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■3-2 ガイアス編:救助隊長は、自分を救えない
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工房区画の外は、煤と涙と歓声でぐちゃぐちゃだった。
救助された子どもが母親に抱きしめられている。
作業員は地面に座り込み、何度も頭を下げていた。
隊員たちは、肩で息をしながら互いの無事を確認している。
民衆が叫ぶ。
『ガイアス隊長!』
『蒸気消防隊、最高だ!』
『全員で助けてくれた!』
今度の拍手は、ガイアス一人にだけ向いていなかった。
扉を支えた隊員。
搬送した隊員。
煙抜きをした隊員。
背中を支えた隊員。
みんなに向いている。
ガイアスは、それを見ていた。
少しだけ、呆然と。
「……悪くねぇな」
小さく呟いた声が聞こえた。
「何が」
俺が聞くと、ガイアスは少し驚いた顔をした。
聞かれていないと思っていたらしい。
「いや」
「いや、じゃ分からん」
「隊員どもが褒められてるのが、だよ」
ガイアスは笑った。
いつもの豪快な笑い方ではなかった。
少しだけ照れたような、くすぐったそうな顔だった。
その直後、痛みを思い出したのか、ガイアスの顔がわずかに歪んだ。
俺はその腕を見る。
「包帯」
「いらねぇ」
「いるだろ」
「あとで」
「今」
「お前、意外としつこいな」
「お前が誤魔化すからだろ」
ガイアスは困ったように頭をかいた。
隊員の一人が、すでに救急箱を持ってきている。
たぶん、いつものことなのだろう。
「隊長、腕を」
「分かってる」
「本当ですか?」
「分かってるっつってんだろ」
「いつも分かってると言って、そのまま次の現場に行きます」
「おい、晴人の前でばらすな」
「晴人さん、止めてください」
「俺に振るな」
そう言いながら、俺はガイアスを見る。
「座れよ」
「命令か?」
「助ける側でいたいなら、支えられてでも立つんだろ」
ガイアスが黙った。
それから、負けたみたいに息を吐く。
「……座るのは、立つのと逆じゃねぇか」
「屁理屈言う元気はあるな」
「ある」
「じゃあ座れ」
「はいはい」
ガイアスは近くの壊れた資材箱に腰を下ろした。
隊員が包帯を巻く。
ガイアスは少しだけ顔をしかめたが、今度は笑ってごまかさなかった。
俺はそれを見て、やっと少し安心した。
ガイアスがこちらを見る。
「晴人」
「何」
「どうして分かった」
「何が」
「俺が、止まるのを怖がってたって」
そんな大げさに聞かれると思っていなかった。
俺は少し考える。
「お前を見てれば分かるさ」
ガイアスが固まる。
「助かった奴らは泣いて安心してた。隊員たちも息ついてた。でも、お前だけ血を流したまま笑ってた」
「……」
「怪我した腕を、見えないようにしてた。支えに来た隊員を止めようとしてた。倒れそうなのに、倒れてないふりしてた」
「よく見てんな」
「見えたからな」
「そういうの」
ガイアスは包帯を巻かれている腕を、少しだけ背中側へ隠そうとした。
だが、途中でやめた。
隠しても無駄だと思ったのかもしれない。
「真顔で言うなよ」
「何で」
「照れるだろうが」
「照れるのか」
「うるせぇ」
ガイアスは顔をそらした。
耳が赤い。
火の熱のせいかもしれない。
いや、たぶん違う。
隊員たちがにやにやしていた。
「何見てんだ!」
ガイアスが怒鳴る。
「いえ!」
「何も!」
「隊長、包帯ゆるみます!」
「お前ら後で訓練追加な!」
「理不尽!」
現場に笑いが起きた。
さっきまで炎と煙に包まれていた場所に、ちゃんと人の声が戻ってくる。
ガイアスはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「……全員、助かったな」
「助かったな」
「俺一人じゃ、無理だった」
自分で言って、少し苦そうな顔をする。
けれど、その苦さの奥に、どこかほっとしたようなものがあった。
「でも、お前がいたから助かった」
ガイアスが俺を見る。
「隊員たちも、お前が照らしたから動けた」
「指示はお前だろ」
「支えられた」
「ならいいだろ」
「簡単に言うな」
「難しくしたいのか」
「したくねぇ」
ガイアスは笑った。
今度の笑顔は、無理に安心させるためのものではなかった。
痛みを隠すためのものでもない。
少し疲れていて、少し照れていて、それでもちゃんと笑っている顔だった。
その時、霧晶炉の赤い警告灯が消えた。
代わりに、やわらかい橙色の光が工房区画を照らす。
空中に表示が浮かぶ。
【霧晶炉爆発事故:鎮圧】
【取り残された作業員:救助】
【取り残された子ども:救助】
【蒸気消防隊連携評価:更新】
火災現場の熱が、少しずつ遠のく。
歓声も。
警報も。
蒸気管の音も。
橙色の光が、俺とガイアスの周りを丸く囲んだ。
ガイアスは包帯を巻いた腕を見て、それから俺を見る。
「晴人」
「何」
「まだ、座ってろって言うか?」
「言う」
「だよな」
「怪我してるからな」
「じゃあ、座ったまま付き合え」
「何に」
ガイアスは、少しだけ照れたように笑った。
「助けられた隊長の、休み方の練習に」
空中に、新しい表示が浮かぶ。
【ナイトステイが発生しました】
対象プリンス:ガイアス・ブレイズ
帰還条件:対象プリンスとのキス
※条件達成後、現実世界への帰還選択が可能になります
「休み方の練習で、こうなるのか」
ガイアスは、周囲の橙色の光を見上げた。
「契約の夜ってやつか」
「分かるのか」
「細けぇ仕組みは分からねぇ。でも、今は現場が遠い」
確かに、さっきまでの騒音が嘘みたいだった。
炎の音も。
警報も。
民衆の声も。
全部が薄くなっている。
俺たちは、工房区画の外れにある救助隊の仮設テントの中にいた。
いつ移動したのか、分からない。
簡易ベッド。
予備の耐熱ジャケット。
水の入った金属カップ。
救急箱。
壁に立てかけられた魔導斧《フレアアンカー》。
テントの外では、橙色の光が揺れている。
火事の熱ではない。
夜を閉じるための、静かな光だった。
ガイアスは簡易ベッドに腰を下ろしたまま、包帯を巻かれた腕を見ている。
「何か、落ち着かねぇな」
「座ってるからか」
「ああ」
「立つなよ」
「分かってる」
「本当か?」
「……たぶん」
「信用できない」
ガイアスは低く笑った。
「お前、救助隊に向いてるかもな」
「嫌だ。熱いし重いし煙い」
「正直だな」
「あと、隊長がすぐ無茶する」
「そこは否定しねぇ」
「しろよ」
ガイアスは少しだけ黙った。
それから、ゆっくり息を吐く。
「昔、俺は一回、動けなくなった」
声が、少し低くなった。
「火の中で。新人の頃だ。煙吸って、足が止まって、何もできなかった。助けに来た先輩が、俺を押し出してくれた」
包帯の上に、ガイアスの指が触れる。
「その人は、重傷を負った」
俺は黙って聞いていた。
「だから決めたんだ。俺は助けられる側にならねぇって。誰かに支えられるくらいなら、俺が燃えた方がいいって」
「重い決め方だな」
「だろ」
ガイアスは笑った。
でも、少しだけ苦い。
「でも、今日」
「うん」
「支えられても、救助は止まらなかった」
「止まらなかったな」
「むしろ、早かった」
「そう見えた」
「……悔しいけどな」
「悔しいのか」
「悔しいだろ。俺一人でできると思ってたことが、隊員どもに支えられた方がうまくいった」
「でも、嬉しそうだぞ」
ガイアスが目を見開いた。
「お前、本当にそういうのを真顔で言うな」
「何で」
「刺さるんだよ」
「怪我か?」
「違ぇ」
ガイアスは包帯を巻いた腕ではない方の手で、顔を覆った。
耳が赤い。
今度は火の熱ではない。
「晴人」
「何」
「俺は、助ける側でいたい」
「知ってる」
「今でも、それは変わらねぇ」
「変えなくていいだろ」
「でも」
ガイアスは俺を見た。
「支えられてでも立てって、お前が言った」
「ああ」
「なら、支えてくれ」
思ったより真っ直ぐな声だった。
軽口でも、現場の指示でもない。
少しだけ不慣れな、頼み方だった。
「今?」
「今」
「座ってるだろ」
「気持ちの話だ」
「急に難しいこと言うな」
「俺もよく分かんねぇ」
そう言って、ガイアスは笑った。
照れ隠しみたいな笑い方だった。
空中の表示が、静かに光る。
【帰還条件:対象プリンスとのキス】
俺は表示を見て、ガイアスを見る。
「これ、分かってるか」
「お前が戻るための条件だろ」
「たぶん」
「なら、やるしかねぇな」
「軽いな」
「軽くはねぇよ」
ガイアスは立ち上がろうとして、俺に睨まれ、すぐ座り直した。
「……座ったままでいいか」
「怪我人だからな」
「怪我人扱いすんな」
「怪我人だろ」
「かすり傷だ」
「包帯巻いてる奴が言うな」
ガイアスは、また笑った。
その笑い方が、今度は無理をしていなかった。
「嫌なら言えよ」
俺が言うと、ガイアスは目を丸くした。
「俺が?」
「他に誰がいる」
「そう聞かれるとは思わなかった」
「聞くだろ」
「普通、隊長に聞くか?」
「隊長でも嫌なものは嫌だろ」
ガイアスは、しばらく俺を見ていた。
それから、包帯を巻いた腕を少しだけ下ろす。
隠すのをやめるみたいに。
「嫌じゃねぇ」
低い声だった。
「驚いてはいる。正直、どうしていいか分からねぇ。でも、嫌じゃねぇ」
「そうか」
「お前は」
「嫌じゃない」
答えると、ガイアスの表情が一瞬だけ緩んだ。
救助成功の時より、少しだけ無防備な顔だった。
「じゃあ、来い」
「座ってる奴が言う台詞か」
「歩くと怒るだろ」
「分かってるじゃないか」
俺はガイアスの前に立った。
座っているのに、まだ目線が近い。
肩幅がでかい。
近いと、火と煙と消火剤の匂いがする。
でも、その奥に、少しだけ金属みたいな冷えた匂いもあった。
包帯。
救急箱。
今この男が、ようやく止まっている証拠。
ガイアスは俺の腕に触れようとして、途中で止めた。
「どうした」
「手、汚れてる」
見れば、ガイアスの手袋は煤だらけだった。
「今さらだろ」
「そうだけどよ」
「火事場から来たんだから、綺麗な方がおかしい」
「それもそうか」
ガイアスは笑って、俺の腕をそっと掴んだ。
大きな手だった。
いつもなら人を引っ張り上げる手。
瓦礫をどける手。
斧を振るう手。
今は、支えを求めるみたいに、俺の腕に触れている。
その感じが、少しだけ変だった。
キスは、近づくまでがやけにぎこちなかった。
ガイアスは豪快なくせに、こういう時だけ妙に慎重だった。
唇が触れる。
熱い。
火の熱ではなく、息の熱だった。
最初は短く終わると思った。
でも、ガイアスの手が俺の腕を少しだけ強く掴んだ。
引き寄せるというより、離れないように確かめるみたいな力。
支えられてでも立つ。
その言葉を、まだ覚えているみたいだった。
少しだけ長いキスだった。
離れると、ガイアスは額を軽く俺の肩に近づけて、すぐに離した。
「……悪い」
「何が」
「支えにした」
「いいだろ」
「簡単に言うな」
「難しくしたいのか」
「したくねぇ」
ガイアスは笑った。
その顔は、火の中で笑っていた時より、ずっと疲れていた。
でも、ずっと楽そうだった。
空中に表示が浮かぶ。
【帰還条件を満たしました】
現実世界へ戻りますか? YES/NO
俺はそれを見た。
ガイアスは簡易ベッドに座ったまま、俺を見上げている。
「戻るのか」
「戻る」
「そうか」
「立つなよ」
「まだ言うか」
「言う」
「分かった。座ってる」
「本当だな」
「本当だ」
ガイアスは包帯の巻かれた腕を軽く上げた。
「さすがに、今日は少し休む」
「少しかよ」
「急に長時間は無理だ」
「休み方の練習、下手だな」
「これから覚える」
「覚えろ」
「晴人」
「何」
ガイアスは少しだけ照れたように笑った。
「次に現場で倒れそうになったら、お前の声を思い出す」
「倒れる前に思い出せ」
「厳しいな」
「倒れたら救助が止まるんだろ」
「……そうだったな」
ガイアスは、今度こそ素直に頷いた。
「支えられてでも、立つ」
俺はYESを押した。
橙色の光が広がる。
最後に見えたのは、ガイアスが簡易ベッドに座ったまま、包帯を隠さず、少しだけ困ったように笑っている姿だった。
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現実に戻ると、俺はリビングのソファに座っていた。
タブレットの画面には、霧晶炉爆発事故の結果が表示されている。
【期間限定イベント】
霧晶炉爆発事故
【イベント評価:最大】
【限定スチル:獲得】
【追加ボイス:保存】
【ナイトステイ記録:保存】
画面には、救助隊の仮眠テントが映っていた。
脱いだ耐熱ジャケット。
壁に立てかけられた魔導斧《フレアアンカー》。
簡易ベッドに腰を下ろしたガイアス。
包帯を巻いた腕を隠さず、少しだけ力を抜いて笑っている。
タイトルが表示される。
【限定スチル:休めそうだ】
「……座ってるな」
思わず呟いた。
画面の中のガイアスは、まだ隊長の顔をしている。
頼れる救助隊長。
火の中へ飛び込む男。
でも、今は少しだけ休んでいる。
それだけで、さっきの現場の熱が、少し遠くなった気がした。
姉からメッセージが飛んできた。
【姉:通知来た】
【姉:限定スチル取れてる!?】
【姉:仮眠テント!?】
【姉:待って】
【姉:ガイアスが座ってる】
【姉:晴人、何したの】
「何したって言われても」
俺は画面を見た。
包帯。
耐熱ジャケット。
魔導斧。
少し力を抜いた救助隊長。
「座らせた」
返信はしなかった。
たぶん、それだけ言っても伝わらない。
そう思ったからだ。
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