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■2-3 ノア編:街灯修理記録と、残した名前
俺はタブレットを閉じかけて、ふと画面の端を見た。
小さな街灯マークが光っている。
昨日見たやつだ。
「……ノアか」
口に出してから、少しだけ変な感じがした。
通知を開く。
【低ランク巡回クエスト】
対象プリンス:ノア
街灯修理記録確認
場所:下町東区・パン屋裏路地
画面には、昨日の街灯が映っていた。
淡い金色の光は、今日もちゃんと点いている。
その根元に、小さな魔導プレートが浮かんでいた。
【街灯番号:E-042】
【修理日時:前日夜】
【対応者:晴人】
【巡回兵: 】
巡回兵の欄だけが空白だった。
画面の中で、ノアがそのプレートを見つめている。
『巡回兵ノアです』
いつもの丁寧な声。
でも、少しだけ困っている。
『昨日修理した街灯の記録を確認したところ、巡回兵名が空白になっていました』
ノアは一度、街灯を見上げた。
『街灯は点いています。通行にも支障はありません』
そこまで言って、少し黙る。
『ですが、記録上は、晴人だけが対応したことになっています』
俺は画面を見た。
昨日、街灯を直したのはノアだ。
俺は補助灯を持って、工具を何回か間違えただけ。
「俺だけ残ってるのは変だろ」
そう呟いた瞬間、街灯の光が画面の外へ伸びた。
昨日より、少しだけ早い。
タブレットの奥から、声が届いた気がした。
来てくれますか。
返事をするより先に、光が広がる。
気づけば、俺は下町の街灯の前に立っていた。
****
夜の下町は、昨日と同じ匂いがした。
パン屋の甘い残り香。
蒸気管の白い湯気。
石畳に映る街灯の光。
街灯番号E-042は、ちゃんと点いていた。
その根元で、ノアが魔導プレートを見ている。
俺に気づくと、少しだけほっとした顔をした。
「晴人」
「来た」
「はい。来てくれました」
昨日より、ほんの少しだけ声が柔らかい。
俺は魔導プレートを見る。
【対応者:晴人】
【巡回兵: 】
「俺だけ残ってるな」
「はい」
「昨日、直したのはノアだろ」
「晴人も手伝ってくれました」
「俺は補助灯を持ってただけだ」
「それでも、助かりました」
「じゃあ、二人で直した」
ノアは、その言葉を聞いて少しだけ目を伏せた。
「二人で」
「そうだろ」
「はい」
ノアは小さく頷く。
「二人で、直しました」
その言い方が、やけに大事そうだった。
俺はプレートの空白欄を指差す。
「ここ、名前入れられるのか」
「通常なら、巡回記録から自動で入ります」
「入ってないなら、手で書けばいい」
「正式記録ではないかもしれません」
「何もないよりましだろ」
ノアは少し考えた。
それから、工具箱から記録ペンを取り出す。
「では、仮記録として」
「仮でいい」
ノアは魔導プレートにペン先を当てた。
白い空白に、細い文字が浮かぶ。
ノア。
けれど、すぐに滲んだ。
淡い金色だった文字が、薄くなっていく。
ノアの手が止まる。
「……入りません」
「もう一回」
「はい」
ノアはもう一度書いた。
ノア。
今度も、文字は途中で白くにじんだ。
完全には消えない。
でも、読めるほどにも残らない。
ノアは困ったように、ペンを握り直した。
「僕の記録が、うまく紐づいていないのかもしれません」
「紐づき?」
「巡回した者と、街灯の修理記録を結ぶものです」
「分かるようで分からない」
「すみません」
「謝るな」
ノアが少しだけ笑った。
俺はプレートを見た。
昨日も、街灯番号が一瞬だけ白く滲んだ。
古い街灯だから記録が乱れる、とノアは言っていた。
その程度のことなのかもしれない。
でも、俺の名前だけ残って、ノアの名前だけ入らないのは、やっぱり変だった。
「一人で書くと消えるなら、二人で書くか」
「二人で?」
「昨日も二人で直したんだろ」
ノアが目を丸くする。
俺はノアの手に、自分の手を重ねた。
記録ペンを一緒に持つ形になる。
ノアの指が、ぴくりと震えた。
「晴人」
「嫌か」
「嫌では、ありません」
「じゃあ書くぞ」
「はい」
二人で、ゆっくり文字を書く。
【巡回兵:ノア】
今度は、文字が消えなかった。
淡い金色のまま、プレートの上に残る。
ノアは息を止めたように、それを見つめていた。
「残りました」
「残ったな」
「僕の名前が」
「お前の名前だろ」
「はい」
ノアは、ものすごく嬉しそうに笑った。
街灯修理の記録に名前が入っただけだ。
それだけなのに、ノアはまるで、自分がそこにいていいと許されたみたいな顔をしていた。
俺は少しだけ困る。
こういう顔をされると、何を言えばいいか分からない。
「大げさだな」
「そうでしょうか」
「名前を書いただけだろ」
「でも」
ノアはプレートを見たまま言う。
「晴人と書いたら、残りました」
それは、たぶんノアにとって、かなり大きいことだった。
俺は何となく視線を逸らす。
「じゃあ、次から記録漏れしたら呼べ」
ノアがこちらを見る。
「呼んで、いいのですか」
「困ってるんだろ」
「はい」
「なら呼べ」
ノアは少しだけ赤くなった。
「はい。呼びます」
その返事がやけに素直で、こっちが変な気分になった。
****
記録の確認が終わったあと、ノアは街灯の下で工具箱を片付けた。
俺はその横で、魔導プレートを見ている。
【対応者:晴人】
【巡回兵:ノア】
二人の名前が並んでいた。
「これでいいのか」
「はい。仮記録ですが、巡回日誌にも転記できます」
「日誌もあるのか」
「あります。巡回兵なので」
「真面目だな」
「昨日も言われました」
「今日も言う」
ノアは少しだけ笑った。
その笑顔は、昨日より少し近い気がした。
空中に表示が浮かぶ。
【巡回記録:更新】
【街灯番号:E-042】
【対応者:晴人】
【巡回兵:ノア】
街灯の光がふわりと広がった。
【ナイトステイが発生しました】
「きたな」
俺が言うと、ノアの顔が赤くなった。
でも、昨日ほど慌ててはいない。
「はい」
「名前書いただけで?」
「名前が、残ったので」
「理由になってるか?」
「僕には、とても大事なことでした」
昨日と似たような返しなのに、今日は少しだけ分かった気がした。
ノアは、自分の仕事を見てもらえることに慣れていない。
自分の名前が残ることにも、たぶん慣れていない。
だから、二人で名前を書いたことが、こんなに嬉しいのだろう。
街灯の光が、また小さな部屋みたいな空間を作る。
外の音が遠くなる。
パン屋の匂いも、蒸気管の音も薄くなり、街灯の下に二人だけが残る。
空中に表示が浮かぶ。
【ナイトステイ】
対象プリンス:ノア
帰還条件:対象プリンスとのキス
※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります
「前と同じみたいだ」
「はい」
ノアは赤い顔で頷く。
「晴人は」
そこで言葉を止める。
昨日より少しだけ、言いにくそうだった。
「嫌なら言う」
俺が先に言うと、ノアは目を見開いた。
「……はい」
「嫌ではない」
ノアの肩から力が抜ける。
「僕も、嫌ではありません」
昨日より、少しだけ早い返事だった。
俺はノアに近づく。
ノアも、ほんの少しだけ近づいた。
その距離が昨日と違う。
昨日は、帰るための条件だった。
今日は、ノアが嬉しそうにしているせいで、ただの条件とは言い切れなくなっている。
キスは、昨日より少し長かった。
最初は触れるだけのつもりだった。
けれど、離れるタイミングが一拍ずれた。
ノアの息が、ほんの少し唇に触れる。
その近さに、俺の方が少しだけ驚いた。
離れると、ノアは目を伏せていた。
「晴人」
「何」
「昨日より、少し長かったです」
「言うな」
「すみません」
「謝るな」
「はい」
ノアは小さく笑った。
その笑顔を見て、俺も少しだけ笑ってしまった。
空中に表示が浮かぶ。
【帰還条件を満たしました】
現実世界へ戻りますか? YES/NO
昨日はすぐ押した。
今日は、少しだけ遅れた。
理由は分からない。
ただ、ノアがまだ街灯の下にいて、二人で書いた名前のプレートが光っている。
それをもう少し見ていたいと思った。
「街灯、明日も見に来るのか」
「はい。巡回区域ですので」
「じゃあ、プレートも確認しろよ」
「はい」
ノアは嬉しそうに頷く。
「晴人と書いた名前なので」
そう言われると、また返しに困る。
「大げさ」
「はい」
「そこは否定しろ」
「できません」
ノアは笑った。
俺は少しだけ息を吐いて、YESを押した。
街灯の光が白く広がる。
最後に、ノアの声が聞こえた。
「晴人。僕の名前を、残してくれてありがとうございました」
****
現実に戻ると、タブレットには昨日の街灯が映っていた。
ちゃんと点いている。
その根元の魔導プレートには、二つの名前が並んでいた。
【対応者:晴人】
【巡回兵:ノア】
ノアの姿はない。
でも、二人で握った記録ペンが、プレートの横に置かれていた。
俺はしばらく画面を見ていた。
「名前を書いただけで、あんなに喜ぶか」
呟いてから、少しだけ笑う。
真面目すぎる。
控えめすぎる。
でも、あの嬉しそうな顔は、悪くなかった。
指先に、まだ記録ペンの硬さが残っている気がする。
手を重ねた時、ノアが少しだけ震えたことも。
「……このゲーム、ほんと変なところが細かいな」
そう言って、タブレットを閉じた。
少しだけ、次に街灯マークが光るのを待っている自分には、気づかなかったことにした。
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