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五月②・森の避難場所

日曜の昼前。 圭吾が宿題をしている間にふらふらと一人、森のクスノキまで散歩に来た。 ジャージの上着を脱ぎ、丸めて枕にして、幹に渡した板へ寝転がる。 ただ風が揺らす木の葉の音を聴きながら、グレープ味のグミを口に放り込んだ。 一年生の時、寮生活に馴染めず、かといって実家にも居場所が無かった俺は、不安で寂しくて、どんどん自分の殻に閉じこもっていった。 雅史先輩が「話を聞くよ」と言ってくれても、口を閉じて俯くことしかできない。 自分の気持ちを話すことに慣れていなかったし、そもそも自分自身のことが嫌いで嫌いで仕方なかったのだ。 こんな状態ではこの学園からも追い出されると勝手に怯え、益々どうしていいのか分からなくなっていく。 そんな俺に先輩は「逃げたくなったらここで過ごせばいい」と森の中に避難場所を作ってくれた。 その親切もすんなり受け入れることはできなくて、何ヶ月かは放置してしまう。 雅史先輩は辛抱強く何度も「行かないと道が分からなくなるよ」と俺を森へ連れ出してくれた。 夏が終わる頃、ようやく一人でクスノキへ足を向けるようになった。 逃げる場所があるということが、俺を助け、徐々に自分なりの生活ペースが掴めるようになっていく。 雅史先輩は「いつかの自分を見ているようで放って置けない」と俺に嘯いたけれど、先輩にそんな頃があったとは思えない。 それでもあの時、この人は俺の気持ちを理解してくれていると確かに感じられ救われた。 取り留めなく記憶の中を漂っていたら、いつの間にかウトウトとしてきて、抗うことなく目を閉じた。 「光夜ーー。おーい」 俺を呼ぶ声に意識が浮上する。 クスノキの下から圭吾が呼んでいた。 このクスノキまでの道なき森の中を、一度案内しただけなのに、迷わず迎えに来られるとか、相変わらずできる男だ。 「ここにいると、思いましたーー」 木の上にいる俺に聞こえるよう、いつもよりボリュームをあげて話し掛けてくる。 上に登ってくるつもりはないらしい。 「午後から雨が降りそうだから、急いで食べて戻りましょうーー」 俺の分のランチボックスも持ってきてくれたようで、掲げて見せてくれた。 俺も木から降りて、クスノキの根元に座り込み、二人で昼飯を食べる。 今日のランチは、BLTサンドとフィッシュアンドチップスだ。 口いっぱいに頬張りながら「天文部はどう?」と、圭吾に問う。 「まさに知りたかったことばかりで、入部してよかったです。一年生と一緒に顧問の黒部(くろべ)先生から基礎的な講義を受けているんです。天文部内は学年による先輩後輩という概念はなく、皆でディスカッションすることもありますよ」 「星についての?」 「何で星?」 「だって天文部だろ?屋上のプラネタリウム使って部活やってるんだから、いくら得体が知れなくても星のこと、少しは学ぶんじゃないの?」 「ああ、そうでした」 そう言って、圭吾は可笑しそうに笑う。 「あっ。やっぱりもっと怪しい話をしてんのか?基本的に部活の変更ができないとはいえ、本当に嫌だったら辞められるぜ。田淵に口きいてもらってもいいし」 田淵先生は二年生の時の担任で体育教諭。 まだ若くて二十代半ば。 話しやすくて、いつも何かと親身になってくれる。 「大丈夫。似たような立場の人が集まっているから、勉強になります」 「無理するなよ」 「ええ」 「まぁ確かに、頭が良くて要領が良さそうな奴ばっかり集まってるもんな、天文部。部長の美智雄はいけ好かないけどさ。でも、よかったよ。楽しいなら……」 食べ終わったのと同時に、ポツポツと雨が降り始めた。 二人で、競うように森の中を走って寮へ戻る。 足は俺のほうが速いようで、子どもみたいに勝ち誇って喜んでしまった。 — 圭吾は毎晩、寝る前の布団の中で、ポツポツと自分のことを話してくれるようになった。 それによると、父方の祖父が政治家らしい。 柚木玄一郎(げんいちろう)。 俺でも名前を聞いたことがある与党の大物。 姿を見せただけで、その場がピリピリとするような、凄味のある老人だ。 どうやら、その祖父のコネを使って、異例の転校をしてきたらしい。 「高三から転校なんて、いやじゃなかった?」と聞けば「天文部に入りたかったので」と言う。 「天文部、ますます怪しい……」 俺が疑うと、圭吾は「ふふっ」と笑い「おやすみなさい」と眼を閉じてしまった。 俺は自分のことを他人に話したりするのは、今もあまり得意ではない。 圭吾も、無理に訊いてきたりはしない。 ある夜の布団の中で、俺から質問をした。 「元々なかなか眠れない人?」 「そうですね。中学の頃から、寝つきが悪くなって」 「実家ではどうしてたの?」 一瞬の間があって、言いにくそうにしながらも、答えてくれた。 「恥ずかしい話ですけど、自慰をすると眠れるんです。そのままスーっと」 「あぁ、まぁ分かる。してもいいぜ?」 「嫌ですよ。二段ベッドで人の気配を感じながらは、無理でしょう」 「いや、意外とみんなするぜ、和登とか。あっ、やってんなってこと何度かあったもん」 「嫌です。実家でも家族の誰かがまだ起きている時には、したことないですから。そんな時はリビングで眠っている犬を部屋まで連れてきて、一緒に寝てもらっていました。という訳で、今夜も一緒に寝てくださいね、光夜」 「本当に犬の変わりかよ。まぁいいや、おやすみ」 「おやすみなさい」 — 月末の朝。校舎に入ると、二階の廊下に中間テストの成績順位が貼り出されていた。 俺はいつも通り、後ろから数えて五番目。 それでも和登には勝っていた。 トップはなんと圭吾だった。 万年トップの美智雄は、さぞ悔しがっているだろう。 ざまあみろ。 なぜか俺は、自分のことのように鼻高々だった。

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