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31 バイト初日

 十一月に入り、とうとうバイト初日を迎えた。  泰雅(たいが)は俺のバイト入りより一日早く、昨日日本を出発した。空港まで見送りに行ったけど、ギリギリまで俺のことを離そうとしなくて、嬉しいけどちょっと恥ずかしかった。  泰雅が安心して親父さんの代理を務められるように、欠かさず連絡を入れるつもりだ。今日の朝も、写真付きのメッセージを送った。  朝は忙しくて電話もできないから、代わりにボイスメッセージを送ってみた。改めて声を録音するのはなんか照れくさかったけど、喜んでくれたみたいだから俺も嬉しかった。 「泰雅、行ってくるな」  スマホの写真フォルダに入っている泰雅の写真に向かって、俺は声をかけた。  本当は待ち受け画面を泰雅にしたかったけど、なんか逆に落ち着かなくなってしまいそうなので、やめた。  その場にいないはずの泰雅に、見送られているような気持ちになりながら、寮を出た。  そして、大学の正門にちょうど到着したバスに乗り込み、一番後ろの席に座った。  大学を出て、賑やかな駅前とは反対方向に、バスはゆっくりと走っていく。窓の外を眺めていると、だんだん住宅が目立つようになってきた。  この辺りは元々、見渡す限りの田んぼが広がるのどかな地域だったらしい。けど大学の設立と、オメガ保護モデル地区の指定を機に、移住者は増えていったそうだ。  そんな住宅街の一角に、木の温もりを感じる小さな建物『喫茶にしむら』はあった。  ちょうど店の前に到着するタイミングで、中からマスターが出てきた。五十代くらいの、落ち着いた雰囲気の男性だ。俺に気づいた瞬間、目尻がふわっと下がって優しく微笑んでくれた。 「あ! おはようございます、村井圭太(むらいけいた)です! 今日からよろしくお願いします!」 「ああ、圭太くんおはよう。今日からお願いね」 「はい!」 「開店前に、仕事内容を簡単に説明するから、ちょっとこっちに来てくれるかな?」 「はい!」 「そんな緊張しなくても大丈夫だよ」 「あ……は、はい」  マスターは、無意識に力が入ってしまった俺に気づいたようで、ふっと優しく微笑んだ。その優しい眼差しと、ゆったりとした話し方に、ふっと肩の力が抜けたような気がした。  案内されるまま店内に入ると、奥から一人の男性が顔を出した。  くるくるとゆるくウエーブした、オレンジがかった明るい髪色が印象的だ。胸元にはアクセサリーが光る。パッと見た感じ、ちょっと軽そうって思ってしまった。 「大地(だいち)、こちらが今日から一緒に働いてくれる、村井圭太くんだ」 「初めまして、村井圭太です。よろしくお願いします」  この『喫茶にしむら』はマスターがずっと一人でやってきたけど、最近SNSで話題になり、急にお客さんが増えたらしい。だから初めてバイトを雇うことになったと言っていたけど、きっとこの人も採用された人なのだろう。  俺が挨拶をすると、大地と呼ばれたその人は、スッと手を差し出してきた。 「圭太くん、よろしくね。俺は西村(にしむら)大地。マスターの息子だから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」 「え? 息子さん……?」 「こらこら、大地。圭太くんがびっくりしてるじゃないか。圭太くん、ごめんね。大地は私の甥なんだ。確かに息子みたいなものだけどね」 「だから、家族経営みたいなもんなの。俺も時々手伝いに来てたけど、もう卒論も目処が立ったし、これから本格的に店に入ろうと思って」 「え? 卒論?」  初対面の大地さんの情報が次々と入ってきて、俺は頭の中で整理を試みるものの、そんな余裕は全くなかった。  人生で初めてのバイトというだけで緊張しているし、これから仕事内容を覚えていかなきゃって思ってたところなのに。 「俺、ここから少し離れたところの大学に通ってんだわ。そこの四年。就職予定先がここ『喫茶にしむら』マスターの(じゅん)さんと一緒にここを盛り上げていきたくてさ。……ってことでバイトくん、キミも頑張ってくれたまえ!」 「こら大地! 圭太くん、来て早々ごめんね。大地はちょっとお調子者なところがあって。でもいいやつだから、一緒に頑張ってほしいな」 「はい、頑張ります」  俺は『頑張るぞ!』って気合いを入れて返事をしたのに、大地さんは申し訳なさそうに謝るマスターの隣で、こっちを見てニヤリと笑った。アイドルみたいにウインクして、ついでに投げキッスまでしてくる。  そのふざけっぷりに、思わずプッと吹き出してしまった。 「そうそう、その調子。せっかくだし、楽しくやろうぜ」  そう言って大地さんは、もう一度パチンとウインクをした。  初バイトで緊張していたはずなのに、すっかりそんな気持ちはどこかへ行ってしまった。  そんな感じでスタートしたバイト初日だったけど、あっという間に時間は過ぎていった。  基本的にはキッチンに入り、たまにホールという話だったけど、今日はずっとキッチンに入りっぱなしだった。    ランチタイムの混雑が落ち着き、店内にも余裕がでてきた頃、マスターに声をかけられた。 「圭太くん、もう上がりの時間だよね。このあと少し時間ある? これ、よかったらお昼にと思ったんだけど」  目の前に出されたのは、昔ながらの喫茶店のオムライスだった。 「え、いいんですか?」 「もちろんだよ。お疲れ様でした。初日なのに忙しかったよね。でも圭太くんがすごくよく働いてくれたから、助かったよ」 「ありがとうございます!」  大学に戻ってから軽く何か食べようと思っていたから、とても嬉しい。しかも俺の大好きなオムライスだ。  キッチンの片隅で邪魔にならないように、オムライスをいただいた。優しくてとてもホッとする味だった。  食べ終わって片付けようとした頃、キッチンに大地さんがやってきた。 「圭太くん、お疲れさん。どんな人が来るんだろなーって楽しみにしてたけど、圭太くんみたいな話しやすい子でよかったよ」 「俺も、大地さんがとても気さくな人でよかったです。怖い人だったらどうしようかと思いました」  俺は少し大袈裟に言ってから、声をあげて笑った。  大地さんとは今日初めて会ったけど、もうずっと一緒に働いているんじゃないかと錯覚するくらい、違和感がなかった。でもそれは、大地さんがわざとふざけたりして、その場の雰囲気を良くしてくれたからなのかもしれない。  おかげで俺は、バイト初日だけど気負うことなく、俺らしく働けた。  優しいマスターと気さくな大地さんのおかげで、人生で初めてのバイトは好調なスタートを切ることができたみたいだ。

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