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12 女性ってそういう話、お好きなんですね?
『先生、お引っ越しされたんですよね? どうです? 新しい家は』
引っ越しから一週間後。
荷ほどきは完全には終わっていないけど、最低限、原稿するのに必要な環境を整えた雪希は、新しい作業場の机に座りながら、担当編集者と通話で打ち合わせをしていた。
今後のスケジュールについての確認が終わったところで、編集の内田さんが何気なく聞いてきた。
「いやぁ、広すぎて、どこにいていいのかわからなくなります」
冗談のつもりはなかったのだが、雪希がまじめにそう答えると、気さくな女性編集者はおかしそうに声をあげて笑った。
『お友達と一緒に住むことになったんでしたっけ?』
「友達っていうか、大学時代の後輩なんですけど」
『でも一緒に住むぐらいだから、よっぽど仲がいいんですよね?』
「まぁ……以前から、アシスタントみたいなこともやってくれてる後輩なので」
『あっ、ユキ先生よりも背景描くのが上手いあの人ですか!』
「…………」
嫌味のつもりはないのだろうが、その言葉は容赦なく雪希の胸に突き刺さった。
そうなのだ。楓は、高校時代は美術部で、静物画や風景画をメインで描いてきたというだけあって、背景が異様に上手いのだ。
楓がいなかったら、雪希の漫画はもっとトーンワークで背景をごまかしまくっているところだった。
『普段は漫画以外の仕事してる人なんでしたっけ? プロアシになるつもりとかないんですかね? 紹介したい仕事先、いっぱいあるんですよ』
それはつまり、雪希以外のところでもアシスタントをしないかと勧めているということだろうか。
「いや、楓くんは、僕のマネージャーになってもらう予定だから」
なんとなくモヤっとした雪希は、遠回しに断るためにマネージャーの話を持ち出す。
『そうなんですか? だったら今度、ぜひご挨拶させてください!』
「あ、はい……」
具体的にいつからマネージャー業務をやってくれるかはまだ決まっていないけど大丈夫かな、と思いつつ雪希は曖昧に頷く。
(まあ、楓くんのことだからきっと大丈夫でしょ)
などと無責任に考えていたところ――
「オレですか? ここにいますけど」
気づいたら、ちょうどコーヒーを運んできてくれた楓が部屋にいて、雪希はあせる。
「楓くん!」
「お呼びですか?」
「ごごごめん、今のはなんていうか……」
『あっ、楓さんですか? はじめまして。綾瀬ユキ先生の担当編集者の内田と申します』
スピーカーにしていたから、双方、声は丸聞こえになっていた。
ビデオ通話にはなっていないから、通話先の相手の顔は見えない。にもかかわらず隠したくなって、雪希は思わず、楓の顔を掌で覆っていた。
「はじめまして。秋吉楓です。先輩……ユキ先生がいつもお世話になってます」
楓は戸惑い気味の表情を雪希に向けたものの、振り払うこともなく会話に応じている。
『いえいえこちらこそ! この間の炎上騒動の時、うまいこと対応してくれたのは秋吉さんなんですよね? ユキ先生から聞きました。おかげで、騒ぎが早めにおさまってくれて助かりました』
「そうですか。お力になれたのならよかったです」
『ユキ先生のアカウント、今は秋吉さんが運営してるんですよね? いつも情報発信のタイミングがバッチリですし、告知の文章も上手くて、感心してるんですよ。本来なら編集側がやるべき仕事をお任せしてしまって申し訳ありません』
「オレはユキ先生の初コミックスを発売された時からずっとファンだったので、好きな作品を一人でも多くの人に布教するお手伝いができているのなら、こんなに幸せなことはありません。なにか告知案件があれば、今後はよろしければ、オレに直接連絡してください。ユキ先生には……原稿に集中していただきたいので」
原稿のことで頭がいっぱいで、わりとよく告知案件について忘れそうになる雪希を見かねての提案に、ギクリとする。
『ありがとうございます。後ほど、連絡先をお伺いしてもいいですか?』
「もちろん。よろしくお願いします」
担当編集者と後輩が話しているのを見るのは、奇妙な感覚だった。
しかも、雪希が相手の時よりもずっと大人の会話をしているので胸中は複雑だ。
他にもいくつか挨拶を交わしたあと、楓は部屋を出ていった。
再び雪希と二人きりの会話に戻った内田は、妙に興奮気味になっていた。
『すっごいイケメン声でしたね!』
「そう……? 顔もイケメンだけど」
楓がいい声をしていることはわかっているが、声よりも顔を褒められることが多い楓なので、雪希の反応は鈍い。
『ほんとですか? 写真送ってください!』
「…………」
タブレットの方から楓の写真を適当に選んで送信すると、十数秒後、悲鳴に近い反応が返ってきた。
まぁ、今後仕事の付き合いが始まるのなら、ビデオ通話で打ち合わせをする機会もあるだろうし、これくらいはいいだろうという判断だ。
『めちゃくちゃイケメンじゃないですか!』
「だから、そう言ってますよ」
『こんな人と一緒に住んでるんですか!?』
「ええ、まぁ」
『朝起きたら一番に、おはようって言ってもらえるんですか?』
「そうですね。いつも起こされてます」
『たまに寝顔も見れたり!?』
「ほぼ毎日見てますけど」
『まさか、同じ部屋に寝てるとか言いませんよね!?』
「同じ部屋ですけど……ベッドも同じだし」
声なき悲鳴のあと、ガタガタと不穏な音が聞こえてきた。
「大丈夫ですか? 今のなに!?」
『……すみません。衝撃のあまり、スマホをソファにぶん投げてしまいました』
しばらく間を置いてから、申し訳なさそうな声がようやく響いてくる。
そこで雪希もハッとなる。
「すみません! こんなモブ顔のキモオタが顔も性格も完璧なイケメンと一緒に暮らして一緒に寝てるとか、女性からしたら許せないですよね! 生まれてきてごめんなさい!」
いつも明るく朗らかな担当さんが取り乱すなんて、よっぽどのことだ。雪希は全力で謝罪する。
『なにもそこまで言わなくても……。こちらこそすみません。ユキ先生はなにも悪くないので謝らないでください。……あの、不快だったら答えなくてもいいんですが、聞いてみてもいいですか?』
「……なんでしょう?」
やけに神妙に問いかけてくる担当さんの声に、雪希の態度もかしこまる。
『先生は、秋吉さんとお付き合いされているんでしょうか?』
「……?」
問われた意味が掴めずに、雪希は返す言葉を見失う。
『あの、ごめんなさい! 興味本位の質問です! 偏見とかはないですし、もしも『そう』なら応援したいなって思っただけなので、あの……!』
雪希が答えないので、担当さんは必死に言葉を重ねてくる。
「……付き合う、ってなんですか? 楓くんとは、大学時代から付き合いがありますが……」
本気で意味がわからなかった雪希は、困惑の声を出すことしかできなかった。
『恋人なんですか、ってお話です』
いまいち雪希に伝わっていないことを察した担当さんが、直球の質問に切り替えてくる。
「…………恋人?」
『はい』
たっぷりと時間を取ってきょとんとしたあと、雪希は小さく吹き出した。
「ないないない、絶対ない、です」
『えっ、そうなんですか?』
雪希の答えに、今度は担当さんが戸惑っている。
「楓くんも僕も同性愛者ではないですし、そういう目で見たことはないです」
第一、雪希みたいなやつが相手だと思われているなんて、楓に失礼だ。
『付き合ってないのに、一緒に寝てるんですか?』
「まあ、友達ですし。その方が、スペース的にも都合がいいので」
『……私の経験と知識から言わせてください。友達同士でルームシェアするのはわかります。でも、友達と毎日同じベッドで寝るなんて、ありえないです』
「そう……なんですかね?」
もともと友人があまりいなかった雪希は、自宅に入れたことのある友達も今まで楓しかいなかったので、一般的な『友達づきあい』の感覚が希薄だ。
常識というやつがわからないのである。
『ちなみにそのベッドって、セミダブルですか? ダブルベッドですか?』
「ダブルですけど」
『ダブルを買おうと言い出したのはどっちですか?』
「楓くんですね。ていうか、いつの間にか決まってた感じだけど」
『秋吉さんて、不眠症で、人肌がないと眠れない体質だとかは』
「ないですよ。楓くんは規則正しい生活が好きな人だから、毎日同じ時間にきっちり寝ようとするんです」
不眠症だなんて不健康な体質とは無縁そうに見える。
『秋吉さん、ユキ先生のことが好きだから、夜もそばにいたいと思ってるんじゃないですか?』
「楓くんが僕を好き?」
嫌われてはいないと思う。楓は、本当に嫌いな相手への態度は徹底して冷たいから。
好意があるのは確かだろう。でもそれが恋愛感情かというと、話は別だ。
「違いますよ。楓くんはすごくいい人だから、ダメ人間の僕をほうっておけないだけです。内田さんってそういえば、BLも好きなんでしたっけ? なんでもかんでもそういう目で見るのはちょっと……」
『じゃ、じゃあ、ユキ先生が好きな百合カプに置き換えてみてください! 仲良しの友達だった二人が一緒に住むことになって、毎晩一緒に寝ることになったら……ずっと友達のままでいられますか!?』
「…………」
ちょうどいま連載している百合カプの二人を、それぞれ雪希と楓の立場に置き換えて妄想してみる。
連載中の二人は、同棲はしていなくともとっくに付き合っているのでIF設定というやつになるのだが、それはそれ。原作とは別パターンとして考えてみる。
まだ付き合っていないあの二人が一緒に暮らすことになったら……?
答えは、すぐに出た。
「一つ屋根の下……同じベッドで、なにもないわけがないですね!」
『ですよね!』
ようやく話が通じて、担当さんはほっとした様子だ。
「好きじゃなかったら、そこまで一緒にいるわけないですね!」
『ほんとです!』
ついつい勢いで、オタクの論法を展開してみたが、果たして現実はどうか? と我に返った雪希は首をひねる。
「でも、僕たちの間にはなにもないですよ」
『ほんとですかぁ……!?』
「だって、なにかあるなら、とっくになにかあってもおかしくなかったはずです」
それだけ、長い付き合いなのだ。
仮に、万が一の仮定の話として、楓に、雪希をオとすつもりがあるのなら、とっくになにか仕掛けられていたはずだ。
『……これからなにかある予定で、同居に持ち込んだのでは?』
「楓くん、好きな人がいるって言ってたし、間違いが起こることもないんじゃないですかね」
『その好きな人って、ユキ先生のことでは?』
「はは、まさかぁ」
雪希は軽く笑い飛ばした。
「こんなキモオタを好きになる物好きなんて、いるわけないですよ。楓くんはただ……僕が描く漫画が好きなだけです」
『……それ、秋吉さん本人に聞いてみてもらってもいいですか?』
「えー、なんでですか? いいですけど」
内田さん、原稿への感想がいつも夢見がちな乙女のノリだから、やっぱり恋愛話が好きなんだろうなぁ、と思いながら雪希はしぶしぶ頷いた。
「それで変な雰囲気になったら、内田さんのせいにしちゃいますよ。いいですか?」
『それはもちろん! なんなら、菓子折持って謝罪に行きます!』
「僕、あれが好きなんですよね。北海道のメーカーで、たまに催事でしか売ってないチョコレートの……」
『なんでもう菓子折もらう気になってるんですか?』
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