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09 一番のファン
次の朝。まだ朝のニュースがやっている時間帯に起きられたのはよかったが、気分は最悪だった。
なんとなく予想はしていたけど、二日酔いというやつである。
「う……」
ズキズキと痛む頭を押さえながら顔を上げたら、楓がテーブルで焼きそばパンを食べていた。
「あ、先輩、おはようございます。なにか食べられそうですか?」
「食べ物……?」
胃のあたりをさすってみる。吐き気がこみあげてきた。
「ちょっと無理かも」
「とりあえず水飲んでください」
すぐに冷たい水の入ったコップが運ばれてきて、飲み干したら、次に栄養ドリンクみたいな小瓶が差し出された。
「なにこれ」
「二日酔いに効くらしいですよ。職場のバイトくんが、よくこれ飲んでます」
パッケージをよく見ると、肝臓エキスが入っている栄養ドリンクの一種らしい。
「もしかして、わざわざ買ってきてくれた?」
「はい。そこのコンビニで、パンを買うついでに」
合鍵を持っている楓は、まるで我が家のように雪希の家を出入りしている。
「ごめん……」
「いえ、大丈夫です。いつものことですから」
とても爽やかに言われたが、本当に、楓に迷惑をかけるのはいつものことなので、情けない気分になってくる。
これでも一応年上なのに。
「もうちょっと寝てていい……?」
「もちろん。あ、イヤホン使うんで、タブレット貸してもらってもいいですか? 見たい映画の配信が始まったみたいで、気になってたんです」
「その映画って、こわいやつ……?」
「はい。ついでにちょっとスプラッターかも……?」
「ごめん、イヤホン使ってくれるなら好きに見ていいよ」
怖くないならイヤホンを使わなくてもいいと思ったが、音を聞くのもダメそうな気配を察した。
「すみません。隣の部屋で、静かに見させてもらいますね。なにかあったら呼んでください。先輩がごはん食べる気になったらなにか作るんで」
アニメとかドラマとか映画とかを趣味と仕事の関係で見る機会が多い雪希は、サブスクの配信サービスを四つも契約していた。
楓にたまに貸してやるなど、お安い御用だ。
むしろ、それぐらいしか普段の恩返しをする機会がないので、申し訳ないぐらいである。
トイレをすませてから布団に再びもぐった雪希は、ふと思い立って、布団の横に転がっているスマートフォンを手に取った。
アプリの通知を確認するだけのつもりだったのだが、通知の中のひとつに、ぎょっとするようなものが紛れ込んでいた。
『昨日は私たちの式に来ていただいてありがとうございました。綾瀬先生のファンだったもので、ついはしゃいでいろいろ話しかけてしまってすみません。綾瀬先生のコミックス、全部持ってます。今の連載も毎回、楽しみにしてます。ご迷惑でなければ、今回描いていただいたウェルカムボードに、サインをいただけませんか……? 一生の記念にします!』
よりにもよって、昨日結婚式を挙げたばかりの友人の奥さんからのメッセージだった。
そういえば、酔っ払いながら連絡先を交換したような記憶が今更蘇ってくる。
もはや、星宮雪希と綾瀬ユキが同一人物であることを疑っていない様子に、頭を抱える。
(なんでバレたんだ? ウェルカムボードの絵柄は、商業用の絵柄とはテイストを変えておいたのに……! ていうかあの奥さんと、昨日なに話してたっけ?)
今期注目のアニメについて話していたのはうっすら覚えている。
十一話から登場するキャラのキャストに人気声優が抜擢されたことが数日前に発表されたばかりで、そのあたりの話でとても盛り上がった。
(あとは……?)
先月、雪希がSNSで炎上する原因となった漫画についても偉そうにいろいろ語っていた記憶が断片的に浮かび上がってきて、顔が蒼白になる。
(もしかして、僕のアカウントのフォロワーだったりする!?)
だったら、今までのSNSの発言と、酔っ払っている時の調子に乗った物言いが一致して、特定された可能性が高い。
「どうしよう。どうしよう……」
もし自分が少年誌、あるいは青年誌で連載している作家だったら胸を張ってサインしたかもしれないが、いま現在扱っているジャンルは百合だ。
すけべ要素がある漫画でないだけまだマシだが、オタクではない友人の間で『百合漫画を描いている男』というイメージがつくのはおそろしい。
「やっぱり『別人です』ってごまかすべきか……!?」
「先輩?」
ぶつぶつ言いながら布団の中で丸くなっていたら、いつの間にか楓が上から覗き込んできていた。
「うわ!? びっくりした!」
「すみません。飲み物取りにきたら、先輩の様子がおかしかったので、声をかけてしまいました。……なにかあったんですか?」
「…………」
炎上騒動の時も、一番頼りになるアドバイスをくれたのは楓だ。
雪希は、花嫁からのメールを見せて、事のなりゆきを説明した。
楓はなぜか、しばらく黙り込んでいた。
炎上騒動の時以上に深刻そうな表情に、雪希の顔がますます引きつっていく。
「……かえで、くん?」
「この人、いつから綾瀬ユキ先生のファンなんですか?」
おそるおそる雪希が声をあげたのと、楓がようやく口を開いたのはほぼ同時だった。
「え?」
「単行本一作目の時からずっと追いかけてきたんですか? それとも、デビュー作の読み切りの掲載時から読んでたんですか?」
「いや、そこまでは……ちょっと……聞かなきゃわからないけど……」
「確認してください」
「なんで!?」
「オレの方が綾瀬先生をずっと応援してたのに、いきなり現れて『ファンです』なんてずうずうしいですよ。しかも、結婚式のウェルカムボードを描いてもらったってなんですか? 羨ましすぎる!」
「…………」
もしかして、同じファンとして対抗心を燃やしているということだろうか。
「だ、大丈夫! 楓くんが結婚する時もちゃんとウェルカムボード描くから! い、いらなかったらいらないって言ってくれてもいいけど!」
軽くパニックになった雪希もまた、わけのわからないことを言い出していた。
「やめてください! オレは結婚する予定なんて一生ないんで、ウェルカムボードを頼む機会も一生ないんです! 悔しい!」
いつも精神的に安定している楓が声を荒らげているのは珍しいことだった。
つられて雪希もますます混乱に陥る。
「大丈夫だよ! 楓くんなら、年上も年下も、よりどりみどりだって! 楓くんさえその気になれば、明日にでも結婚相手が見つかるかもよ!?」
それもどうだろう、という話だが、それぐらい可能性に満ちあふれているように雪希には見えた。
「じゃあ先輩が結婚してくれますか!?」
「え? いや、それは、ちょっと……。ていうか、なに言ってるの?」
完全に想定外の切り返しに、雪希はしどろもどろになる。
「ほら、ダメじゃないですか」
先ほどよりも幾分か落ち着いた声で言い放った楓は、落ち込んでいるように見えた。
「……すみません。変なことを言いました。忘れてください。……大学時代の友達とその奥さんに、正体を明かしていいかどうか、って話でしたよね?」
「……ああ、うん……」
「綾瀬ユキは、一応表向きは女性作家ということになっているので、よほど信頼できる相手でない限りは、隠しておいた方がいいんじゃないですか? 卒業アルバムの写真とか、ネットで晒されたら困りますよね?」
いきなり話を本筋に戻されたと思ったら、いきなりぞっとする話をされた。
「むりむりむりむり……そんなことされたら、もう二度と外歩けない……」
「ですよね。だったらその奥さんには、『自分も綾瀬ユキ先生のファンだから、絵柄が似てしまったのかもしれない』とか言ってごまかしておいたらどうですか?」
「そうだね、そうする……」
担当編集者のごとく冷静な対応だった。
だったらさっきの取り乱した姿は、ファンとしての顔?
「楓くん」
「はい」
「もし本当に楓くんが一生誰とも結婚しなかったら、寂しい独り身の老人のよしみで、僕と死ぬまで一緒に暮らそうね……?」
少し前にSNSで女オタクの人たちが『老後はオタク仲間同士でルームシェアしよう』と盛り上がっていたのを思い出して、そのノリで提案してみる。
「……はい」
ようやく、楓が笑った。
いつもよりもさらにあたたかな、満面の笑みだった。
しかし、オタク仲間との夢のルームシェア生活は、年金をもらう年を迎えるよりも前にやってきた。
そうだ、ルームシェアをしようという約束をしていたんだった。
先日まで仕事が忙しすぎてそれどころじゃなかったのと、楓が『その件はもう少し待っててもらってもいいですか?』と言い出したので、まぁ来年でも再来年でもいいか、と思っているうちに忘れかけていたのだ。
楓が引っ越し先の物件について相談にきたのは、新村の結婚式から一週間後のことだった。
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