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14 好きな人って誰ですか?
まだ起きるには早い時間だけど、天井から差し込む光が目に入って、目が覚めてしまった。
この家の天窓は、夜は星が見えて綺麗なのだけど、朝が弱い雪希には少々厄介だ。
ベッドの隣はすでにもぬけの殻になっていて、すでに朝の支度をしているものかと思ったが、視線を巡らせると、同居人はまだ屋根裏部屋にいて、ベッドの端に腰掛けている。
「先輩、これってオレ、ですよね……?」
楓がノートらしきものを開いていることは、寝ぼけ頭でなんとなく認識していたが、それが昨日寝る前に使っていたクロッキー帳であることに気づいて、雪希はあわてて起き上がる。
「ごめん! 勝手に描いたりして……! あの、楓くんが寝てる姿があんまり綺麗だったから、つい……っ!」
眠すぎて適当にクロッキー帳を放り出したのは完全に不覚だった。
本人に見られるとか、気まずすぎる。
しかも、無許可でデッサンさせてもらったわけだから、相手によっては怒り出すだろう。
「先輩がオレのこと描いてくれるの、初めてですよね? 嬉しいです!」
しかし楓はなぜか目を潤ませて感動している。
「……ごめん。下手くそで。今度はもっと上手く描けるようにがんばるから」
戸惑った雪希は、自分でも的外れな言い訳をしていた。
「また描いてくれるんですか!?」
楓はさらに感動している。
いつもよりもテンションが高いのは明白で、『そんなに嬉しかったのだろうか?』という感じだ。
「……楓くんは、僕に絵を描いてもらえると嬉しいの?」
「当たり前じゃないですか! オレ、ユキ先生の絵、大好きなんですよ!」
大好き。大好きかぁ……。
昨日の担当さんとの会話を思い出して、雪希はくすぐったいような気持ちになる。
「その絵、楓くんにあげるよ」
「ほんとですか? 嬉しいです! あ、よかったらサインしてもらえますか?」
「いいけど……サイン入れるぐらいなら、もっとちゃんと時間かけて描くよ」
「これだけでも、オレはじゅうぶんです」
幸せそうな顔。
これほどまでに、絵描き冥利に尽きることはない。
「……楓くんは、僕の絵が好き、なんだよね?」
「はい。繊細で優しくて、それでいて美しくて、大好きです」
「……それを描いてる僕自身は、僕の絵柄みたいに優しくもないし綺麗でもない。だから、楓くんが好きなのはあくまでも僕の絵や漫画であって、僕自身のことが好きなわけじゃない……よね?」
正直に言うとこんなこと聞きたくはないけど、担当さんとの約束がある。約束を反故にするのは、雪希は嫌だった。
「? 先輩のことは好きですよ」
当たり前みたいに返される言葉に、うっかり誤解してしまいそうになる。
「……えっと、前に言ってた『好きな人』って、僕のことじゃないよね……!?」
違うはずだ。『そうです』と肯定されるのも『違います』と否定されるのも、どっちも怖い。
どっちの答えも聞きたくなかったけど、確認しておかなければいけなかった。
「好きな人がいるなんてオレ、言いましたっけ?」
「言ったよ。ほら、結婚式の帰りに、駅でバッタリ会った時に」
「……仮にそうだとして、それが先輩かどうか、先輩は聞きたいんですか?」
両耳を覆いながら答えを待つという矛盾まみれの格好をしている雪希に、楓が静かに問いかけてきた。
「…………ごめん。やっぱり聞きたくない」
弱々しく吐き出す情けない姿に、楓はくすりと笑って、腰を上げた。
昨日雪希が使っていた鉛筆を手に取った楓は、クロッキー帳とともにそれを差し出してくる。
「サイン、お願いします」
「あ、うん……」
一番よく描けたと思われる一枚の余白に鉛筆で商業ネームである『綾瀬ユキ』のサインをさらさらと書き入れると、クロッキー帳を楓に返した。
「ありがとうございます。一生大事にします」
「……一生は言い過ぎだよ」
「額に入れて飾ってもいいですか?」
「いや、ほんとやめて。それだけは」
楓は微笑むと、「すみません」とだけ謝った。
「オレ、先輩のこと好きですよ」
思わぬタイミングで話を戻されて、雪希は一瞬、息が詰まる。
「でも、すみません、多分、先輩が思っているようなものじゃないです」
遠回しにフラれているのだろうか、これは。告ってもいないのに?
「いや、いいんだよ。当たり前だよね。気持ち悪いこと言ってごめん。別に、付き合ってほしいとか、そんなこと考えてたわけじゃないんだ。ていうか僕自身、楓くんを『そういう』対象として見ていたわけじゃないし。内田さんがなんか僕たちのこと、恋人なんじゃないかって誤解しちゃって、違うって言ったら『これからなにかある予定で同居に持ち込んだんじゃ?』ってさらに追及されて、楓くん本人に確認してみてほしいって言われて仕方なく……」
あせると早口で饒舌になるのがよくあるオタクの特徴で、雪希もモロにそのタイプだった。
言い訳じみた言葉を重ねるほどに、ごまかしがうまくいっている気がするが、冷や汗は止まらない。
「楓くんのことはほんと、いつも信頼してるし、むしろ頼りっぱなしで申し訳ないと思ってるぐらいだけど、迷惑かけたいわけじゃないし、この手の誤解が嫌いなら、キッパリ言ってくれたら僕も助かるよ。僕ももう二度とこんな話題は……」
「……先輩。先輩、ちょっと落ち着いてください」
ますます加速する雪希の早口を、楓は中断した。
「話を整理したいんですが、内田さんに追及されたから気になっちゃっただけで、先輩自身はオレのこと、恋愛対象としては見ていないって解釈でOKですか?」
「…………いや、そもそも僕自身が、人類の恋愛対象の範疇にない存在だし」
「人類?」
楓は怪訝そうな表情を見せる。
「僕が誰かを好きになっても、きっと迷惑にしかならないし、僕のこと好きになってもらいたいとか、そんなおこがましいこと考えられないし、だったら、誰かを好きになるのはやめようってずっと前から考えてて……どういう相手が現実的に恋愛対象になるかとか、考えたことない」
「……好きになるのは二次元だけでじゅうぶんってことですか?」
「そうだよ。好きなキャラが幸せならそれでいい。……もっと贅沢を言うなら、僕自身が一生誰にも愛されなかったとしても、僕の作品を誰かに愛してもらえたなら、それでじゅうぶん、僕は幸せだよ」
楓は物言いたげな眼差しで手元のクロッキー帳を見下ろした。
「恋愛とか考えられないって気持ち、オレもわかりますよ」
「楓くんが?」
楓は見た目もいいし性格もいいし、家庭環境に恵まれていないというわけでもない。誰かに愛されることなんて、難しいことではないだろう。
再びベッドに腰を下ろした楓は、頭上の天窓越しに青い空を見上げた。
「……オレ、初体験がすごく早かったんですよね」
えっ、いきなりワイ談が始まってしまうのだろうか。ドギマギしながら楓の顔色を窺うが、色男は怖いくらいの無表情をしている。
「早かったって、どれくらい?」
「十三の時、中学に入って間もない頃です」
「…………」
羨ましいとかいうレベルの話ではなかった。まさか性犯罪に絡む話だろうか、と心配になり、雪希の表情が曇る。
「相手は七歳年上で、近所に住むお姉さんでした。小さい頃は、公園で会うたびに遊んでもらってたので、まぁわりと仲はよかった相手です。無理やり、とかではなかったんですが強引に誘われた感じで、オレも多感なお年頃だったので、興味本位で誘いに乗っちゃった感じです」
心配そうな雪希の顔色を見て、楓が細かい説明を付け加えてくる。
「……シチュエーションだけ見れば羨ましい感じだけど」
エロ漫画にありそうな設定だ。雪希もそんなに嫌いな設定ではない。
「でもその人、別にオレのこと、好きでもなんでもなかったんですよ。彼氏にフラれてむしゃくしゃして、彼氏よりも顔がいい男とヤってみたらプライドを取り戻せるかも、と思って手を出してみただけだったんです。……結果的に言えば、経験も知識もろくにないオレではご満足いただけなかったようで、その後、なぜか別れた彼氏とよりを戻したみたいです」
「……楓くんって、童貞でも最強キャラじゃなかったんだ」
それは災難だったね、と言おうとしたのに、オタク的発言の方がついつい先に出てしまった。
「いやいや全然。超ヘタレですよ。それ以来、女の子が苦手で。オレのことどうせ、外見とか、表面的な優しさの部分しか見てないんだろうなぁって思って……まぁ、事実その通りだったんですけど。一応、高校生の時に何度か彼女ができたこともあったんですけど、全然勃たなくて、すぐにフラれちゃいました。なので大学以降は、彼女を作るのもやめました」
「完全にトラウマ案件になってるじゃん」
「トラウマってほどのものでもないですよ。多分オレ、もともと不感症気味なんですよね。強い刺激がないと気分が上がらないっていうか。女の子とデートするより、ホラー映画見て興奮する方が楽しい、みたいな性格は、初体験よりも前から同じです」
「…………」
「あっ、一応言っときますが、ホラー見ながらオナニーするような真似はしたことないですよ。精神的な興奮の話です」
「それなのに僕の百合漫画は好きでいてくれるんだ?」
雪希の漫画の作風をもっともわかりやすく言うなら『ゆるふわ』だ。ホラーとはかけ離れている。
「先輩のデビュー作、舞台は戦争によって退廃した世界でしたよね?」
「あー、うん。そういえば」
女の子たちの関係性はゆるふわしていたが、彼女たちを取り巻く世界観は殺伐としていた。
「絵柄とのギャップにびっくりしちゃって」
「……よく言われるよ」
「話の展開も、次になにが起こるのかわからなくて、ドキドキしました」
「作者の思考が支離滅裂だからね」
ロジック的に話の構想を組んでいるのではなく、勢いと直感に任せて描いている節があるので、担当さんに『意味がわからない』とダメ出しを食らうことも多々ある。
「そんななかでも、登場人物の子たちが本気で相手のことを想っている姿に心を掴まれました。オレ、正直なところ、恋愛モノって苦手で……人気の恋愛ドラマ見ても『嘘っぽいなぁ』としらける感じがあったんですが、先輩の描くキャラクターは、非現実な設定の中にあっても『生きた存在がそこにある』っていう生々しさがあって、気づいたら夢中で読んでました」
だんだん恥ずかしくなってきた。
人に褒められることに慣れていない雪希は、面と向かって感想を言われるということに耐えられず、両手で顔を覆う。
「人を好きになるっていいな、って感覚を……ずいぶん長いこと忘れていた感覚を、先輩の漫画を読んで思い出しました」
やばい。涙が出てきた。顔を覆った手をはずせなくなる。
「だから、綾瀬ユキ先生の作品も、それを描いている綾瀬先生本人も、もっと言うなら素の星宮雪希さんも、オレにとっては『推し』なんです。恋愛感情を超越した尊い存在なんです」
とてももったいないお言葉だが、もともとの話の流れを考えると、推しとは恋愛はできない……推しは愛でたり一方的に応援するものであって、推しを直接どうこうしたいという感情はない。――つまりはそういうことを言いたいのだろうか。
推しとのリアルな恋愛を望むオタクもいるみたいだが、少なくとも雪希はそういうタイプではないので、理解はできるが、共感はできない。
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