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02 はじめまして。炎上作家です

「先輩! 先輩! 生きてますか~!?」  ドンドンとドアを叩く音とともに玄関からそんな声が聞こえてきたのは、昼過ぎのことだった。  声の主は、いつも優しい、大学時代の後輩のものだ。  そういえば、スマホが何度か震える音を聞いたはずだが、担当編集者とか、よく知らない人からのお叱りの連絡だったらどうしようと考えると怖くて画面すら見れなくて、敷き布団の下に押し込んだままにしてあったんだった。  もしも彼も連絡をくれていたのなら申し訳ない、と思い、雪希は昨日の夜からずっとかぶりっぱなしだった布団を、ようやく頭の上からどけた。  目にかかるくらい伸びっぱなしの前髪を視界からどかすため、くしゃくしゃの寝癖がついた黒髪を掻き上げて、のろのろと立ち上がる。 「…………」  よく考えれば、先に返事をすればよかったところなのだが、いきなり無言でドアを開けたものだから、ドアの目の前に立っていた後輩は、ぶつかりそうになって慌てて後ろに下がる。 「うわっ! びっくりした」 「……ごめん」  スーツ姿の後輩がそこにいた。  脱色した頭髪は稲穂にも似た淡い色合いをしているが、不思議とチャラさよりも爽やかな印象を与えてくる。  ひとつ年下だけど、身長は雪希よりも高い。  まともな社会生活を送っていることを象徴するかのように、服装は清潔そうな青いストライプのワイシャツに、黒いスラックス姿。スーツのジャケットは着ていないが、代わりにモフモフの毛がついたダッフルコートを羽織っていた。  名前は、秋吉楓(あきよしかえで)。一応言っておくが男だ。 「先輩、生きてたんですね! よかった。大量に睡眠薬とか飲んでたらどうしようかと」 「僕、睡眠薬って体に合わないみたいで、持ってないんだよね。高校の時に不眠症に悩まされて飲んだことがあるんだけど、頭が痛くなるだけで全然眠れなくて」 「えーと、じゃあ、お菓子を口いっぱいに詰め込んで、窒息しそうになってたりとか」 「……首つりとか手首を切ったりとかは心配してなかったの?」  自殺の可能性を心配されていたにしても、もっと他にいろいろ方法があるだろう。 「だって先輩、痛いのも苦しいのもダメじゃないですか。軽く指先を切っただけで目眩起こしてたことありますよね?」 「確かに」  ようするに、自殺する勇気もない軟弱野郎なのである。  そんな雪希の性格を把握しながらも、侮蔑するでもなくあっさりと言ってのける楓に毒気を抜かれた雪希は、ひとまず楓を家の中に招き入れることにした。 「先輩、昼ご飯食べました? 牛丼買ってきたんで、よかったら一緒に食べましょう!」  ぐちゃぐちゃの布団が敷かれたままになっている部屋に顔をしかめるでもなく、楓は爽やかに言いながら、布団の横に置かれたコタツテーブルの上に、二人分の牛丼が入った袋をおろす。  牛丼のつゆのいい匂いが、ふわりと漂ってきた。  昼ご飯どころか朝ご飯も食べていない。ついでに、昨日の夜はカロリーメイトしか摂取していない体は途端に空腹を思い出したように、ぐぅ、と鳴って食料をせがんでくる。 「楓くん、そういえば今日、仕事だよね……?」  本日は月曜日だったはずだ。なんでここにいるんだろう、と今さらながら心配になってくる。 「はい。昼休みに抜けてきました。先輩が心配で」  雪希よりもはるかにまっとうな人生と生活を送っている後輩は、布団を丁寧にたたんで、部屋の隅に片付けながら答えた。  よくできた後輩だ。できすぎてて、自分がよりいっそう情けなく思えてくる。 「……昨日のアレ、見ちゃった……?」  楓は一瞬真顔になったあと、ぎこちなく、にこりと笑った。それが、すべての答えだった。 「やっちゃいましたね、先輩」 「……楓くんから見ても、そんなにまずい発言だったかな、あれ」 「えーと……ただの一般人のオタクの発言だったら適当に流されてスルーされたり、仲間内で盛り上がるだけで終わるような内容だったと思いますが、プロの作家が公開アカで言ったことで注目された挙げ句に全然関係のない界隈まで拡散されて、批判好きの人たちのターゲットにされて叩かれまくってる感じですかね」  楓の意見はいつも的確だ。  雪希は両手で顔を覆った。  炎上の元となった投稿は、とある人気少年漫画のストーリー展開に対しての苦言だった。  連載中の最新話で、個人的に好きだった女子キャラに、男ができたのである。 『なんでもかんでもロマンスに結びつけるのはよくない』という旨の発言をしたところ、『恋愛のことしか考えてないお花畑みたいな漫画を描いているやつがなにを言ってるんだ』という批判がきた。  その引用リポストのコメントが拡散されて、騒ぎが大きくなったという次第だ。 「僕だって……僕だって! ほんとは少年誌で壮大なスケールの冒険譚とか連載したかったよ! でもいろんな編集者に『君の絵柄ではちょっと難しいかな』って言われまくって、落ち込んでスランプになってなに描いていいのかわからなくなって、息抜きで百合漫画を描いたら評価されちゃって、そのまま百合作家になったわけで……!」 「先輩、それだけは絶対、SNSで言わないでくださいね。まじで仕事なくなりますから」  楓は真顔で言い出した。  ドン引きしているというより、心配してくれているのが伝わってくる。 「……鍵アカでも、ダメかな?」  どうしようもない質問だとわかりつつ、雪希は性懲りもなく言い出す。 「先輩の鍵アカ、二年ぐらい放置されてるじゃないですか」 「だって、フォロワ数が一桁しかないから、なんか壁打ちしてるみたいで虚しくて」 「壁打ちが目的だから鍵かけてたんじゃないんですか?」 「それでも心をこめて文章を打つ以上は、誰かに見られたいっていうか……」  引っ込み思案で目立つのが嫌いなくせに、自尊心と自己顕示欲を人一倍持っている――めんどくさいオタクの性分というやつだった。  爽やかな好青年の表情が曇る。哀れなものを見るような目で見られた気がするが、真偽は定かではない。 「そういうのは、信頼のおける身内にだけ言えばいい話なんですよ。先輩はなんていうか、誤解を受けやすいタイプなんで、SNSに向いていないと思います」  きっぱりと言い切られるのと同時に、牛丼のパックが雪希の目の前に置かれる。 「う……」  痛いところを突かれた苦悶と、食欲が同時にこみ上げてきて、雪希は唸る。 「とりあえず食べてください。腹が減ってはなんとやらですよ」  蓋を開けると、湯気とともに、肉汁の匂いが一気にたちのぼってくる。 「これが武士の情けってやつだね」 「? 先輩、スプーン使います?」  ちょっと意味がわからない、という反応をされたが、雪希の意味不明な言動に慣れている後輩は、スルーしてスプーンを差し出してくる。 「使う」  温かくて美味しいものを食べて腹が満たされると、なにもかもがどうでもよく思えてくるものだ。 「例のポストは消したし、そろそろ鍵あけて、普通につぶやいてもいいかな」  楓が入れてくれたホットココアを少しずつすすりながらのんびりと言うと、今度こそ呆れたような眼差しが送られた。 「ダメですよ」 「えっ、なにが? 鍵あけるのが?」  鍵というのはもちろん、SNSのプライバシー上の設定の話である。 「鍵はあけていいですが、まずは謝罪文を出さないと」  カップから口を離した雪希の顔が、苦いものを口にした子供のような表情になる。カップの中身はとても甘かったのに。 「シャザイブン?」 「謝罪文です」  とぼけてみたが、無駄だった。  謝罪文。雪希の嫌いな言葉ベスト10に入るやつだ。 「下手に謝ると、逆に火に油をそそぐことにならない?」  昔から、リアルでもネットでも喋るのに向いていないタイプだった。  リアルだと、相手に気を遣うあまり思ったことをなかなか口に出せなくて黙り込むことがほとんどで、逆にネットでは、思ったことをなんでもズバズバ言ってしまう。  それをおもしろいと感じてくれているらしい人たちもいるけど、反感を買うことも多い。  素直な気持ちを言葉にしただけなのに『嫌味っぽい』と言われたりすることが日常茶飯事なのだ。どうせ謝罪文を出しても叩かれるに決まっている。 「なにも言わずに普通どうりにしているよりもよっぽどマシです。それから、ほとぼりが冷めてから謝るとなると、『対応が遅すぎる』と言われますよ。さっさと謝ってしばらくは余計なことを言わずにおとなしくしているのが一番ですね」 「…………」  それがものすごくまっとうな意見だという判断はできる。わかる。わかるけど、しばらくおとなしくしていられる自信がない。ツイ廃歴何年だと思っているのだ。 「アニメの感想は、SNSじゃなくてオレのLINEに送ってください」 「新発売のお菓子の写真は……」 「それもオレのところにどうぞ。鍵アカのSNSだと思って好きにつぶやいてください。休憩中か、仕事終わったら返事しますから」 「確実に見てもらえて、反応ももらえる壁打ちならいいな」  それはもはや壁打ちとは言えないのでは? という気もしなくはないが、何をつぶやいてもほぼ無反応だった以前の鍵アカよりは活用しがいがある気がする。 「でもそれだと、楓くんのスマホの通知がいっぱいになっちゃって大変じゃない?」 「なら、通知を切っておきます」 「つまりリアルタイムな反応までは期待できないと……」 「先輩って、なかなか欲深いですよね」  心の広い後輩も、やや苦笑気味だ。  雪希はハッと我に返る。 「ごめん! や、やっぱりいいよ! 誰にも迷惑かけず、部屋で独り言いまくってすませるから!」  いくら仲のいい後輩とはいえ、ずうずうしいしもほどがあると気づいた雪希は、全速力で後ろに下がるような態度に切り替えた。 「いや、それは怖いのでやめた方が……。それから、謝罪文はオレが考えるので、先輩はそれまで何もポストしなくて大丈夫です」  空になった牛丼のパックを綺麗に洗ってきちんと分別しつつ捨て、自分が使ったコーヒーカップも洗って棚に戻した楓は、上着を手にしながら言った。 「楓くんが……?」 「とりあえず、お昼休みが終わっちゃいそうなので、仕事に戻ります。仕事終わったらまた来ますね。その時に謝罪文をあげましょう」  客を持てなすことすらままならない、役立たずの家主にできることは、後輩を玄関まで見送ることぐらいだった。 「あ、そういえば先輩、西宮先生の新刊ってもうネット注文とかしてます?」 「まだだけど、あれ、今日発売だったっけ?」 「ですね。朝からめっちゃ売れてますよ。あとで夕飯と一緒に持ってきますね」  ひらひらと手を振って、来た時と同様、秋吉楓は爽やかに去っていった。  西宮先生というのは、雪希が好きな少年漫画の作家の名前だ。  楓の職場は本屋なので、新刊情報には詳しいのである。  楓は大学生の頃から本屋でバイトをしていて、その時の店長に懇願されて、大学卒業と同時に社員になった。  学部が同じというだけでたまにいくつかの授業で顔を合わせるだけだった雪希と楓が初めて言葉を交わしたのは、その本屋でのことだった。  といっても、雪希は最初、その店で大学の後輩が働いているとは、気づいていなかった。極度の人見知りで、人の顔を直視することが苦手な雪希は、人の顔を覚えるのも苦手だったから。

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