに加担させようとしていた。セナがそれを遮ってしまった後からは特に文句を言うでもなく静観していた様子だったが、本当は魔人を討伐したかったのではないかと思ったのだ。  隣を歩くロコも、彼らの反応には気付いていたらしい。ああ、と何でもないように相槌を打ちセナが両腕で抱えるグロウに視線を落とした。 「……魔物をテイムすること自体、懐疑的な人間は多いんだ」 「はあ……」 「本当に言う事を聞くのか、騙されてるんじゃないか。あるいは……テイムしている人間こそが魔物側に堕ちた者で、人間たちの命を脅かす存在なのではないか、と」  見方を変えれば、テイムとは魔物と心を通わせているような状態だ。通常ならば人間を襲いに来る魔物が、人間に従うなどありえないと思うのだろう。 「ウィルはパーティーのリーダーだ。パーティーを守る義務もあるし、魔人を連れて帰る危険性についても考える必要があった。お前はグロウが何を考え、お前に従う事にしたのか直接聞けるだろうが、俺達には分からない。お前が魔人に取り込まれたと考える事もできる」 「いや、俺は……」  咄嗟に弁明しようとしたセナを、ロコはやはり分かっているというように頷く。すれ違う人間がセナに抱えられるグロウを見て怪訝そうな顔をして道を開けるのは、やはり魔物だからのようだった。 「付き合いは短くとも、お前が好んで人を陥れる様な男ではないことぐらいは分かっている。だが外側からは何も確かな事はない」 「だから補助具ですか」 「そうだ。強制的に魔物を従属させることは補助具が無くても魔力の消費で可能だ。補助具があれば魔力の消費は少なくて済むし、見た目にも人に従属する魔物だと分かりやすい」  街の東側に向かって進んでいくと、ギラギラとした店がだんだん増えているのに気付いた。夜の闇を照らす光は健全とは言い難く、店先に立っているのも強面の用心棒風の男や、派手だったり露出の多い女性たちに変わっていた。行きかう人たちも酔客が増え、どうやらこの辺りは歓楽街らしい。 「だが魔物の制御に関する補助具は、魔物の強さに応じて高級に希少になっていく。使用する魔石と魔法陣が原因だが、魔人ほどの力を持つ魔物の制御には大抵の補助具では役に立たないだろう」 「そういうもんですか」 「生まれたてとはいえ、これからさらに力を付けないとも限らない。肝心なところでグロウが暴走すれば、お前まで殺されかねん」  気性の荒い猛獣のようだなと思ったら、途端に腕の中のグロウが重く感じる。グロウは話を理解しているのかいないのか黙って頭の木を揺らしているし、ロコもグロウに何か言う気はないようだった。 「ところでロコさん」 「何だ」 「随分物騒な感じですね」  いつの間にか町並みは歓楽街からさらに薄暗い場所に変わっていた。路上に横たわるボロを着た人間たちが増え、蹲って布にくるまり身を寄せ合う子供たちもいる。建物はあるが、頼りない木の枠と薄い布で作られた簡素なバラックで、雨風をしのぐのが精いっぱいという風情だった。 「ああ。所謂貧民街。貧困層、あるいは冒険者より後ろ暗い人間たちの棲家だな。あまり一人で出入りしない方がいい」 「…………」  ファンタジー世界の創作物では、よく見る貧民街。治安が悪く、ごろつきや孤児が住み着き、犯罪者の隠れ蓑になっている場所だ。実際に見ると、その壮絶さを目の当たりにして言葉を失った。 「貧富の差は、自分たちだけではどうにもできない部分がある。その整備は、この国はまだ追い付いていない」 「ああ……」  下水道がむき出しになっているせいで、酷い匂いがする。大人の男は比較的まともな服を着ているが、表情からまともな性質ではないのは分かる。薄汚れた女子供の中には感染症に罹っているのか、剥き出しの手足に湿疹や妙な斑点がある。 「子供だけでも何とかできないんですか。孤児院とか」 「孤児院はある。だが規律が厳しい所も多く、逃げ込む先がここだ」 「…………」 「冒険者が自己責任で動くのと同じように、この世界は自分の命を自分で守らなければならない部分が多い」  例えばここで、セナが手持ちの金を子供に分けてやるのは容易い。けれどもここの子供たちは、その金を当座の食い物を手に入れるためだけに使い、解決にはならないだろう。 「ほらこっちだセナ」  下水道を跨ぐ橋の手前で階段を降り、下水道沿いに進んでいく。下水が再び地下へ潜る直前に黒い扉が一つ、ポツンと壁に張り付いていた。 「ここだ。俺だ、居るか」  ガンガン、という乱暴なノックをして声をかけたロコが一歩下がると、扉が薄く開く。来訪者を確認している間が一瞬会って、扉は大きく開いた。 「いらっしゃい、ロコさん」 「ああ」  出てきたのは腰が曲がった老人だった。サスペンダー付きのパンツに生成りのシャツという、スラム街では余り見かけなかった服装をしていた。セナの胸辺りまで身長のない小柄な体格で、顔の半分を白いひげが覆っているせいで造りはよくわからないが、まん丸のつぶらな茶色い目がこちらを興味深そうに見ていた。 「中へ」  言葉少なに招き入れられ扉をくぐると、中は思っていたよりも広かった。  三段ほど階段を下りた先には医師のレンガで出来た床が広がり、扉のある壁以外の三方の壁には天井まで届く棚に所狭しと物が置かれている。真ん中に大きな作業机があり、作りかけらしい魔道具や素材が無造作に広げられている。 「彼が魔人をテイムした。補助具を見せて欲しい」 「ほお、魔人を?そりゃすごい」  しげしげとグロウごと観察され、セナは居心地が悪くなる。老人は気にもしていないのか、しばらく眺めた後に棚に近寄り、いくつか手に持って戻ってきた。 「この中から好きなものを選ぶといい」  机の空きスペースに置かれたのは三種類の魔道具だった。どれもブレスレッドのようだが、一つは軽そうなチェーン型、残りは太さの違うバングル型が二つだった。 「特別強い魔物を制御するために作った物じゃ。装着前にテイマーの血を一滴魔石に垂らしてから魔物に持たせる。そうすれば魔道具の効果が始まる。定期的に魔物の魔力を吸い、テイマーの命令をきっかけにテイマーの魔力を使って魔物を制御する」 「……制御に苦痛は伴いますか」 「もちろん。それぐらいせんと興奮した魔物は止まらん。強制力が強ければ強いほど魔力を消費するから気を付けるんじゃな」  正直な所、セナの気は進まなかった。だが人の中でグロウが暮らしていくのなら、制限も必要なのだと言い聞かせてチェーン型の魔道具を指さす。  シルバーのチェーンは正円を二連繋げた形で、ピンポン玉ぐらいの大きさの魔石が連なっている。紫色の魔石は、ぬらりとした妙な光り方をしていた。 「おいくらですか」 「金貨250枚」 「は?」 「この大きさじゃぞ。細いチェーンに魔法陣を彫り込むのも難しい。破壊耐久も乗せてある。本来なら金貨500枚は超える貴重品じゃぞ」 「180だ」  あまりに高額過ぎる値段設定にセナが付いていけない間に、ロコが金額の交渉をし始めた。そうなってしまうと、相場を知らないセナは口をつぐむしかない。 「180じゃと!?ロコさん、寝言を言うんじゃない」 「この魔石、研磨してあるだろう。それでも十分な力はあるようだが、細かな傷が表面に残っている」 「ぐ……っ、じゃがこの魔道具は」 「魔石が一番力を発揮するのは採取されたそのままの形だ。何があって研磨することになったかは知らんが。破壊耐久があるとしても剥き出しなのも問題だな。強い衝撃で欠ければ性能はガタ落ちする。俺の目の前で吹っ掛けるとは耄碌したな」 「んぐぐぐ……、っ」  確かに残りのバングル型の魔道具は、魔石の半分は金属製のバングルに埋まり露出している部分はガラスの様な物で覆われている。中に入っている魔石も、チェーン型のつるんと人工的に丸い物と違ってゴツゴツした不揃いの形をしていた。 「この魔石は太古の昔から生きていたと言われる古竜の物じゃ。戦闘の激しさから割れてしまったが性能は残りの二つよりも良い!それはわしが保障する!」 「お前の腕を疑っているわけではない。適正価格を希望している。なら200だ」 「……っぐうう。分かった、200で手を打とう」 「セナ、金貨200枚あるか」  矢継ぎ早に交わされる会話をぼんやり聞いていたセナは、急に話を振られてはっとする。金貨ならダンジョンからグロウがごっそり持ってきたはずだ。 「グロウ、キラキラ出してくれる?」 「うん」  パカッと開いた口の中から、大きな葉に包まれた金貨が出てくる。グロウを床に下ろしてそれを受け取ったセナは、重さに驚きながらも机の上に乗せてから包みを開き店主に見せた。 「多分、足りると思うんですけど」 「一緒に数えてもらおう」  金貨は余裕で足りた。残りの枚数を数えても、100枚以上残っている。値切る前の値段でも正直買えただろうが、わざわざぼったくられる必要もない。 「セナ、ここで魔道具を装備していこう」 「あ、はい。あ、でも血が……」  ロコが差し出してきた針を受け取り、右手に持って左手の中指に押し当てる。少しだけ躊躇ってからぐっと力を込めた。 「っ……!」  小さな痛みと共に指先から溢れてきた血を魔石の上に垂らした。 「おぉ……」  紫色の魔石はあっという間に血を吸い取り、ぬらりとした光が消える。色自体は何も変わらないが、内からの輝きが消えてしまったため、セナは少し不安になってロコを見た。 「これ、大丈夫です?」 「問題ない。それをグロウに着けてやれ」 「はい。グロウ、じっとしてろよー」  床に置いたグロウの前にしゃがみ込んで、セナは頭の上に生えている木の幹にチェーンを巻き付ける。長さには少し余裕があるため、木の根元にチョンと乗るような形にはなってしまったが気は先の方でみっちに枝分かれしているので抜けたりはしないだろう。 「何か、痛いとかある?」 「ないよ。セナ、ありがとう」  この目印があれば、グロウは人に従う安全な魔物として証明されるそうだ。ウィルやルーシャの浮かない顔を思い出しながら、セナは本当だろうかと疑問を抱く。  人の心に掬う猜疑心は、心の奥底にこびりついてちょっとやそっとじゃ剥がれない事をセナは知っている。元々人を襲うと言われている魔物を使役した証を付けた所で、疑っている人間にはいつ爆発するか分からない時限爆弾を目の前に置かれているようなものではないだろうか。 「ロコさん、ありがとうございました」 「いや。正直、セナに助けられたと思っている」 「え……」 「俺たちは撤退も考えていた。セナのスキルを使っても、グロウと俺たちの実力の差は大きかった。あの時セナが来ていなければ、誰かが大怪我を負ったとしてもおかしくなかった」  そんなことない、とはセナも言い切れなかった。あの時、グロウは明らかにセナにばかり意識を向けていたのに、クロエネダからの攻撃を片手までいなした上に自分から攻撃も行っていた。前衛のウィルもルーシャも、その片手間の攻撃に翻弄されて近づくことすらできなかった。 「生まれたての魔人ですらそうなんだ。俺達はまだ実力が足りない」 「…………」 「だからセナ、ウィルとルーシャの事は余り気にするな」  どう答えたものか分からず、曖昧に頷くことしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!