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03 完璧な後輩は、出会った時から完璧でした

 その日は、雪希が描いた商業漫画のコミックスの発売日だった。  初単行本というやつである。  大学の授業が終わった帰りに浮かれて本屋を覗きに行ってしまうのは当然だろう。  実はコミックス発売というのは詐欺で、本屋を隅から隅まで探してもどこにもないんじゃないか、という疑心暗鬼を抱えながら本屋に足を踏み入れて三分後。新刊が並ぶ平台の一角に、あっさりと探していた本を見つけることに成功した雪希は立ちすくんだ。 (夢じゃ、ない)  まぎれもなくこれは、三回くらいラフを描き直して、大学のレポートの提出日を無視して徹夜で塗った自分の絵だ。  一昨年から電子書籍で連載していた漫画で、各サイトで配信されているのも、それなりにレビューをもらっていることもちゃんと把握していたけど、すべてがネット上のことであったから、どこか他人事、あるいはフィクションのように感じていた。  でも、目の前にあるこの本は現実だ。おそるおそる手に取って、裏を見てみると、JANコードもついている。掌に、180ページ分の重みが伝わってくる。  じわりと涙がこみあげてきた。  止める間もなく、ビニールがかかった本に雫がいくつかパタパタと落ちてしまい、慌てて袖で拭う。 「お客様……なにかありましたか?」  いつのまにか店員が傍らに立っていて、控えめに声をかけられた。  五分以上同じ本を持ったまま立ちすくんで、挙げ句に泣き出したのだから、自分は相当、不審な客に見えたことだろう。 「す、すみません。お金、払いますので」 「いえ……そういうことじゃなくて、その本……泣くほど素晴らしい本なんですか?」  俯く雪希に対して、店員はわざわざ身をかがめて雪希の顔を覗き込んできた。  なかなかのイケメンだった。おそらくバイト。大学生ぐらいだろうか。 「それは……よくわかりません」 「?」  連載打ち切りになることもなく、きちんとコミックスになってくれた。それは素晴らしいことだと思うが、内容が素晴らしいかどうかは、話がまた別である。 「でも、大切な本です」 「そうなんですね。オレも読んでみようかな。販促POPを描くことになったら、協力してくれます? オレ、販促POPについて最近勉強してるんですけど、まだ慣れなくて」 「販促POP!?」  そういえば、人気作品になると出版社側から販促用のポスターやPOPが各書店に配られるはずだが、雪希の本についてはそんな話は一切きていない。無名の新人だとこんなものなのだろうか。よくわからない。  でも、どうせなら販促用のなにかをつけてくれると嬉しい。せめてこの店だけでも。 「POP用の紙ってあるんですか?」 「えーと、ちょっと待ってくださいね」  店員さんはバックヤードにいったん引っ込んでから、メッセージカードサイズのクリーム色の厚紙を手に戻ってきた。 「こんな感じですね」 「すみません。五分……いや十分待ってください」  椅子があるスペースに移動すると、雪希は鞄から適当なノートと鉛筆と油性マジックを取り出した。  ノートを机代わりにして、紙にうっすらと鉛筆で下絵を取り、いったん呼吸を落ち着けてから、油性マジックでペン入れする。  ほんとは油性マジックでいきなり一発描きできるプロ作家に憧れているけど、まだそこまでの自信はない。  ヒロインの女の子の顔を描き上げると、作中でも出てくるセリフを一言書いて、さらにあいたスペースに、連載中の宣伝でも使われていたキャッチコピーを書き込む。 「こんな感じですかね?」  POPは初めてだけど、わりとよく描けたんじゃないかと思う。  律儀に隣に立って描き終わるのを待っていた店員さんはその紙を受け取ると、息を呑んだあと、驚きをあらわにした。 「うま……っ! これ、表紙の女の子ですよね? まさか作者……!?」  そこで雪希はようやくハッとする。  作者としての使命感で、仕事のつもりで描いてしまったが、よく考えたらこの店員さんの前で作者だということは明かしていない。  POPについて協力してほしいというのも『熱心なファン』であると見込んでのことだろう、と推察できる。冷静になった今なら。 「すすすすすみません! 僕、昔から空気が読めない勘違い野郎で! 自分から宣伝してくれって頼んでるみたいで恥ずかしいですよね! 忘れてください!」  ここで『絵が上手いだけのただのファン』を装って適当にやりすごせるだけの器用さを、雪希は持ち合わせていなかった。  慌てて紙を奪い返そうとするが、店員はさっと避ける。 「すごい! オレ、プロの漫画家さんに会うのはじめてです! まさか同じ大学に、そんなすごい人がいたなんて!」  純粋に感動している様子の店員さんの言葉に、雪希はさらなる衝撃を受ける。 「同じ大学!?」 「はい。文学部三年の星宮雪希先輩ですよね?」 「なんで名前まで!?」 「オレ、文学部二年の秋吉楓っていいます。先輩、高校時代、美術部でしたよね? オレも高校の時は美術部だったんで、県内のコンクールの作品展で先輩の作品を見たことがあるんですよ」 「…………」  高校時代の話まで引っ張り出されて、雪希は閉口する。 「可愛いのになんだか不思議なウサギの絵を見てたら『星宮雪希』って名前がついてて、きっと可愛い女の子なんだろうなぁ、と思ってたんですが、顧問の先生が、それは誠東高校の三年の男だ、って教えてくれたんですよ。その時にたまたま『星宮雪希さん』も展示を見にきてて、先生が『ほらあいつだよ』って言ったので顔を覚えました」  雪希は両手で顔を覆った。嫌な予感が的中してしまった。 「……ごめん。少女漫画にでてきそうな名前してるくせに実際はむさ苦しい男で、ガッカリしたよね? よく言われる」  ついでにそのせいで他校の先生に声をかけられることもわりとあった。彼の先生もそのうちの一人だろう。 「いやぁ、オレもよく女の名前に間違えられるんで、親近感覚えましたよ」 「えっと、なまえ……」 「秋吉楓です」  情けないことに、一発で名前を覚えられなかった雪希に嫌な顔ひとつせず、再度名乗ってくれる。 「楓くん? なんで? 男でもよくある名前だよね?」 「いやぁ、小学校の時に同じ名前の女の子がいて、よく『カエデチャン? カエデクン? どっちだっけ』ってからかわれてたんですよ。昔は小柄で、女顔だったもんで」  改めて楓の顔を見る。確かに中性的で綺麗な顔立ちをしている。 「身長は……僕より高そうだけど」 「男らしくなりたくて、牛乳いっぱい飲みました」  拳を掲げるポーズと芝居がかった口調がおかしくて、雪希はくすっと笑っていた。 「僕は楓って、すごくかっこいい名前だと思うな。ほら、あの有名なバスケ漫画にでてくる楓くんも、男前で女の子に大人気だし!」 「そんなのありましたっけ?」 「えっ、知らない? アニメにもなってたのに」 「オレ、スポーツ系はちょっとあんまり……。昔から、ホラー漫画とかホラー小説ばっかり読んでたんで」 「えっ、その顔で!? 見えない!」  思わず大きい声をあげてしまい、雪希はあわてて自分の口元を覆う。  周囲にいた客はたいして気にとめた様子はないが、店長らしき人がこちらを見ていて、「秋吉くん、ちょっと」と言わんばかりに手招きをしている。 「ごめん! 勤務中に邪魔しちゃって。ていうか、本屋で騒ぐとか最低野郎だよね。ごめん」 「いえ、とんでもない。お話できて楽しかったです。POPもありがとうございました。よかったらまた今度、ゆっくり話を聞かせてください」  俯く雪希の罪悪感を拭い去るような爽やかな笑顔で、楓はひらりと去っていった。  雪希はその日、いくつかの新刊を購入してから店をあとにした。 「先輩、先輩の本読みました。すげーよかったです! サインください!」  雪希の初コミックスを手にした秋吉楓が学校の食堂で声をかけてきたのは、それから三日後のことだった。  雪希が描いたPOPを、楓は店長の了解をもらった上で、しっかりと売り場に出してくれていた。  書いたのが作者本人だと知った店長は、せっかくだからサイン会をやらないか、と提案してくれたらしいが、楓経由で、固く辞退させてもらった。  楓は、百合漫画など今まで一冊も読んだことがないのに、わざわざ買って読んでくれたという。  なんて義理堅いやつだ。容姿だけ見ればチャラチャラしてそう、というイメージがついてもおかしくないのに、不思議と『好青年』という言葉の方がよく似合う。  陽キャであることは間違いなく、陰キャの雪希からすると時々眩しすぎるが、隣にいると、卑屈な感情よりも居心地のよさを感じさせられる、人当たりのいい青年だった。  なにより、雪希が描いた絵をいちいち褒めてくれるのがいい。とてもいい。感想も的確で丁寧だ。  親にすらろくに褒められた経験がない雪希が楓に心を許すまでは、そう時間は必要なかった。  楓は高校時代は美術部で風景画や静物画を描いていたというので、背景を描いてもらったら、信じられないくらい上手かった。  さらに、本人のセンスがいいので、構図や配色についての相談も乗ってくれる。  締め切り前に泣きごとを言えば、ベタ塗りやトーン作業まで手伝ってくれる。  優秀すぎる後輩だった。  そんなこんなで、出会ってから五年。  今では、大学時代の同級生よりも仲良くなっていた。  小学生の時も中学生の時も高校の時も友達と呼べるほどの存在がいなくて、卒業と同時にほとんどの同級生や後輩と疎遠になるのが定番であった雪希からすると驚きの展開だ。  もっともその理由は、気が合うからというより、楓が、仕事のことについて相談できる唯一の存在だからというのが大きい。  まぁつまり、仕事の愚痴と泣きごとを聞いてもらうために頻繁に連絡を取っているのである。  ついでに、書店員である楓から、最新の新刊情報と売れ筋情報を聞くのは、ネットニュースをチェックするよりも重要なルーティンになっていた。

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