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10 新天地

 二月。梅の花が満開の頃、新しい拠点になる予定の物件を前に、星宮雪希は風に吹かれていた。 「……なんで一軒家?」 「だって先輩、作業部屋とオタク部屋と寝室の最低三部屋は先輩個人で使いたい感じですよね」  目の前にあるのは、二階建てで三角屋根に窓がついている一軒家だ。  庶民の自宅というより、金持ちの別荘みたいな雰囲気のある家だった。  なにより庭がすごい。背の高い木が鬱蒼と茂っているのに荒れているという感じはなく、通路に敷き詰められたレンガのノスタルジックな風景と相まって、隠れ家的な雰囲気を演出している。 「……うん。理想はそうなんだけどさぁ」 「オレは、ホームシアター用の部屋と広いキッチンが欲しかったので、ここが一番ちょうどいいかなって。屋根裏部屋の窓から空も見れるんですよ」 「屋根裏部屋!」  魅力的な言葉に、少年心をくすぐられた雪希が思わず目を輝かせる。 「中、見てみますか?」 「見る」  実際に住むかどうかはとりあえず置いておいて、好奇心をそそられずにはいられなかったから、ここで引き返すという選択肢はすぐに除外された。  案内されるまま、家の中に足を踏み入れる。  外観は綺麗だが、中に入ると少し埃っぽくて、古い家の匂いがした。  新築ではなく、中古の物件なのだ。なんでも、楓のお父さんの知り合いが所有している家のひとつだったが、海外に移住してしまってなかなか訪れる機会もなくなったから、新しく住んでくれる人を探していたんだとか。  楓がルームシェアについて『ちょっと待っててほしい』と言ったのは、この家を貸してもらう交渉のため、時間が必要だったかららしい。 「どうです? 人気作家の家っぽくないですか?」 「漫画家というより、文豪の家っぽい雰囲気だけど。……っていうか、人気作家じゃないし。いつ消えるかもわからない三流漫画家だし」 「二十年後には大御所の仲間入りしてるかもしれませんよ」 「二十年後かぁ……」  先のことすぎて、想像もつかない。 「不摂生が原因で病気とかになってないといいけど」  漫画家人生よりも、どっちかというと健康面の方が心配だ。 「大丈夫です。先輩はこれから、一日三食きっちりバランスよく食べて夜はしっかり寝る、健全な生活を送ることになるんですから」  楓は笑顔で断言した。  つまりは楓が雪希の健康を管理してくれるということか。 「……深夜アニメがやってる時間までは起きてていいよね?」 「早起きして、録画か配信で見ればいいんじゃないですか?」 「だめだよ! リアタイしないと!」 「えー、でも先輩、リアタイして興奮のまま感想をネットで書き殴ってたら、また炎上しちゃいますよ。勢いだけで送信ボタン押す前に、他の人の感想もひととおり眺めてから冷静に考えた方がいいですよ」 「…………」  正論すぎて、ぐうの音も出なかった。  喋っている間に一階を見終わり、二階に上がる。  この家は、二階に広々としたルーフバルコニーがあった。 「すごい! テーブルセットとか置けそう!」 「前の家主の時は置いてあったみたいですよ」 「ここで原稿できそう!」 「すごい名作が生み出せそうですね」 「それは言い過ぎだけど」  ついでに風呂場も広かった。 「すごい! 浴槽で脚が伸ばせそう!」 「浴槽だけでも、今のアパートの二倍ぐらいありますよね」  雪希が住む安アパートの浴槽は極端に狭くて、すぐにお湯がたまるのはいいのだが、体育座りしないと入れないので、全然安らげる空間ではないのである。  見れば見るほど、住む気満々になっていく。  最初は一軒家なんて広すぎると思っていたのに。  この部屋はどう使おうか? あそこのスペースにはなにを置こうか? と当たり前みたいに考えている自分がいる。 「でも絶対高いよね、ここの物件」  雪希の稼ぎはたかが知れているし、オタクは金がかかる人種なので貯金もスズメの涙程度だ。 「月十万でいいそうですよ」 「十万!?」  それはさすがに……この近辺の地価を考えると安すぎる気がする。 「そのかわり、いくつか条件があります。ひとつは、リフォームはしないでできるだけ建物を現状維持すること。庭もできるだけ綺麗にしておくこと。もうひとつは、一年に一回、大家さんを家に泊めること」 「大家さん? なんで……?」 「だいぶ前に亡くなったお母さんが暮らしていた、思い出の家なんだそうです。庭の木も、みんなお母さんが植えたみたいで」 「なるほど」  立場上は、別荘の管理人みたいな感じか。 「あ、ちなみにそのお母さんが亡くなったのは病院なので、事故物件ではないです。幽霊が出るという話もありません」 「それならいいかな……?」 「最後は、屋根裏部屋ですね」  梯子で屋根裏部屋まで上がるのではなく、ちゃんとした固定階段がついているタイプの家だった。階段の幅もそこそこある。これなら荷物も運び込みやすいだろう。  階段を昇りきって最初に目に飛び込んできたのは、正面の窓から差し込む光だった。  台形になった奥の壁の中央に、高さ一メートルほどの窓がついている。  屋根の三角の形に添うように斜めになった天井の片側にも窓がついているから、昼過ぎのこの時間帯は思いのほか明るかった。 「わぁ……!」  床面積は、予想以上に広かった。ソファとテーブルとベッドを置いても余裕なぐらいのスペースがそこにある。  天井には木目調の板。足元も似たような素材の焦げ茶色のフローリング。横の壁は白。 モダンでおしゃれで、それでいて落ち着く空間になっていた。 「屋根裏部屋だ!」 「そうですね」  わかりきったことを叫ぶ雪希にツッコむでもなく、楓は頷いている。 「ここ、秘密基地みたいな雰囲気でテンションあがるね! 僕のオタク部屋にしたいかも。あ、でもグッズとか本が日焼けするのは困るから、寝室にした方がいいかな?」 「エアコンもついてますし、夏と冬の温度調整もなんとかなりそうですね。寝室にするのもいいんじゃないですか」  楓は、不動産屋のスタッフみたいな態度で的確な解説をしてくれているが、よく考えたらこの物件を見つけて、交渉までしてくれた功労者だ。 「あ、でも、楓くんがここを使いたければ使ってくれてもいいよ」  我に返った雪希が気を遣ってそう言うと、楓は目を瞬かせた。 「いいですよ。先輩がこの屋根裏部屋を気に入るんじゃないかな、と思って連れてきたので。遠慮しないでください。オレはあまった部屋をもらえればじゅうぶんなんで」 「でも、僕ひとりで使うにはもったいないよ。よかったらここで、一緒に漫画読んだりアニメ見たりしようよ!」  秘密基地は、ひとりで使うものではない。仲間がいてこそ秘密基地になるのだ。 「それは楽しそうですね。第二のリビング的な感じですか? それとも寝室かな?」 「そうだね。ここで一緒に寝ようよ!」  名案だと雪希は確信していた。  楓は、やや間を置いてから微笑んだ。 「先輩がそれでいいなら、オレはそうしますよ」

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