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08 困った時にはいつも彼がくる
「だめだ……ぼくはもうだめだ……きっと僕が入ってないLINEグループで、変態とかクソオタクとか陰口叩かれることになるんだ……」
過去、何度もSNSで炎上しては罵られることに慣れたオタクの経験が、悲観的な発想でもって被害妄想じみた絶望感を生み出す。
新郎新婦抜きの三次会に誘われそうになったところをかろうじて逃げ出して電車に乗ったものの、雪希は吐き気をこらえきれずに途中下車して、トイレに立ち寄っていた。
とりあえずある程度吐いて落ち着いたものの、また電車に乗るのは少し怖い。
タクシーはタクシーで車酔いしそうだな、と悩みながら駅のホームのベンチでうなだれていた。
目の前に電車が止まって、すぐに発車していく。
進行方向は雪希の自宅の方だったけど、乗る気にはなれなかった。
次は最終列車だ。次こそ乗ろうと心に決めて、冷え切った夜の空気を吸い込む。
少しだけ、もやもやしていた胸のあたりがスッキリした気がした。
「あれ? 先輩、どうしたんですか?」
今し方走り去っていった電車から降りてきた乗客の一人が声をかけてきた。
「……楓くん?」
振り返ると、私服姿の秋吉楓がそこにいた。手には大きな紙袋をふたつぶら下げている。
背後の駅名を確認すると、楓の自宅の最寄り駅だった。
「今日、結婚式行ってきたんですよね? 二次会帰りですか?」
「うん……久々に飲んだら、気持ち悪くなっちゃって、休憩してたとこ」
「大丈夫ですか? 家まで送りましょうか?」
「それだと、楓くんが家に帰れなくなっちゃうよ」
この駅から家までの時間を計算すると、どう考えても、終電に間に合わない。
今日の楓は大荷物を持っているし、そこまで付き合わせるのは悪いと思った。
「じゃあ、うちに来ます? 狭いですけど、とりあえず寝るスペースぐらいはあるんで」
「え……」
「歩けますか?」
差し出された手を拒むことはできず、雪希はふらふらと立ち上がっていた。
「う……」
途端に、また吐き気がぶり返してきた。
「あー……すみません。ゆっくりで大丈夫ですよ。水飲みます?」
雪希を再び座らせると、楓は水のペットボトル買ってきて、ご丁寧にキャップまで開けてくれた。
「ごめん……」
先輩なのに相変わらず情けない自分に、自己嫌悪がこみ上げてくる。
「先輩、なに飲んだんですか?」
「えー……と、カクテルとスパークリングワインと……ジントニック?」
ビールは飲めないから、と頑なに断った結果、適当に注文されていろいろ飲まされてしまったのである。
「はしゃぎすぎですよ。そんなに楽しかったんですか?」
楓は笑っている。
そう言われること自体は不本意だが、楓が言うとまったく嫌味に聞こえないから不思議だ。
「いいなぁ。オレもたまには先輩と飲みたいです」
そういえば楓とは付き合いが長いのに、二人で飲んだ記憶はほとんどない。
「……もしかして、僕に気を遣って、飲んでなかった?」
「いえ、そういうつもりでは……。なんとなく、です」
でも、目の前の人間が飲んでいないのに一人で飲むのは嫌なんだろうな、となんとなく察した。
大人数での飲み会では一応、周囲から浮かないように酒を飲むけど、好んで酒を飲みはしない雪希に合わせた結果だろう。
「そんな顔しないでください、先輩。オレだって、どうしても飲みたければ勝手に飲みますよ」
「そ、そう……?」
「基本的に、先輩とは同じもの飲みたいんで、オレ」
口端を上げて笑みを作りながら、楓はボディバッグから飲みかけの水のペットボトルを取り出して飲んでいる。
目が合うと、にこりと微笑まれた。
「ね?」
なにが『ね?』なのかよくわからないが、妙に気恥ずかしくなって、雪希は俯く。
「清水さん、って覚えてる?」
なにを喋ったらいいのかよくわからなくなった雪希は、適当に、ふと思いついた話題を口にしていた。
「誰ですか?」
「僕の同級生の……同じ学部の女の子」
「そんな人いましたっけ?」
「この間、楓くんの勤め先で会ったって……」
「あー……わかりました。有坂ゼミの人ですね」
「……そう、だったかも」
そこらへんの記憶は、雪希の方がおぼろげだ。
「あの人がどうかしたんですか?」
どうかしたかと聞かれても困る。
雪希は、わざわざ話す必要もないことをわざわざ話題にしてしまった失態に気づく。
「楓くんが結婚してないかとか、彼女はいるのかとか気にしてたよ」
上手くごまかせるほど喋るのが得意ではない雪希は、結局、ありのまま話すしかなかった。
「へぇ」
楓は笑っている。モテる男の余裕を感じさせる笑い方だった。
「それで先輩は、なんて答えたんですか?」
「…………とびっきり可愛い年下の彼女がいるって嘘ついちゃった。ごめん。もし今度清水さんに会ってなにか聞かれたら、適当に話を合わせておいて」
「ふふ」
楓は小さく吹き出した。
「いいですよ。ありがとうございます、先輩」
「……も、もし清水さんに興味があるなら、あれは嘘でした、ってちゃんと訂正して謝っておくから……」
「あはは、大丈夫ですって。オレ、他に、興味がある人いるんで」
「えっ!?」
世間話のようないつも通りのノリで返された言葉に驚愕して、思いのほか大きい声が出てしまった。
ホームで電車を待っていた人がチラリと振り返ってくる。
「興味がある人って……麗奈ちゃん!?」
「いえ、アニメのキャラではなく」
麗奈ちゃんというのは、最近楓が毎週欠かさず見ているアニメのサブヒロインだ。確か、メインヒロインよりもこっちの方が好みですね、とか言ってたはず。
「じゃあ、亜梨子!?」
「いえ……先輩の漫画のメインキャラは常に興味深い存在ですが、そういう話ではないです」
「二次元の存在じゃないってこと!?」
「まぁそうなりますね」
「そんな……」
顔も性格もいい楓が今まで彼女を作らなかったのは、楓が自分と同類、つまり二次元のキャラしか愛せない人種だからでは、と思っていたのだが、違うのか。
ショックのあまり、雪希は言葉を失う。
「帰る……」
「え?」
ちょうど、今日の最終列車がホームにすべりこんできたところだった。
「……心配してくれてありがとう。またね、楓くん」
たまには少しは楓を見習って愛想よくしなきゃと思った雪希はぎこちなく笑って、手を振る。
楓の家の玄関先までは見たことがあるが、中に入ったことは一度もない。だから、ちょっと入ってみたいなぁという下心もあって、ついていってもいいかな、と思っていたが、気が変わった。
「待ってください、先輩!」
電車のドアが背後で閉まる。
窓越しに、楓の姿が遠ざかっていく……はずだった。
「すみません、変なこと言って。ちゃんと送ります」
雪希の頭の中にあったイメージとは異なり、雪希はいま、車内のドアの前で楓に腕を掴まれていた。
「…………なんで?」
「オレがちゃんと見てなかったせいで先輩が駅の階段から落ちて腕を骨折して原稿ができなくなったら大変なので」
「……そんなに信用ないかな、僕」
「はい」
悲しくなってきた。
ぎゅうぎゅう詰めとまではいかないまでも、最終列車だけあって車内は混み合っていて、二人はドアの脇のスペースに身を寄せる。
楓は紙袋が近くの人に当たりそうになって、「すみません」と謝っていた。
「……ところでその紙袋、なに?」
ずっと気になっていたが、聞きそびれていた。
「母の代理で、親戚の家に届け物に行ってたんですよ。そしたらお菓子とか野菜とかをいっぱいもらっちゃって……。先輩、にんじんとかじゃがいもとか、いります?」
「にんじん、じゃがいもかぁ……カレーの材料かな?」
「あと、定番でいうなら肉じゃがとかですかね」
「僕が肉じゃがを作れそうに見える?」
「最近は、レンジで肉じゃがを作るレシピもあるんですよ」
「うそ、すごいね。でも、食べるならやっぱりカレーがいいかなぁ」
「あっ、もしかして、オレが作ればいいって話の流れです?」
「そう、それ」
「いいですよ。明日、他の材料を買ってきましょう」
「楓くん、明日休みなの?」
「はい。久々に連休もらったんです」
「……彼女とデートしなくていいの?」
「彼女はいませんよ」
「……片思いって話?」
言いながら、聞かない方がよかったかな、と心配になってきたが、楓は嫌な顔ひとつしなかった。
「さっきの話なら、多分、先輩が思ってるような話じゃありませんよ」
「???」
意味がわからなくて、雪希は首をひねる。
「付き合うとか付き合わないとかの話じゃないんで」
ますます意味がわからない。謎かけだろうか。
「やっぱり、二次元のキャラなんじゃないの?」
でなければ、こんな優良物件の男といつまでも付き合わない理由がわからない。
楓はやわらかく微笑んだだけで、それ以上この話題を続けることはなかった。
帰り道、駅の階段は気をつけて降りたので問題なかったが、歩道の段差を踏み外して転びかけた雪希は、『ほらやっぱり』という目で楓に見られることになった。
ちなみに、転ばなかったのは楓が支えてくれたおかげで、楓がいなかったら、盛大に倒れて体を打ちつけていたことだろう。
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