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第4章 囚われの身 第2話(2)

 クリスの眼差しが、無意識のうちにテーブルの上のトレイに向けられる。パンやスープ、サラダとともに用意されたフォーク。  囚われて以降、三度の食事はきちんと出されてきたが、食欲がないことを理由に、あまり手をつけることをしてこなかった。だが、あらためて見れば、己の始末をつけるための道具はこうして毎回用意されていた。思うと同時に手が伸びる。  なぜ、いままで気づかなかったのだろう。 「きちんと栄養を摂って体力をつけることです」  まるですべてを見透かしたかのようなタイミングで声をかけられ、クリスはピクリと反応した。思わず顔を上げると、男はクリスの動きを謐かに注視していた。  視線をその手もとに据えたまま、独語するように口を開く。 「あなたの存在は、あなた自身が思っている以上にとても重要な意味を持つ」 「……重要? それはただたんに、おまえたちにとって勝手のいい道具として利用できるという、ただそれだけのことだろう」 「そういうことじゃない」  思いのほか強い口調で男はクリスの言葉を否定した。 「いまのあなたには、おそらくなにを言ったところで俺の言葉は届かないでしょう。都合のいい詭弁にしか聞こえないはずです。だが、これだけは言っておきます。あなたを利用しようとしている人間は我々ではなく、もっと別にいる。真実を見極めた後にあなたが敵と見做すのが、我々になるのか別の存在になるのかはわからない。だけどいずれその相手と向き合うのなら、あなたはしっかりと体力をつけて、思考をクリアにしておかなければならない。心身の状態を万全に保つためにも、栄養は摂っておくべきです」  それだけを言い置いて、ふたたび背を向ける。クリスは、その背中に訴えかけた。 「こんな狭苦しい空間に何日も閉じこめられて、自分が置かれている状況も、その目的も意図もわからなければ平静でいられるわけがない。食欲など湧くものか!」  いくら言い募ったところで、どうせまともに取り合ってくれるはずがない。そう思ったが、男は小さく息をつくと振り返った。 「わかりました。たしかにそのとおりですね」  思いがけない同意に、咄嗟に反応できなかった。にもかかわらず、男は勝手に話を進めていく。 「いいでしょう。では食後に、トレーニングルームへお連れします。それでいいですか?」 「え?」  言われた意味がわからず小さく口を開け、瞬きをする。男の顔には、かすかに苦笑が閃いていた。 「たしかにあなたがおっしゃるとおり、こんな状態が長くつづけばストレスも溜まるし気も滅入る。食欲が出ないのもやむを得ないことでしょう。この船には、航行中の乗組員たちのためのトレーニング用の設備が整えられています。あなたも気分転換に、そこで少し身体を動かされては如何ですか?というご提案です」 「え、で、でもっ」 「後ほど食事を終えて、少し落ち着かれたころに迎えに上がります。では、また」 「クラウス!」  立ち去りかけた男を咄嗟に呼び止めてしまってから、あわてて口を(つぐ)んだ。目覚める直前に見た夢の余韻が、うっかり気安かったころの呼びかけに繋がってしまった。だが、狼狽(うろた)えるクリスを見ても、男はとくに反応を示さなかった。  なにごともなかったようにやり過ごして、もう一度、では、と言い置いて今度こそ去っていった。スライドしたドアの向こうに、その姿が消える。独り室内に取り残されたクリスの全身から、一気に力が抜けた。  いったいなにをやっているのだと、自分の言動にもどかしさをおぼえる。しかしその反面で、男の言うことにも一理ある気がした。  囚われた状況で、へんに意地になって食事を拒んだところで、自分が弱るばかりでだれの得にもならない。敵の施しなど受けたくないという気持ちがあるのはたしかだが、いざというときに反撃できる余力がなければ、なんの意味もなかった。げんにいまも、聞き逃すには捨て置けない、なにか重要なことを言われたはずなのだが、それがなんだったのかまるで理解できずにいた。  消耗した体力と気力のせいで思考がまともに働かない。きちんと実情を把握して、吟味するだけの余力がなかった。  自分を利用しようとしている人間がほかにいる。  (てい)のいいでまかせだと言ってしまえばそれまでだが、男の口調には、それだけではないものが含まれている気がした。  アウジリアスの連中以外に、本当にそんな人間など存在するのだろうか。だとすれば、そこにはどんな目的があって、自分にどんな利用価値を見いだしているというのか。考えたところで、いまのこの状況ではわかることなどなにひとつなかった。  出しようもない答えを探ることを早々に諦め、クリスはベッドから下りた。  着崩れたローブの襟元をわずかに整え、出入り口わきの洗面所に向かう。まずは冷たい水で顔を洗って、それから今後に備えるためにもきちんと栄養補給をしようと思った。  囚われてからの日々を、ほとんどベッドの上で過ごしてきたため足もとがふらつく。こんなことでいいわけがない。復讐云々以前に、自分を生かそうとしてくれた母やティアに、申し訳が立たなかった。  しっかりしろ、とクリスは己を叱咤する。気合いを入れるために、両手でみずからの頬を強く叩いた。それからトレイに載っている食事を見やる。まずは戦える力を蓄えようと決意した。

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