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第29話 家族のこと

 以前『さほどモテない』と言ってはぐらかしたことはあったけれど、まさかセックスはおろかキスのひとつもしたことがないだなんて……今更言えない。  だって俺、ゲイだから。  変な目で見られるのが怖くて、マイノリティであることを誰にも言えなかった。    初恋の相手も、そのあと学生時代に惚れた相手もみんなノンケだった。残酷な現実を目の前にして、俺は早々に絶望していた。それからはずっと、気持ちを押し殺してきた。  セックスはしてみたかったけど、ゲイ同士の出会いを求める勇気を持てなかった。  一度だけ、勇気を振り絞ってマッチングアプリで知り合った男と食事に行ったことはある。  初めて出会う、同じ性的指向の相手。緊張はしたが話していて楽しかったし、このまま何度かデートを重ねていけば、恋人になれるのもしれないと胸が踊った。  だが、相手の男は食事もそこそこに済ませると、当たり前のように俺をホテルに誘った。びくりして断ると露骨に嫌な顔をされ、「は? なんだよ。ヤれねーのかよ」と吐き捨てられた。  ショックだった。  この手のアプリは性的欲求を晴らすためだけに使う男が多い——そいういうものだとわかっていたつもりだ。だけど、プロフィールに「ゆっくり関係を築き上げていきたい」と書かれていたものだから、この人ならば……と思ったのだ。  知らない人といきなりセックスするなんて、俺にはあまりにハードルが高かった。そもそも俺は慎重な性格だ。初対面の相手に騙されて、ハメ撮りされて脅されたらどしようとか、薬とかを飲まされたりしないだろうかと不安になって、その先に進めなかった。  ——って、こんな事情、オルヴァ様に話せるわけないじゃん……  俺が押し黙っていると、不意にオルヴァ様の手に力が籠った。 「あっ……すまない。性懲りも無く個人的なことを聞いてしまって、すまなかった」 「い、いえそんな。……俺、素敵な恋愛なんて……したことあったかなぁ、と」 「え?」 「仕事では、お客様の恋愛や結婚を応援してきたけど……俺は両親がずっと不仲で、自分の恋愛には理想が抱けなかったので……」  俺が恋愛から遠ざかっていたもうひとつの理由だ。  マイノリティであることを差し引いても、恋愛や結婚に全く理想を持てなかったのは、記憶に刻み込まれた両親の姿があったからだ。  代々弁護士一家に育った厳格な父親と、中学から大学まで女子校育ちの箱入り娘だった母親。幼い頃は俺も、いずれは父のような弁護士になるのだと信じて疑わなかった。  勉強もスポーツも頑張った。でも、いつも一位にはなれなくて、成績表や模擬試験の結果を見せるたび、父親にため息をつかれてきた。俺を褒める言葉など、ついぞ聞いたことがない。  おっとりした母はそんな俺でも可愛がってくれていた。けど、母も厳しい父の物言いに萎縮して、いつも家の中ではビクビクしていた。  俺が中学二年生の頃。父の浮気が発覚した。  最悪なことに、週刊誌に載ったのだ。  父は順調に出世していて、とある野党政治家の汚職事件を担当していた。世間から注目されていた事件だったため、父も記者たちにマークされていたのだ。    家では厳格。職場でも、優秀で清廉潔白な敏腕弁護士をやっていた父。だがその裏で、おっぱいパブに狂っていたらしい。パブの二十代女性に惚れ込み、マンションを買って囲っていたのだ。  それを面白おかしく書き立てられ、父は社会的に死んだ。家庭的にも、死んだ。  こんな気持ち悪い男と一緒にいられないといい、母は俺をつれて離婚。これまでずっと父に怯えていた母が、ゴミを見る目で父を睥睨していたあの時の記憶は、俺の記憶に強烈に刻み込まれている。  大人になった今なら、父の気持ちはわからなくはない。ミスの許されない職場で、世間からの視線を浴びながら仕事をするストレスは計り知れない。  しかも父は、幼少期からずっと厳しい家庭で育ってきた。結婚後も家の中でうまく息が抜けず、こういうことになってしまったのだろう。  母からは、理音はまともに育ってねと毎日のように言い聞かせられたが……愛息子の俺はゲイだった。母の束縛に耐えかねた俺は、大学卒業と同時に、やけくそのように母にカミングアウトをした。    その結果、母が俺に連絡をよこしてくることはなくなった。  事実を告げたとき、俺を見る母の目は——……父を見たあの視線と同じだった。  そう、ゴミを見る目だ。母にとって、俺は父と同じゴミに成り下がってしまった。  ——潔癖すぎたんだよなぁ、うちの家族は。  数年が経ち、少しずつ客観的にこれまでのことを振り返ることができるようになった。  つくづく、婚活コーディネーターという皮肉な仕事を選んだ自分がおかしくてたまらない。  ……といった俺の自分語りを、オルヴァ様は言葉一つ挟むことなく聞いていてくれた。  おっぱいパブがどうこうってところは省いて、厳しかった父親が母親を裏切ったというところだけをマイルドにぼかして話した。  そして、幸せな結婚をこの目で見たことがないからこそ、結婚して幸せになっていく人たちの姿を間近で見てみたかったということも。  すると、間近にあるオルヴァ様の形のいい唇から、押し殺したため息が聞こえてきた。  聞いてて楽しい端じゃないし、嫌な気分にさせちゃったかな……? 「そう。そんなことがあったのに、リオンはコンカツを仕事に選んだのか……」 「はい……けど、普通に考えると変ですよね。矛盾してるっていうか」 「変じゃないさ。どうしても手に入らなかったものだからこそ、自分の手で作り上げたい、この目で見てみたいっていう気持ちは、なんとなくわかる」 「……はい」 「リオンの手によって幸せになった人たちはたくさんいるんだろう?」 「……います。僭越ながら俺は、成婚率ナンバーワンだったので……」 「すごいことだよ。リオンは立派だ」  そう言って、オルヴァ様はふわっと笑った。  間近で花開く優しい微笑みを目の当たりにして俺は、不甲斐なくも泣きそうになってしまった。  これまで誰にも話したことがなかった家庭のことや、この仕事を選んだ理由。  一般的な幸福からはかけ離れた俺の不恰好な過去を、オルヴァ様に丸ごと受け止めてもらえたように感じた。それどころか、俺を立派とまで言ってくれた。  なんともいえない気持ちが胸の中に込み上げて、俺は言葉に詰まってしまう。  俺がやってきたことは、誇れたものでもなんでもない。ただの仕事だと思っていた。  けれど、オルヴァ様の言葉を聞いて、ご成婚までたどりついたお客様たちからもらった感謝の言葉を思い出し、なんだか目の奥が熱くなってくる。 「あ……あ、ありがとう、ございます……」  少しだけ泣きそうで、声がつかえる。たどたどしく礼を言い、俯いていた視線を上げると、オルヴァ様の穏やかな眼差しがすぐそこにあった。    もっと話してぶちまけてしまいたかった。  ゲイであるがゆえの苦悩も、本当はもっと奔放に恋愛してみたかったこと。異性愛者の友人たちが楽しげに語る恋バナにも、混ざってみたかった。  愛し愛される誰かと出会ってみたかった。恋をしてみたかった。  人目を気にすることなく、大好きな誰かと手を繋いで街を歩いてみたかった。キスやハグやセックスを、普通の人がするみたいにしてみたかった。  俺の不格好な過去を全部、オルヴァ様に受け止めてほしい。……だけど、俺は理性の力で言葉を飲み込む。  

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