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《第4章》オタクはそれを沼と呼ぶ④

「おじゃまします」 「どうぞ。入って」  実家以外の場所で弟と会うのは、何年ぶりだろう。  たまに実家に顔は出しているから、顔を見ること自体はそう久しぶりでもない。  でも、楓が実家に帰った時の話し相手はたいてい母親か父親で、弟と個人的な会話を交わすことはほとんどないから、妙な気分だった。  弟が連れてきた友人というのは、はじめて見る顔だった。  ずいぶんと緊張している。  いろいろと思うところはあるが、接客業をしている楓はいつもの営業スマイルで、二人を迎え入れた。  リビングに案内すると、来訪者よりも緊張してガチガチになっているこの家の家主が、落ち着きなくキッチンを右往左往していた。 「は、はじめましてぇ……! か、楓くんの同居人の星宮です。きょ、今日はユックリシテイッテネ」  緊張しすぎて声を裏返らせた上、途中からロボットみたいな喋り方になっている雪希に、楓は思わず、小さく吹き出した。 「雪希さん、こちら、弟の大吾(だいご)です。お友達は、えーと……」  そういえば、名前はまだ聞いていなかった。 「鷲尾太一(わしおたいち)です」  淡いオレンジがかった色をした髪の、華やかな雰囲気の少年は、控えめにそう名乗った。  遊んでそう、とまでは言わないが、あえて言うならアイドル系のビジュアルの少年だ。  いかにも硬派なスポーツ少年といった感じの黒髪短髪の大吾とは、明らかにジャンル違いだ。 「すごいカッコいい名前だね! 強そう!」  その感想は本音だろうが、なにを言っていいのかわからない、みたいなテンションになっている雪希には、ダイニングのイスに座ってもらうことにした。  来客の二人は、ソファの方に座らせる。 「オレが飲み物とか用意するんで、雪希さんは座っててください」 「あー……飲み物、なにがいいのかわからなくて全部出しちゃったんだけど……」  キッチンに行くと、コーラとアクエリアスとオレンジジュースと麦茶とミルクティーの2Lのペットボトルがずらりと並んでいた。  お菓子も、スナック菓子からチョコレート菓子まで、各種用意してある。  まるで大人数でのパーティの準備だ。  楓は笑って、全部、ダイニングテーブルに運ぶことにした。  それから大吾と太一に、「どれがいい?」と直接聞くことにする。  大吾はアクエリアスを、太一はミルクティーを選んだ。  お菓子は、大皿を持ってきて、適当に数種類盛り付けることにする。 「ごめんね。最初からこうしてればよかった。僕、家に友達呼んだことないから、わかんなくて……」 「大丈夫ですよ。これだけ用意してくれただけでじゅうぶんです」  小声で謝罪してくる雪希に、にこやかに答える。 「ていうか、楓くんの弟って、若くない? いくつ!?」  さらに小声で、雪希がこそこそと問いかけてきた。 「今、高校二年生だから……二人とも、十七歳ぐらいですかね」 「えっ! 若……っ! どうしよ、僕、高校生と喋ったことなんてないよ」 「……雪希さんも、高校生とか中学生ぐらい若々しく見えることが多々ありますよ」 「えっ? 中二病っぽいってこと!?」 「いえ、そこまでは。趣味のことできゃっきゃしてる時の様子が初々しくて可愛いなーって話しです」 「か……」  かわいいって、と言いたそうな顔だったが、雪希はハタと固まる。  小声とはいえ、ほぼ雑音もない室内だ。高校生二人にも、会話はだいたい聞こえてしまっていたことだろう。  雪希はわかりやすく赤くなったあと、すぐに青くなった。 「やだなー、楓くん。可愛いっていうのは、太一くんみたいな子のこと言うんだよ」  急に太一の方に行ったかと思ったら、肩を叩いて、必死にごまかそうとしている。  そのくせ、直後に「あっ、いきなり馴れ馴れしくてごめん!」と我に返った様子であせっている。  高校生二人は、ずっときょとんとしていた。  いつも以上にせわしない様子に、楓はくすくすと笑った。  そんな楓を、大吾が不思議そうに見上げてくる。  「この人が、F100号キャンバスのウサギの人?」 「そう……星宮雪希さん」 「えっ、F100号キャンバスのウサギって……高校の時の油彩の話?」  ずいぶん懐かしい話をいきなり引っ張り出された雪希は、びっくりしていた。 「楓が、一目惚れしたみたいだから」 「ひ、一目惚れ!?」 「雪希さん? が描いたっていうウサギに」 「そ、そうだよね……僕に一目惚れなんてするわけないよね。あー、びっくりした。……え、いや、待って! あのウサギに一目惚れしたってどういうこと!?」  雪希はさらに混乱している。可愛い。  しかし、今まで秘密にしていたことを勝手に暴露された楓も、呑気に笑っている場合ではない。 「……とりあえず、座ってジュースでも飲みません?」  高校の時、県内のコンクールで雪希が描いたウサギの絵を見て、その時にはじめて星宮雪希の名前を知り、ついでのその時に本人の顔を見かけていたことは、大学生になった時に再会し、はじめて言葉を交わした時に、話してあった。  しかしその時、楓がウサギを見てなにを思ったのか、ということは、楓本人だけの秘密だ。  そしてその結果、楓がなにをしたのかというのは、家族やごく一部の身の回りの人間しか知らないことだった。  雪希には、話す必要がなかったから言っていなかっただけだ。別に、どうしても言いたくないというほどの大それたことでもない。 「あのウサギ、しばらくスマホの待ち受けにしてたよね。よっぽど好きなのかと思ったんだけど」  しかし、昔からなにを考えているのかよくわからない弟は、さらりとそんなことまで言い出した。 「待ち受け!? なんで画像持ってるの!? あっ、会場で写真撮ったってこと!?」 「…………すみません、勝手に」  勘弁してほしい。  どうせ話すなら、ちゃんと自分の口から話したかった楓は、複雑な面持ちになる。 「いいよ、全然。うわ、でも恥ずかしい……。僕もあの絵、何年も見てないのに、まさか楓くんのスマホに画像が残ってるなんて……」 「そういえばあの絵っていま、どこにあるんですか? 雪希さんの実家に飾ってあるとか?」 「いやいや、まさか。あんなでかいキャンバスをうちに持って帰ったら、お母さんに怒られちゃうよ。えーと……確か、高校の校長室の前に飾ってあったはずだけど、何年も前のことだからなぁ。もうはずされて、処分されてるかも」 「えっ!? それ、今すぐ確かめてください。処分なんてとんでもない。まだちゃんと残ってるなら、オレ、金出して買い取りますよ」 「なに言ってるの!? 楓くん」  珍しく焦った様子を見せる楓に、雪希は困惑している。 「十万ぐらいあればいいですかね?」 「待って、落ち着いて。そんな価値、絶対ないって」 「足りないですか? すみません、美術品の相場にはあまり詳しくなくて……」 「と、とりあえず、今日は土曜日だから……月曜日になったら、学校に問い合わせてみるね」  母校にわざわざ連絡するなど絶対に嫌がりそうな雪希だが、楓の勢いに押されて、そう返事するしかなくなっている。  そこで楓も、多少の冷静さを取り戻し、前のめり気味だった体勢を戻した。 「そのウサギの絵の写真って、今も持ってるんですか?」  黙って成り行きを眺めていた太一が、唐突に口を開いた。 「あるよ」  当時とは別の機種のスマホを現在は使っているが、バックアップは取ってあるので、データはほとんど、今の機種でも確認できるはずだ。  お気に入りフォルダを開けば、すぐに見つかった。 「かわいい」  全体像を一目見た太一が、素朴な感想をこぼした。 「こっちも見て」  目の部分がアップになった写真と、ふわふわの毛の部分がアップになった写真も見せる。 「写真だとわかりづらいけど、下地が盛り上がってて、すごい立体感があって、瞳の中も……」  作者でもないのに解説を始めた楓を、雪希は最初、呆然と見つめていたが、そのうち「わ―――っ!」と叫んで頭を抱えだした。 「やめて! 恥ずかしい! それ、高校の時の作品だから! 遠目に見るとそれなりに綺麗っぽいけど、近くで見ると雑な部分もたくさんあるから、お願いだからアップにしないで!」 「そういうところも、味があっていいじゃないですか」  にこにこしながら楓は答えた。 「ていうか、ほんとになんで今さら!? それ、僕にとってはある意味、黒歴史だからね!?」 「なんでですか? この作品、審査員特別賞もらってましたよね? 自慢の過去作品じゃないですか」 「そうなんだけど、その、下地材を大量に盛ることになった経緯が黒歴史っていうか……。評価されたのは嬉しいけど、下地作りはじめた最初の方はめちゃくちゃむしゃくしゃしてたから、思い出すと、一緒に嫌な思い出も蘇ってくるんだよ」 「そう……なんですね。すみません」  つい、調子に乗ってらしくもないことをしてしまったことを楓は自覚し、テンションを落とした。  むしゃくしゃしてやった、という話を楓は以前から聞いて知っている。  しかし、その詳細についてはいまだに教えてもらっていない。  知らないくせに無神経に踏み込んでしまったことを、申し訳なく思った。 「嫌な思い出って?」  大吾が真顔で雪希に問いかけた。 「…………」  この弟は、昔からこういうところがある。  悪意はないのに、淡々と、人が聞かれたくないところを聞いてくる。  そして内容を知っても「ふぅん」とそっけない返事をするだけ。  正直、なにを考えているのかわからない。  嫌なやつではないのは確かだが、愛想がないのも事実で、掴みどころがない。  そういうところが苦手で、楓は昔から、この弟との距離感を測りかねていた。 「えーとね、全然、たいしたことじゃないんだけど……」  視線をさまよわせながらも、雪希が口を開いた。 「雪希さん、すみません。言いたくなかったら言わなくてもいいですよ」 「ありがとう、楓くん。でもほんとに、わざわざ隠す方がダサいような内容だから……正直に話すよ。えっと、一言でまとめると、受験のことで心が折れて……それだけ」 「受験?」 「美大に進学したくて、受験対策のために予備校行ったんだけど……僕には美大は無理だなぁって現実を突きつけられて、勝手に一人で打ちのめされて、落ち込んでたっていうか……。あ、誰かになにか嫌なことされたとかじゃないから、心配しないで。……ま、嫌なことはいろいろ言われたけど……」  だんだん声が小さくなってくる。  そういえば、楓が大学に入り、あの星宮雪希が偶然にも同じ大学に通っていることに気づいた時、『なぜ美大ではなくここの文学部に?』と疑問に思ったのを思い出した。 「こいつ、美大志望なんだよ。それで、楓の同居人がプロの漫画家だっていうから参考までに話を聞きたいってことで連れてきたんだけど……やめといた方がよかった?」  隣の太一を親指で示しながら、相変わらず無神経に、大吾が口を挟んできた。  太一は申し訳なさそうな顔で頷いている。  意外にも、雪希は落ち着いた様子で、改めて太一の顔を見た。 「二人とも、高校二年生なんだっけ? じゃあ、一年半後には受験って感じかぁ」 「……よかったら、オレの絵、見てもらえますか?」  おずおずと太一が言い出した。 「え? 見せてくれるの?」  すぐさま、雪希がわくわくした様子で返事をする。  リュックの中からクロッキー帳を取り出して、太一は雪希に差し出した。  表紙をめくった雪希は、一ページ目から腰を抜かしていた。 「えっ、ちょ、ま……っ! なにこれ! うま! プロ!?」  楓も横から覗き込む。  かなり細かいところまで描き込まれた、人型ロボットの絵だった。確かに、相当上手い。 「昔から、ロボットとかメカとかの無機物を描くのが好きで……でも、人間を描くのがどうしても苦手で……そのあたりを相談できればと思いまして……すみません。急に押しかけてきて」  大吾とは違い、この友人はしっかりと礼儀をわきまえているようだった。  どう見ても、同じ学校に通っていること以外は接点がなさそうな二人だが、いったいどうやって仲良くなったんだろう。謎すぎる。 「ちなみにこのロボット、見たことないけど、オリジナル!?」 「あ、はい……好きなロボットを参考に、自分でアレンジしてみました」 「うわー! ジーンソードみたいでカッコいいねー!」 「そ、そうです。その、ジーンソードが好きで……」 「ほんと? 僕も全話見たよ! サブヒロインの、アイリスって子が好きだったんだよねー」  さすが、あらゆるジャンルの作品に精通している雪希だ。楓も知らないようなタイトルの作品もよく知っている。  ちなみに、ジーンソードについての知識は大吾にもないらしく、専門用語を交えて感想を言い合う二人を、無感動に眺めていた。

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