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第2話
――猿みたいにうるさい奴。
山女 にとって志水 というクラスメイトはそんな存在でしかなった。
朝、教室に入るや否や、志水の耳障りな笑い声が聞こえてくる。またか、と山女は半ば諦めたような面持ちでちらりと一瞥する。
何が面白いのか、志水は常に友人たちと笑っては、何かと騒いでいる。珍しく黙っているときは大抵スマホを見ているか寝ているかのどちらかで、こちらが睨もうが何をしようが御構い無し、自分たちが楽しければそれで良いと言った態度の男なのだ。
山女はうんざりしながら図書室で借りてきた本を出し、それに没頭した。
祖母に高校は好きなところに通いなさいと言われたが、長い時間バイトに勤しめるよう家から一番近いところを選んだ。そこがどんな学校かは山女に取って大した問題ではなかったし、市立だったので学費も県内では安かったので有り難かった。
入学してから早速色んなバイトを試したが、接客業はどうも向いていなかったので、今は力仕事中心の倉庫作業のバイトに放課後は通い、土日は単発の日雇いバイトに従事した。
思ったより仕事が早く終わり、単発バイトの現場から駅に向かって帰る途中、公園から聞いたことのある声に山女は眉根を寄せる。
「志水……?」
学校の外でまで、この声を聞かされるのかと山女はうんざりしたが、その姿はどことなくいつもと違っていた。
志水は幼稚園児くらいの男の子と一緒だった。
男の子はよろよろと漕ぎ慣れない自転車に乗り、その後ろを志水が支えてやっているようだった。
少しして自転車の勢いがようやくつき、志水は手を離す。
「漕いで漕いでっ!すごいすごい!!上手!!すごい!!」
志水は我がごとのようにはしゃいでは満面の笑みで声をあげた。男の子は公園の中を少しグラグラしつつも、ぐるりと一周して志水の元に嬉々として戻って来た。
「やった!お兄ちゃん!僕できた!乗れたよ!」
「やったなあ!頑張ったもんな!これでお母さんに自慢できるなあ!!」
「うん!お母さんに今日帰ったら見せる!」
男の子はキラキラした目をして志水を見上げていたが、ふと公園にある時計を見て顔を曇らせた。
「僕もう帰らなきゃ……、お兄ちゃんは?」
「うーん、お兄ちゃんは、まだ帰れないんだ」
「誰かお迎えが来るの?」
「ううん……、来ないよ、誰も」
男の子は言葉の意味がわからないようで困ったような顔をしたが、すぐに笑顔を作って、じゃあ、またね、バイバイ。と手を振り公園を後にした。公園にはポツンと志水だけが残され、その影法師は寂しげに伸びていた。電池の切れた人形のように志水は暫くただ動くことなくそこへ立ち尽くしていた。
山女の立っているところからは志水がどんな顔をしているのは見えなかったが、その背中はどことなく寂しそうで、儚げだった。
なんとなく、後ろ髪を引かれつつも山女は家路に着いた。
祖母との食事の間も頭のどこかで志水のあの背中がチラついたせいで、どうやら上の空だったらしく、祖母がどうかしたの?と心配してきたが、山女は笑顔でなんでもないよと返した。
――本当にあれは志水だったのだろうか?
翌朝、教室からはまたうるさいあの笑い声が聞こえていた。それは、普段の自分が知る志水の姿に間違いなかった。
山女は自分の席に着きながら横目で志水を見る。
公園で見たあれは、本当に志水だったのだろうか――?
実は双子とか――?またはドッペルゲンガー?
「まさかな」と内心、嘲笑して山女は読みかけの小説を開いた。
――――
それから何ヶ月かしたのちに山女はすべてを知ったのだ。
あの時なぜ、志水が家に帰れないと漏らしたのか、なぜ、寂しそうに母親の元に帰る男の子を見送っていたのか。
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