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■3-1 ガイアス編:救助隊長は、自分を救えない

翌日の夜。 【姉:今夜ガイアス】 【姉:救助隊長】 【姉:兄貴肌】 【姉:熱い】 【姉:肩幅がでかい】 【姉:限定スチルよろしく】 俺はリビングのソファに座り、タブレットを開いた。 画面には、炎のような赤い斧のアイコンが表示されている。 【期間限定イベント】 霧晶炉爆発事故 対象プリンス:ガイアス・ブレイズ ガイアス・ブレイズ。 蒸気消防隊、災害救助部隊隊長。 赤茶色の髪。 琥珀色の目。 肩には大きな魔導斧《フレアアンカー》。 耐熱ジャケット姿で笑っているだけなのに、画面の温度が二度くらい上がった気がする。 ホームボイスが流れる。 『姫、安心しろ。俺がいる限り、誰一人置いていかねえ』 いい奴そうだった。 たぶん、姉はこういう分かりやすく頼れる男にも弱い。 次のボイス。 『火の中で泣いてる奴がいるなら、俺が行く。隊長ってのは、そういうもんだ』 「重いな」 さらに次。 『怪我? こんなの唾つけときゃ治る。先にあいつらを見てやれ』 「治らないだろ」 画面の中のガイアスは豪快に笑っている。 けれど、その台詞には少し引っかかった。 唾で治る怪我と、そうじゃない怪我がある。 だいたい、そういうことを笑って言う奴は、後者の方を隠している。 俺はイベント開始を押した。 **** 蒸都アルカディア、工房区画。 巨大な霧晶炉が空へ伸びている。 赤い警告灯。 黒い煙。 地面を走る魔導蒸気管。 画面奥で、第七霧晶炉が赤く点滅していた。 【第七霧晶炉】 【冷却装置停止】 【周辺区画避難指示】 【救助隊、出動】 画面の中で、ガイアスが魔導斧を肩に担ぎ、部隊の前に立っている。 『全員、聞け! 東区画の避難路を開ける。煙が回る前に子どもと老人を先に出せ!』 声が大きい。 でも、不思議とうるさくない。 現場の音を全部押さえて、人を動かす声だった。 赤い煙の奥で、避難者の影が揺れる。 崩れた蒸気管。 火花。 悲鳴。 ガイアスは迷わず前へ出た。 『西の弁を閉じろ!』 隊員たちが一斉に動く。 『煙が降りる前に、怪我人を出せ!』 作業員を担いだ隊員が、火花の中を駆け抜ける。 『泣いてる奴から運べ! 歩ける奴は肩を貸せ!』 火柱が上がった。 普通なら、そこで隊列が止まる。 けれどガイアスは止まらなかった。 魔導斧《フレアアンカー》を両手で握り、地面へ叩きつける。 赤い魔法陣が足元に広がり、炎がまるで手綱を引かれた獣みたいに横へ倒れた。 火柱がねじ伏せられる。 蒸気が裂ける。 その奥から、煤だらけの作業員が二人、隊員に抱えられて出てきた。 『行け! 振り返るな!』 ガイアスは笑っていた。 赤い火の中で。 煙に巻かれながら。 腕の袖が焦げているのに。 その笑顔だけは、壊れない。 「すごいな」 普通に、そう思った。 ガイアスは現場の真ん中で、全部を受け止めるみたいに立っている。 安心しろ、と背中で言っている。 あの人が来れば、もう大丈夫だ。 画面の中の作業員たちが、泣きながらそう言っているのが分かった。 実際、鎮火は早かった。 ガイアスの炎熱制御魔法が火を押さえ、隊員たちが次々に怪我人を外へ運び出す。 最後の作業員が救助されると、画面に表示が出た。 【一次鎮火成功】 【作業員救助完了】 【民衆被害:最小】 工房の外では、避難した人々が歓声を上げていた。 『ガイアス隊長!』 『あの人が来れば、もう大丈夫だ!』 『蒸気消防隊、最高だ!』 ガイアスは魔導斧を肩に担ぎ直し、画面のこちらへ笑ってみせる。 イベント台詞が表示された。 『見ただろ、姫。すべて俺に任せろ。俺が皆を助ける』 画面に選択肢が出る。 【さすがです、ガイアス様】 【頼もしいです】 【まぁ、すごいけど……】 すごい。 頼もしい。 それは本当だ。 でも、引っかかる。 助かった人たちは泣いて安心している。 隊員たちも息をついている。 なのに、ガイアスだけが、腕に血を滲ませたまま笑っている。 焦げた袖の下。 裂けた耐熱ジャケット。 腕に増えた赤い筋。 見えている。 本人が見せないようにしているだけで、見えている。 俺は三番を押した。 【まぁ、すごいけど……】 画面の中のガイアスが、少しだけ目を丸くした。 『お、含みあるな。何だ? 火力が足りなかったか? それとも俺の背中が頼もしすぎたか?』 軽い。 笑っている。 でも、その笑い方が、さっきより少しだけ雑になった。 『何でも言ってみろ。現場の意見は大事だからな』 「……笑ってる場合か」 俺が呟いた瞬間、画面の赤い警告灯が強く瞬いた。 タブレットの奥から、熱い風が吹いた気がした。 煙の匂い。 焦げた鉄の匂い。 消火剤の苦い匂い。 リビングの空気が、ぐにゃりと歪む。 画面の中で散っていた火花が、外へこぼれた。 一つ、指先の近くで弾ける。 熱い。 本当に熱い。 次の瞬間、足元が鉄板になった。 **** 耳元で、警報が鳴っていた。 赤い灯り。 黒い煙。 蒸気管の唸り。 目の前には、煤で汚れた工房区画。 そして、魔導斧を担いだガイアス・ブレイズがいた。 近い。 画面で見るより、でかい。 肩幅という姉の雑な情報が、急に説得力を持つ。 ガイアスは俺を見るなり、眉を上げた。 「おい、そこの避難者!」 「避難者?」 「煙吸ったか? 立てるか? 名前言えるか?」 「いや、俺は」 「よし、返事はできるな。意識あり。歩行可能。怪我は?」 「だから」 「煤は少ねぇな。服も燃えてねぇ。よし、軽症扱いで後方に回れ」 「勝手に診断するな」 ガイアスは一瞬固まった。 それから、改めて俺を見た。 「……姫じゃねぇな?」 「今さらかよ」 「いや、現場じゃまず怪我人かどうかを見るんだよ。性別確認はその次だ」 「順番が特殊すぎる」 「命が先だろ」 言い切られると、少し返しに困る。 ガイアスは豪快に笑った。 「で、名前は?」 「晴人」 「晴人か。姫の代理ってやつか?」 「たぶん」 「たぶんで火災現場に来るな!」 「俺も好きで来たわけじゃない」 「まあ、来ちまったもんは仕方ねぇ」 ガイアスは俺の肩を軽く叩こうとして、途中で手を止めた。 その腕の袖口に、血が滲んでいる。 さっき画面で見えた傷だ。 近くで見ると、思ったより深い。 「怪我してるだろ」 俺が言うと、ガイアスはあっさり笑った。 「かすり傷だ。現場じゃよくある」 「休めよ」 「無理だな」 即答だった。 「隊長が先に座れるかよ。安心させる側が、不安そうな顔できねぇだろ」 その言い方が、自然すぎた。 考えて言っていない。 ずっとそうしてきた奴の声だった。 「笑ってれば安心するのか」 「少なくとも、隊長が青い顔してるよりはましだ」 「痛くても?」 「痛くても」 「血が出てても?」 「出てても」 「倒れそうでも?」 「倒れねぇ」 「根性論だな」 「現場じゃ根性で一秒稼げることもある」 ガイアスはそう言って、また前を見る。 工房の中では、隊員たちがまだ確認作業を続けていた。 鎮火したとはいえ、炉の奥では赤い熱が残っている。 天井の梁が軋む音がした。 「隊長!」 隊員の一人が叫んだ。 「西側上部、梁が落ちます!」 見上げると、焼け焦げた鉄梁が赤く光っている。 真下には、救助されたばかりの作業員を運ぶ隊員たちがいる。 ガイアスが動いた。 迷いがない。 魔導斧を構え、梁の落下位置へ飛び込む。 「下がれ!」 「隊長、腕が!」 「来るな! 怪我人を運べ!」 ガイアスは負傷した腕でフレアアンカーを持ち上げた。 落ちかけた梁が、斧の刃にぶつかる。 鈍い音。 火花。 ガイアスの膝が、ほんの少し沈んだ。 だが、笑う。 「軽い軽い! さっさと運べ!」 軽いわけがない。 隊員たちは作業員を運び出す。 ガイアスは梁を押さえ続ける。 腕の傷から、さらに血が滲んだ。 「無茶しすぎだ」 俺が言うと、ガイアスは歯を見せて笑った。 「無茶じゃねぇ。救助だ」 「違う」 「あ?」 「お前が倒れたら、救助が止まるだろ」 その瞬間、ガイアスの表情が少しだけ変わった。 笑顔のまま。 でも、目だけが止まる。 俺は続けた。 「助ける側でいい。だったら、立ってろ。支えられてでも」 ガイアスは何も言わなかった。 鉄梁を支える腕が震えている。 隊員が駆け寄ろうとする。 「隊長、支えます!」 ガイアスはいつものように怒鳴ろうとした。 たぶん、 「来るな」 と言うつもりだった。 でも、声が出る直前に止まった。 俺の言葉が、そこに引っかかったみたいに。 支えられてでも、立て。 ガイアスは奥歯を噛んだ。 「……右側を持て!」 隊員が目を見開く。 「え」 「聞こえねぇのか! 右側だ! 俺が左を押さえる。お前は右を支えろ!」 「はい!」 隊員が梁の右側へ入り、支柱用の耐熱器具を差し込む。 二人分の力で、梁が安定した。 ガイアスの膝が戻る。 「よし、離すぞ。三、二、一!」 梁が支柱へ移される。 大きな音を立てて、重さが器具に乗った。 隊員たちが息を吐く。 ガイアスも、ほんの少しだけ肩を上下させた。 本当に一瞬だけ。 すぐに笑顔へ戻す。 「ほらな、問題ねぇ」 「問題あるだろ」 「ねぇよ」 「ある。今、膝ついた」 「ついてねぇ。地面に近づいただけだ」 「それを膝つくって言うんだよ」 隊員の一人が、笑いをこらえたように口元を押さえた。 ガイアスが睨む。 「笑ってんじゃねぇぞ」 「す、すみません!」 そのやり取りで、少しだけ現場の空気が緩んだ。 だが、ガイアスの傷は緩んでいない。 血はまだ滲んでいる。 それでも、ガイアスは腕を隠すように斧を担ぎ直した。 その仕草で、俺は確信した。 ガイアスは強いから休まないんじゃない。 自分が止まることを、現場の負けだと思っている。 自分が助けられる側になることを、誰かを危険にすることだと思っている。 だから笑う。 痛くても。 血が出ても。 倒れそうでも。 笑って、前に立つ。 **** その時、霧晶炉の奥で、低い音が鳴った。 ごうん、と腹の底に響くような音。 赤い警告灯が、さらに激しく点滅する。 【再圧力上昇】 【第二冷却弁:破損】 【再爆発危険】 「まずい!」 隊員が叫ぶ。 「奥の隔離室に反応があります! 作業員一名、子ども一名!」 「子ども?」 俺が思わず聞き返す。 「工房長の息子です! 避難時に戻った可能性が!」 ガイアスの顔が変わった。 笑顔が消える。 「位置は」 「第二炉裏側。扉が熱で歪んでます!」 「俺が行く」 即答だった。 あまりに早い。 隊員が前に出る。 「隊長、その腕では扉を支えられません!」 「火は俺が押さえる。扉も俺が押さえる。お前らは出てきた二人を運べ」 「無理です!」 「無理じゃねぇ!」 ガイアスがフレアアンカーを握り直す。 負傷した腕に力が入る。 その瞬間、顔がほんの少し歪んだ。 本人は隠したつもりだろう。 でも、見えた。 「ガイアス」 俺が呼ぶと、ガイアスは振り返った。 「何だ。お前は下がってろ」 「お前が倒れたら、救助が止まるだろ」 ガイアスが黙る。 さっきの言葉。 もう一度。 逃げ道を塞ぐみたいに、同じ場所へ刺す。 「助ける側でいたいんだろ」 「……当たり前だ」 「だったら支えられろ」 ガイアスの目が揺れた。 一瞬だけ、赤い炎の向こうに、別の火が見えた気がした。 **** 若いガイアス。 煤だらけで動けなくなった新人隊員。 その前に飛び込む誰か。 先輩隊員。 炎の中で、ガイアスを押し出す腕。 その人の背中に落ちる火花。 ガイアスの喉が、小さく鳴った。 「俺は」 低い声。 「助けられる側になっちゃいけねぇんだよ」 「誰が決めた」 「俺が決めた」 「じゃあ、今だけ変えろ」 「簡単に言うな」 「簡単じゃなくても、今変えろ」 再爆発警報が鳴る。 時間はない。 ガイアスは奥歯を噛んだ。 そして、叫んだ。 「作戦変更!」 隊員たちが一斉に顔を上げる。 「俺が炎を押さえる! 扉の保持は二人でやれ! 搬送班は入口で待機! 煙抜き班、上部弁を開けろ!」 「了解!」 「晴人!」 「俺もか?」 「当たり前だろ!」 「俺、現場の人間じゃないんだけど」 「今ここにいるなら現場の人間だ!」 「採用が雑すぎる」 「右の補助灯を持て! 避難路を照らせ!」 「補助灯ってどれだよ!」 「赤く光ってるやつ以外だ!」 「説明も雑!」 「火事場で丁寧な説明求めんな!」 言い合いながら、俺は壁際にあった補助灯を掴んだ。 ずしりと重い。 熱い。 でも持てないほどじゃない。 ガイアスが前へ出る。 フレアアンカーを構え、炎の正面に立った。 「行くぞ!」 魔導斧が床を叩く。 赤い魔法陣が広がり、火柱が左右へ割れた。 道ができる。 ただし、炎は押し戻そうと暴れる。 ガイアスの腕が震えた。 隊員が背後からガイアスの肩を支える。 「隊長、支えます!」 今度は、ガイアスは怒鳴らなかった。 ほんの一瞬、悔しそうに笑った。 「倒したら承知しねぇぞ」 「倒させません!」 「ならいい!」 二人の隊員が熱で歪んだ扉へ走る。 工具を差し込み、力を合わせて開く。 俺は補助灯を持ち上げ、煙の中へ光を向けた。 白い煙の奥に、影がある。 小さな影。 それを抱える作業員。 「いた!」 俺が叫ぶ。 「右奥!」 「搬送班!」 ガイアスの声が飛ぶ。 隊員たちが走る。 炎がまた押し寄せる。 ガイアスの顔が歪む。 傷のある腕が震える。 でも、背中を支える隊員がいた。 扉を支える隊員がいた。 補助灯で道を照らす俺がいた。 搬送班が、子どもと作業員を抱えて戻ってくる。 一人の英雄が全部やっているわけじゃない。 誰かが叫び、誰かが支え、誰かが運び、誰かが照らしている。 それでも、中心にいるのはガイアスだった。 炎を押さえ、全員の声を拾い、道を開き続けている。 助ける側でいたいなら、支えられてでも立て。 その言葉の意味を、ガイアスは今、体で受け入れていた。 「全員、出た!」 隊員の声。 「よし!」 ガイアスがフレアアンカーを振り上げる。 「伏せろ!」 魔導斧が床を叩いた。 炎熱制御魔法が、一気に霧晶炉の熱を押し込める。 赤い火が、透明な壁に閉じ込められるみたいに縮んだ。 次の瞬間、炉の奥で再爆発が起きる。 轟音。 熱風。 だが、爆風は外へ広がらなかった。 ガイアスの魔法陣と隊員たちの防壁が、それを受け止めていた。 補助灯が一瞬消えかける。 俺は両手で握り直した。 「消えるなよ……!」 光が戻る。 煙の中に、避難路が浮かび上がった。 子どもを抱えた隊員が、その光の中を走る。 最後にガイアスが下がる。 背中を支えられながら。 それでも、倒れずに。 火災区画の外へ出た瞬間、周囲から歓声が上がった。

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