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第3話
「待って、待って、待って!!」
ベッドに入り、体の下に組み敷いた志水 から甲高い声が出る。山女 は胸を思い切り両手で押された。
「さっきも散々待った。何回待てばいいんだ、俺は」
呆れるようなその声に、志水は今にも泣きそうな顔だ。冷たく言い過ぎたか、と少し反省した山女は志水の肩に自分の肩を当て、横に並んで寝る。
横の草食動物はビクビクしながらこちらを見る。その不安そうな目や頰に優しく口付けてやると、安心したのか瞳を閉じてそれを受けている。
してもいいと言うから続きをしたのに、山女は先ほどからお預けばかり食らっている。自分は早々に上半身裸なのに、相手には服を脱がすことすら拒まれたままだ。触れれば途端に、体をよじり、その度に逃げ出す。
志水の右手に自分の左手を重ね、ゆっくり優しく包んでやるとあちらから指を絡めてきた。
不思議だ。少し前まで、正確には今日まで、こんな男に欲情の一つもしなかったのに。
学校では誰かしらと一緒にいる姿しか見たことのなかった志水は、そこを離れると途端、ひとりぼっちになり、母親や他人の男から理不尽な目に遭わされ、傷付いていた。なのに学校ではこれっぽっちもその弱さを見せずに大声で笑っていた。
痩せた体も傷付いた心もこうして見せられるまでは山女自身、志水の本当を知ろうとも思わなかった。
そして、知ってしまうともう放って置けなくなってしまった――。
「なあ、志水」
「なに……?」
「名前で呼びたいな、下の名前。なんて言うの?」
「……日晴鳥 。日に晴れる鳥って書いて、日晴鳥」
「春を知らせる鳥だな」
「うん……。知ってる?雲雀ってね、地べたを飛んで餌を探すんだよ。なんか俺みたいだよね」
自虐のつもりなのだろうが、山女は微笑んで返す。
「良かったじゃないか、そのお陰で俺に会えて」
「はー?何様?!」と志水は空いた左手で山女の耳朶を引っ張った。
「馬鹿、痛いよ」
長い腕を伸ばして志水の体を引き寄せると、自分の上に重なるように抱きしめた。こうして見ると本当に志水の体の細さに驚く。
「あったかい……」
ポツリと胸の上で志水は呟いた。こどもみたいに無邪気な声だ。山女は自然と笑みがこぼれる。
「そうだな」
「知らなかった。人って抱き合うとこんなにあったかいんだね」
「うん」
抱きしめていた腕の力が強くなる。志水はふと山女の左腕の内側に小さな火傷の跡があることに気付いた。とても見覚えのある形と大きさだ。
「この跡……、俺にもあるよ。タバコの、跡……」
「そっか……」
大人たちは他人からは見えないところに、こうやって傷を付けるのが好きなのだ。そうやって自分ばかりを庇い、可愛がる。
「俺たち、なんだか似てるね」
その言葉に山女は一瞬目を見張るが、すぐに笑みを戻し、ポンポンと、あやすみたいに志水の背中を叩いた。
「そうだな」
「怒るかと、思った――」
「どうして?俺もそう思ったよ」
「えー、じゃあこれって傷の舐め合いってやつ?」
「お前は全然、舐めさせてくれないけどな」
「そう言うことじゃないよ!」と志水は照れながら山女の胸を叩いた。その腕を抑えて額にキスすると、志水は大人しくなる。
「あ、俺!山女の名前、知ってるよ。“惺厳 ”だろ?」
「ああ、よく知ってたな」
「お前、有名だよ?クラス替えしてすぐにさ【やまおんな】ってすげえ名前の奴がいるぞって めっちゃ話題になった上に、下の名前なんて読むんだ?坊さんみたいな名前してるぞってなって。あとうちの学校でダントツで無駄に頭良いし。すげえウッカリして、受験する高校間違えたんじゃねえかって」
「最後さりげなく落としたよな、今」
「いや、全然」
志水はいつもの調子を取り戻していた。本当によく喋る奴だと、山女が呆れる反面、変な安堵もあった。自分が怖がらせていたら、志水を傷付ける大人たちと同じになってしまうからだ。
「なあ、日晴鳥。今日じゃなくていいからさ。お前が俺としてもいいと思ったら、ちゃんと抱かせてよ」
傷付けないようにと、そっと抱きしめ、髪に口付ける。そんな心遣いすら志水は御構い無しだった。
「え、俺今日がいいよ。日にち空いたらビビってもう出来ねーもん」
「…………そう」
「うん」
呆然とする山女の鼻に噛み付くみたいにキスをして、志水はふふふと笑っている。それを見て素直にかわいいと思ってしまう。あまりにも自分が簡単すぎて腹がたつくらいだ。
腹いせする狼みたいに志水に噛み付くようなキスをする。少し深く責めてやると志水はすぐに根を上げた。背中に回されたその細い指が肌に食い込む。チクリとした痛みが山女を益々昂ぶらせた。
「せぇ、惺厳……、ほん、とに、怖かったら、やめてくれる?」
うまく息の出来ない志水は涙目で、唇は艶やかに濡れて震えている。
「善処する」
「なに?難しい言葉使うなよ……」
「手、挙げろって教えたろ?」
「ぷ……、うん、そだった」
次のキスは、志水からしてくれた。
服を脱ぐタイミングがわからないから、せーのでお互い裸になろうと志水は提案した。発案者自ら墓穴を掘ったと気付いた時にはすっかり手遅れだった。
背中合わせに脱いだものの、正面を向くタイミングを決めていなかったのだ。背後で山女がこちらを向いて待っているのは空気でわかっている。だか岩のように固まった志水の体は動く気配が全くなかった。
山女が目の当たりにした志水の背中は本当に痩せていた。争っていた時は激昂していたのと、性的興味がなかったので全く体を眺めるような気分じゃなかった。なので、漠然と痩せているという印象以外、残っていなかったのだ。
先ほど志水が言っていたように、薄くなってはいるものの、背中や腰のあたりに小さな火傷や、怪我の跡がいくつもあることにも気付く。そっと触れると志水の体はビクリと反応した。
小さなこどもが、母親から庇って貰えることもなく、知らない男に延々に傷付けられるのはどんなに恐ろしい絶望だったろうか。
さらに志水は、冬だというのに首から上が日に焼けていて、寒い日も、暑い日も、自分の家には寄り付くことなく、ひたすら時間が費えるを待ち、あの公園で過ごすような毎日を繰り返してきたのだと思うと、山女は何とも形容し難い気持ちに胸が押し潰されそうになっていた。
後ろから力一杯掻き抱きたい衝動をどうにか抑え、志水にリラックス出来るような、気の利いた言葉を掛けようと考えを巡らせるが、どうにもうまく見つけられない。そもそも自分にはそんな高等技術など持ち合わせてはいなかった。考えあぐねていると、突然志水が声をあげた。
「目!」
「へっ?」と、ビックリして思わず変なところから声が出た。
「目閉じて!」
「うん?わかった……」
言われた通り、山女はギュッと瞼を閉じた。すると柔らかいもので口を塞がれ、華奢な腕が自分の背中に回され、勢いよく後ろに倒された。
「び、ビックリした!」
「うん、心臓すっげードクドク言ってる!」
イタズラが成功したこどもみたいに、志水はケラケラと笑って山女の胸に耳をつけていた。お仕置きするように少し怒った顔を作り、志水の体を引き上げて口付ける。下唇と食むようにすると、薄っすらと志水の唇は開かれた。
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