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第6話
タクシーが来た。
ドアが閉まり、静まり返ったタクシーの座席に二人並んで座る。
流れる街灯の光が、隣に座る彼の横顔を規則的に照らし出す。
ラジオから流れるミドルテンポで1980年代あたりの懐メロ、俺にとっては新鮮な曲が聞こえてくる。
だが、彼の弾いていたジャズの残響が耳の奥で鳴り止まない。深く体の中に刻み込まれている。
格好良すぎる姿に完全に骨を抜かれた俺の身体は、ただ彼の体温を求めて悲鳴を上げていた。
まだ、キスすらしていない。手にキスはあったけど、その先はまだだ。俺は我慢できずにシートの上で身体をずらし、彼の二の腕に両手でしがみついた。そのまま彼の肩口にぐずぐずと額を押し付ける。
「柊一さん、格好良すぎて、頭おかしくなりそう……。なんでそんなに普通なの……」
蚊の鳴くような声で甘えると、彼は窓の外を見ていた顔をゆっくりとこちらに向けた。
完璧に整った口元が、フッと意地の悪い弧を描く。
「普通なわけないだろう。……ほら、そんなに欲しそうに鳴くなよ、七瀬」
彼はそう言って、しがみつく俺の顎を、長い指先でクイと持ち上げた。
すぐ目の前に、冷たくて色っぽい瞳がある。
キスされる、と思って思わず目を閉じ、唇を少し開けて待った──のに。唇に触れたのは、彼の柔らかい唇ではなく、トントンと小突くような、彼の冷たい人差し指の感触だった。
「……、え?」
「何期待して目を閉じてる」
彼は意地悪く囁きながら、その指を、俺の唇の隙間から口内へと、ぐっと滑り込ませてきた。
「んっ……、ぅ……」
「静かに。運転手さんにバックミラーで見られてる。俺の指、そんなに欲しかったか?」
口内を愛撫するように指を動かされ、熱い吐息が漏れそうになるのを必死に堪える。
キスしてほしいのに、指だけで弄ばれるじれったさに、俺の目には涙が浮かんだ。
情けない声を出しそうになる口を彼の指で塞がれたまま、俺は縋るような目で彼を見つめる。
「そんな可愛い顔するな。美也子さんに、お前が今こんな顔してるって教えてあげたいくらいだ」
彼はそう言って、濡れた指を引き抜くと、今度はその指を俺のズボンの上から、太ももの内側へとゆっくり滑らせてきた。
びくりと身体が跳ねる。
「それ、は……っ」
「声が大きい。……俺に当てられて、骨抜きにされたか?じゃあ、もっとめちゃくちゃにしてほしいか?」
彼の低い声が耳元で鼓膜を震わせる。
触れられている場所が熱くて、腰の奥がズキズキと疼くのに、彼は決して決定的な場所には触れてくれない。ただ、俺の反応を楽しそうに観察している。…やっぱり性格悪いよ、この人…。
「おあずけ。家に着くまで、キスもそれ以上も、全部おあずけ」
彼は俺の太ももを最後にギュッと強めに握り締めると、パッと手を離し、また何事もなかったかのように窓の外に視線を戻してしまった。
「……っ、ひどい……」
完全に火をつけられたまま放置され、俺は赤くなった顔を両手で覆う。
隣で気取って座るクールな柊一さんは、口元だけで満足そうに、意地悪く微笑んでいた。
その横顔には無防備で穏やかな顔は全くない。俺がバーで見たのは幻だったのか?
俺は完全に熱に浮かれている。身体も柊一さんが火種を植え付けられ、敏感になってきている。
ここがタクシーじゃなかったら、俺から仕掛けてしまうかもしれない。たまらず、俺は柊一さんに声を掛ける。
「しゅ、柊一さん…家に着いたら…」
「着いたら、な」
「うん」
「それまで、おとなしくしとけ」
「……それまで我慢できないって言ったら、…ダメ?」
「家に着くまでおあずけ」
俺は柊一さんの腕を引っ張る。
「……キスして……。家までがまんできない……」
柊一さんは、声を低くして囁く。
「……お前、ここがどこか分かってるのか」
「わかってる、けど……柊一さんが、あんな格好いいんだもん……っ」
涙目で訴える俺に、柊一さんはまた短いため息をつく。
「……本当に、お前という奴は手がかかる」
すると、運転手から見えない角度で、俺の後頭部を大きな手でガシッと掴み、深く、だけど静かに唇を塞ぐ。
初めてのキス。今までのどの女の子よりも甘い。
「あとは家についてから、覚悟しとけよ」
何事もなかったように柊一さんは体を放す。俺はくすぶり続ける火種をどうにか宥めるよう、柊一さんの腕に縋りつく。柊一さんの香水と、タクシー特有の革シートの匂いが狭い空間で混ざり合う。
タクシーは新宿を駆ける。
メーターの電子音が小さく鳴り響き、淡々とハンドルを握る運転手の背中越しに、二度と同じ形には戻らない光の波が次々と後方へ去っていく。
ビルの谷間で時折混ざる小さな雑音が、現実の心地よさを引き立てる。
あと少しで柊一さんのマンションだ。
タクシーは深い闇の中にとけていく。俺と柊一さんを乗せて、夜の新宿にとけていく。
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