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第2章 因縁 第1話(4)

 苛立ちが募ったせいか、頭の痛みがさらに酷くなった気がして低く呻く。 「薬、もう一度お持ちしますか?」 「うるさいっ」  クリスは咄嗟に、ヒステリックに怒鳴り返していた。  先程手を上げたことといい、これでは癇癪持ちの子供そのものではないか。  男のまえで次々と曝す己の醜態に、心底嫌気が差した。なぜもっと理性的に、感情を律して振る舞うことができないのか。  冷たい汗が噴き出す掌を、クリスは爪がくいこむほどにきつく握りしめ、口唇(くちびる)を噛みしめた。  男の目に、自分はさぞ滑稽に映っていることだろう。無様すぎて、自分で自分を絞め殺してやりたいくらいだった。 「薬が完全に抜けきるまで、そこそこキツいと思いますので、くれぐれも無理はなさらず」  クリスが強い拒絶を示したことで、男はそれ以上、解毒剤を勧めようとはせず、引く姿勢を見せた。  男の意図するところが、まるでわからない。宿を取ったのは、クリスをあの場に捨て置くことができなかったからだと言った。だがクリスは、その裏にある真意を疑わずにいられなかった。  五年前に一度解放したものの、いまになってあらためてクリスの存在に利用価値を見いだした、という可能性はあるまいか。そう考えると、酒場で絡まれたこと自体が最初から仕組まれたことのようにも思えてきた。タイミングよく男が登場したのも、スターモールのみならず、クリス自身も捕縛対象としてアウジリアスにマークされていたと考えれば辻褄が合う。  自分はひょっとして、すでに敵中に囚われているのではないか―― 「そんなに警戒なさらなくても大丈夫ですよ」  クリスの心中を見透かしたかのように、男が言った。眉を(ひそ)めたまま無言で見上げると、青灰色の瞳がまっすぐにそれを受け止める。そして、ごく軽い調子で肩を竦めた。 「薬が抜けて躰が回復したら、好きに出ていっていただいてかまいません。これは俺の独断でしていることなんで、組織は関係ありませんから」  態度からも口調からも、その言葉に偽りの気配は感じられなかった。 「なぜ……」  到底納得のいかない状況に、疑念が口をついて出た。だが、男はそれには答えず、ゆったりとした笑みを浮かべただけだった。 「身を起こしておくことも、いまはおつらいでしょう? 信じていただけるかどうかはともかく、あなたをどうこうするつもりはありません。ですから、体調が整うまではゆっくりおやすみください」 なだめる語調で男は言う。どこまでも小面憎いほどの落ち着きが、クリスのただでさえささくれだっている神経を逆なでした。  ()われのない気遣いや恩情をかけられるのは、耐えがたい屈辱だった。情けない姿を曝しつづけていればなおのこと惨めで、早く目の前から消えろと心の底から願わずにはいられなかった。  どんなに不快で腹立たしくとも、いまは完全に()が悪い。頭が朦朧としているうえに身体にも充分な力が入らない。少しでも早く体力を回復させて、散漫になっている思考力を取り戻さなければ。このあとの算段を立てるのは、それからでいい。  あえて男から目を逸らしたまま、クリスは己に言い聞かせる。  先程同様、今度もまた、男はそれ以上踏みこんでくることはせず、立ち去る気配を見せた。ホッと息をつきかけたそのとき、 「ところでその顔の傷は、どうされました? シャノン殿下」  思わぬ方角から投げかけられた質問に、最後の平常心が砕け散った。  癇癪だろうがなんだろうが、もはやかまわない。咄嗟に摑んだ枕を、クリスは力任せに投げつけていた。  力みすぎてコントロールが狂い、やわらかな凶器は男の立ち位置から大きく外れた場所を通過していく。そのまま、背後の壁まで飛んでポスンとマヌケな音をたてると、壁から滑り落ちて絨毯に沈んだ。  息を喘がせたクリスは、ベッドサイドに佇む男を正面から睨み据えた。 「いったいだれのことだっ、それは。貴様にそんなふうに呼ばれる筋合いはない! この次おなじことを繰り返せば、必ずその場で(くび)り殺してやるっ」  噛みしめた歯の隙間から、怒りと憎悪に滲む声を搾り出す。静謐な眼差しでその激情を受け止めた男は、ややあってから視線をゆっくりとはずした。  伏せた眼差しの奥で、どんな思いを抱いたかはわからない。  男は無言のまま(きびす)を返すと、扉の向こうに姿を消した。  室内に静寂が満ちる。  すべてがままならない状況に歯噛みしつつ、クリスは両の拳を握りしめた。いまはなにも考えたくない。  すべての雑念を追いやって、彼は苦痛に耐えるように固く目を閉じた。

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