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第3章 ターミナルにて (5)

 ティアが男を恐れていた理由は、ひょっとしてこの点にあったのではないか。  別空間に逃げこむほど怖がっていたにもかかわらず、ティアは『声』がした瞬間に血相を変えて飛び出してきた。それほどの危機的ななにかがあったことは間違いない。だが『声』の主は、いま見るかぎり、どこにも見当たらなくなっている。あのとき自分の身に、なにが起ころうとしていたのかクリスにはわからなかった。『声』の正体すら、心当たりがない。それでもひとつだけ明白なことがある。それは目の前にいる男が、まぎれもなく自分の敵であるということだ。  この場に駆けこんでくるなり、男は迷うことなくこちらに銃口を向けた。その対象が自分ではなく、ティアだったからこそ余計に許せなかった。  どんな理由であろうと、ティアを害する者は(ゆる)さない。それは、クリスにとって絶対の揺るぎない思い。その最大の禁忌を、男はあろうことかクリスの眼前で犯した。  一般の人間に、高次の生命体であるフィロデディオを感知することはできない。にもかかわらず男は、最初からティアの姿をとらえて攻撃の対象とした。それがあり得ない事実であるということに、クリスはこの時点で気づいていなかった。  ――クリス、僕ね、なんでかわからないけど、あの人の印象、そんなに悪くないんだ。邪悪なものが全然混じってない。だからきっと、悪い人じゃないと思う……。  ティアの言葉が脳裡をよぎる。同時に、こちらをまっすぐに見ていた青灰色の瞳と視線が交わった。その瞬間にクリスの中で理性の箍がはずれ、感情が爆発した。 「きっ…さまぁぁぁ――――……っっっ!!!」  出航待ちをしていたアウジリアスが、なぜ公共の場で激しい銃撃戦を繰り広げることになったのか知る由もない。高次生命体であるティアは、どういう理由でただの人間の放った銃弾に(たお)れるはめになったというのか。ティアはいったい、から自分を庇おうとしていたのだろう。  感情が掻き乱されて思考がまとまらず、ただただ、あらゆる疑問が胸の裡に溢れかえってクリスをさらなる混乱へと巻きこんでいく。  激情の中心で(たぎ)るのは、深い喪失感と悲しみ、そしてはかりしれない孤独。その孤独に対する、恐怖と絶望――  それらの想いが、強い怒りに変貌してクリスを支配する。  言葉にならない喚声を放って、クリスは男に向かっていった。  まともにやり合って敵う相手ではない。そんなことは重々承知している。だがもはや、躊躇する理由にはならなかった。  男はじっと、突進してくるクリスの様子を見守っている。(しず)かな気配。  ただ、やるせない想いだけがクリスを突き動かしていた。  腰のホルダーに手をやる。いまごろになってやっと、自分が銃を携行していたことを思い出した。  その場で足を止め、充分な間合いをとってから手にした銃を構える。相手の息の根を止めることしか考えられなかった。  赦さない。赦さない。ティアがなにをしたというのだ。たったひとりの大切な相棒だったのにっ。  湧き上がる憤りは、半分は手を下した男に対するもの。そして残りの半分は、なにもできずにティアを見殺しにしてしまった自分自身に向けられていた。  怒りと同時に悔しさがこみあげる。男を殺したあと、自分自身をも撃ち殺してやりたい。心の底からそう思った。  男の額中央に照準を合わせる。殺すことを前提に銃口を向けることに、なんの躊躇(ためら)いも感じなかった。  引き金にかける指先に力が籠もる。と次の瞬間、地を蹴った男が眼前に迫り、気づいたときには形勢が逆転されていた。  手首を摑まれると同時に背後を取られ、後方に腕を捻り上げられる。男が本気を出せば、クリスの腕をへし折ることなど簡単にできただろう。それをあえて手心を加え、押さえこむだけにとどめる余裕が度しがたかった。  痛みに耐えながらも、クリスは相手のホールドから逃れようとしゃにむに暴れ狂った。 「いい加減、観念してください。下手に動くと肩がはずれますよ」  いくぶん苛立った口調で男が言う。しかしクリスは取り合わず、さらに男の腕を振り払おうと必死でもがいた。  背後の喧噪が、一段と大きくなる。クリスの手首を摑む男の手に、わずかに力が籠もった。けれどクリスには、もはや周囲で起こっていることに関心を払う余裕すらなくなっていた。 「なぜ、追ってきたんです? いまはまだ、我々は再会すべき時期ではなかったというのに」  沈痛さの滲む声が耳もとで嘆じる。直後。  首筋に強い衝撃を感じるとともに、すべての感覚が闇の奥底へと沈んでいった。クリスの意識は、急速に遠のいた。

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