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19 帰り道
あたたかな店内で上気していた肌が三月の夜風によって徐々に冷やされていくと、いろいろな感情が、胸の奥からわきあがってきた。
しばらく無言で歩いていたが、楓が「コンビニ寄ってもいいですか?」と聞いてくるので頷いて、家から一番近いコンビニに入る。
特に用がない雪希が何気なしに雑誌のコーナーを眺めていると、カゴにボールペンと小さいメモ帳と、朝食用のパンと、ロールケーキ二つを入れた楓が近寄ってきた。
「雪希さん、ロールケーキ食べますよね?」
「いいね。おいしそう」
「お酒も買います?」
そういえば、今度一緒に飲もうね、的な話をしたのは数ヶ月前だったが、そのあと結局一度も一緒に飲んでいなかったことを思い出した。
「……楓くんは、どういうお酒が好きなの?」
正直また酔っ払って二日酔いになるのは怖かったけど、まあ一本ぐらいいいか、と思って聞いてみる。
「泡盛です」
「……意外だね」
「洋酒の方が似合いそうなイメージですか?」
「うん。おしゃれなカクテルとか似合いそう」
「特に好き嫌いはないので、飲もうと思えばなんでも飲めますよ。でも、カクテル程度の度数だとオレにとっては普通のジュースとあんまり変わらない感じなので、度数の高いお酒の方がいかにも『お酒飲んでる』って感じして好きですね」
「あー……アルコールの方も、刺激が強い方がいいんだ?」
ホラー映画ぐらいのインパクトがないと楽しめない、と言っていたのと同じ理屈だろうか。
「そんな感じですね。あ、雪希さんは泡盛はやめた方がいいですよ。一杯飲んだだけでひっくり返っちゃう可能性あるので。この缶チューハイとかどうですか? このシリーズは飲みやすくて美味しいと思いますよ」
楓が指さしたのは、アルコール度数4パーセントの、桃のフレーバーの缶チューハイだった。
「この白いのは?」
隣に並ぶ白い缶が気になって聞いてみると、楓は桃の方と白い方、両方をカゴに入れた。それも二本ずつ。
「せっかくだから、両方飲んでみましょうよ」
二本ずつ買ったということは、楓も同じのを飲むつもりだろうか。
「……」
雪希は冷ケースではなく近くの常温の棚の酒コーナーを見て、その中で一番度数が高そうな焼酎の瓶を手に取った。
「これは飲める?」
「え……はい」
楓が戸惑っている間にカゴを奪って、レジに向かった。
「雪希さん、お会計はオレが」
「いいよ。さっきハンバーグ屋さんで奢ってもらったし、僕もこれくらいのお金は持ってる」
トートバッグはもういっぱいだったので買い物袋をもらって店員さんに入れてもらい、受け取ろうとすると、先に楓の手が出てきた。
「オレが持ちます」
頑なな口調だったので、楓の好きにさせた。けっこう、義理堅い性格をしているのである、楓は。
「楓くんはさ、好きなもの飲んでもいいと思うよ。似合ってても似合わなくても。僕と同じものでも同じものじゃなくても」
家の手前の坂にさしかかったところで、雪希はぼそりと告げた。
人と同じじゃなくても。誰かに合わせなくても。もっと、好きにしたらいいと思う。
「……ありがとうございます。先輩のそういうところ、好きですよ。……あ」
「先輩でいいよ」
名前で呼ばれるのも悪い気分じゃないけど、『先輩』の方が呼ばれ慣れているのでしっくりくる。
「でも、大学卒業して何年もたちますし、一個人の名前として『雪希さん』って呼んだ方がいいかなって」
「でも僕、楓くんに『先輩』って呼ばれるの、けっこう好きだったんだよね。他に『先輩、先輩』って慕ってくれる後輩なんて、今まで一人もいなかったし」
「……いっそのこと、先生、って呼んだ方がいいですか?」
「いやそれはやめて、ほんと」
たまに話の流れで呼ばれることはあるけど、日常でも常に『先生』と呼ばれるのはなにか違う気がする。
「僕は、先生って呼ばれるほどたいした人間じゃないし」
「……一応聞いてみますが、名前を呼び捨てにしたら怒りますか?」
「呼び捨てって?」
そこで楓が耳元に唇を寄せてくる。
「……雪希」
低く色っぽい声で囁かれて、体の奥にぞくりとしたものが走る。
あからさまに肩を揺らした雪希を見て、楓はくすくす笑った。
「すみません、やっぱりダメですよね?」
「だ、ダメ、じゃないけど……」
心臓には悪いので、やめてほしいかもしれない。
「先輩、顔が真っ赤です」
「どうせ嘘でしょ? こんな暗い中で、顔色なんて判別できるわけがない」
「あ、バレました?」
この坂道は街頭が少なく、立ち並ぶ家々の明かりでかろうじて道が見通せる状態だ。
「先輩、転ばないでくださいね」
段差もないのによろめいた雪希を見かねて、楓が手を掴んでくる。
「…………」
ふりほどけないまま、そのまま家まで歩いた。
実際は介護されているような状態だが、手を繋いでいることにかわりはない。
ドキドキした。
この道が暗くてよかった、と心の底から思う。
「……さっきのカップル、よかったね」
「はい。先輩、お手柄でしたね」
「僕がなにかしなくても、あの二人はいずれうまくいったと思うけど……あの二人も『よかった』って思ってくれるなら、勇気出したかいがあったよ」
繋いだ指先が震える。止めなければ、と思うけど、無駄だった。
「…………楓くんの中に少しでも、結婚に憧れる気持ちがあるのなら、僕なんかと恋人になってる場合ではないんじゃないかな」
意を決して、雪希は言葉を紡いだ。
楓が根っからの同性愛者ではないことは、だいたい察していた。
近頃は同性婚もだいぶ容認されてきているけど、それでも、ちょっと前に参列させてもらった友人の結婚式みたいな、『誰からも祝福されるのが当たり前の結婚の儀式』は望めないだろう。
彼からその機会を奪うのは、とても申し訳ないことのように思えた。
「……カナダがおすすめみたいですよ」
「なにが?」
なんで急にカナダ? 雪希は困惑する。
「同性婚におすすめの場所。なんでも、結婚証明書がもらえるんだとか。最近発売された雑誌に書いてありました」
「へ、へぇ……?」
勤務中にたまたまそんな雑誌を目にしたんだろうか。
それで、なんの話だったっけ?
「前にも言いましたが、オレはもともと、結婚の予定なんて一生ないつもりでした。だから、結婚に憧れる気持ちとかはまったく持ち合わせていないのですが、たとえ気が変わったとしても、その気になればどうとでもなるというか。先輩とだって結婚できますよ、という話です」
「僕!?」
「はい」
「無理だよ!」
「はい……そういえば、前にもこんな話しましたね」
「だって僕、料理できないし、掃除も洗濯も嫌いだし、生活能力ないし……性格も悪いし、顔も悪いし、稼ぎは今のところまぁまぁあるけど、いつ無職になってもおかしくない業界だし……」
「あ、そういう話ですか」
楓はおかしそうに笑い出した。
「結婚しても絶対、半年とか一年で見捨てられるに決まってるよ!」
「それは実証してみないことにはなんとも言えませんが、とりあえず、オレのことが嫌じゃないならよかったです」
いまいちかみ合わない会話を交わしているうちに、我が家に到着した。
木々の隙間から見せる自分たちの家は、当然ながら真っ暗だった。
「引っ越してからまだ一週間ぐらいだけど、帰ってくるとほっとするね」
「オレたちの家ですもんね」
鍵をあける際に、繋いでいた手は外してしまった。
それだけが少し、残念だった。
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