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《第4章》オタクはそれを沼と呼ぶ⑦

「……どうもお騒がせしました。待たせてごめんね」  リビングに戻ると、雪希は高校生二人にぺこりと頭を下げた。  スマホで一緒に動画を見ながら待っていたらしい二人はすっかりくつろいだ様子で、特に気にした様子はなかった。 「ちょっと早いけど、そろそろお昼食べに行く? 昼過ぎると混むから……」  時計をちらりと見ながら、楓は言った。  現在の時刻は午前十一時。  このあたりでおすすめの店でお昼をすませて、四人で遊び歩きながら花火の時間を待つ、という計画になっていた。  太一は昔、家族とこのあたりの遊びにきたことがあるようだが、大吾ははじめてのはずだし、雪希はつい先日まで修羅場期間中でずっと家にこもりっきりだったので、いい機会だから四人で遊ぼうと提案したのは楓だ。 「あ、ごめん、言い忘れてた。海鮮丼のあの店でよかったんだよね? サイト見たら、ネット予約できるようになってたから、十二時に四人で予約入れといたよ」 「ほんとですか? ありがとうございます」  予約戦争に慣れているオタクゆえか、雪希はけっこう、予約系の時に頼りになることがある。 「じゃあもう少しゆっくりしてから行きましょう。雪希さんもジュース飲んでください。ミルクティーでいいですか?」 「うん……ありがと」 「お二人は、付き合ってるんですか?」  唐突に言い出したのは太一だった。  雪希がコップに口をつける前でよかった。でなければ、むせているところだった。  あからさまにギクリとした様子の雪希は、一気に青ざめた顔で太一を振り返る。 「まままままさか! そんなぁ!」 「そう見える?」  一方の楓はにこやかに問い返した。 「見える」  答えたのは、太一ではなく大吾の方だった。 「……そう。オレの恋人。可愛いでしょ?」  雪希の肩を抱きながら自慢げに言い放った楓に、大吾はやや驚いた様子だったが、迷いなく答える。 「うん、かわいい」  あっさりと肯定された。  相変わらずなにを考えているのかよくわからない弟だが、この時ばかりは、頭を撫でて褒めてやりたくなった。  雪希の方を見れば、もはや誰とも目線を合わせられないほど動揺した様子で、真っ赤になっている。  ほらやっぱり可愛い。  楓にとっては、自慢の恋人だった。 「わー、なんかいいですねー。憧れます」  太一は無邪気に言い出した。 「……ど、どう見ても不釣り合いじゃない!?」  さすがにその言葉は無視できなかったのか、雪希が震える声を絞り出した。  太一はきょとんとしている。 「けっこうお似合いだと思いますが」  お世辞という雰囲気ではない。いい子だ。 「……どうしよう、楓くん。恥ずかしい」  とうとう顔も見せられないぐらい羞恥の限界に達した雪希が、すがりついてきた。 「お似合いですって。嬉しいですね」  胸元に顔を押しつけてきた雪希の頭をゆるく抱き寄せながら、ついつい追い打ちをかけてしまう。  ひいぃ、という小さな悲鳴が胸元であがった。 「……お母さんに言ってもいいやつ?」  静かに大吾が問いかけてくる。 「オレが自分で話すから、それまでは黙っといて」 「わかった」  ずいぶん聞き分けのいい返事だ。弟のこういうところは、案外嫌いではない。 「あ、そういえばお父さんが、『綾瀬先生の新刊よかったです。続きも楽しみにしてます』って伝えといてくれって言ってたんだけど」 「待って! おおおおとうさん、まさか僕の漫画読んでる!?」  大吾の言葉に、勢いよく雪希が顔を上げた。 「うん。楓が置いていった漫画の続きが気になって、自分で新刊買ってきたって」 「どういうこと!?」  信じられない、という目が、次は楓に向けられる。 「すみません。うちの父親、建築関係の会社に勤めてるもんで、趣味も兼ねていろんな建築物の資料とか写真をけっこう持ってて、作画資料で貸してもらえないかって頼んだ時に、『どういう絵を描いてるんだ』って聞かれたもので……ちょうどその時、出たばっかりだった雪希さんのコミックスの三巻が鞄に入っていたので、それを……渡しました」 「そ、そっか……お父さんだって、楓くんが描いてる絵が気になるよね……」 「亜梨子(ありす)が気になったみたいなんで、後日、一巻と二巻も持っていきました」 「…………」  なお、亜梨子とは、雪希が連載している漫画の百合カップルの片割れだ。 「うちの父親、亜梨子と千鶴(ちづる)のマグカップで毎朝コーヒー飲んでます」  去年発売されたグッズのマグカップだ。 予備分を多めにもらっちゃったから適当に持っていっていいよ、とまだ一緒に暮らす前に雪希が渡してくれたものである。 「な、なんで勝手に家族に布教してんのぉ!?」  悲鳴じみた声があがった。 「綾瀬先生のサインはもらえないのか、と聞かれたので、今度本人を連れていくから直接サインをもらってくれ、答えときました」 「じ、実家に連れて行く気満々だったの、そういうこと!?」 「すみません……ご馳走用意してもらうように言っておくので、ちょっとだけうちの父親にファンサしてもらってもいいですか? 綾瀬先生が実は男だってことは、絶対に口外しないよう念押ししてありますので」 「もう……なにがなんだかわかんないよ……」  まだ昼前だというのに、ここ一時間ぐらいの間でいろいろありすぎたのだろう。雪希はすでにぐったりしてしまっている。 「サインって、オレももらったりしてもいいんですか?」  そわそわした様子で太一が口を挟んできた。 「……いいけど、僕にも太一くんのサインちょーだい」 「えっ!? オレ、サインなんてないし……普通の高校生ですけど!」 「十年後にはスーパーアニメーターになってるかもしんないでしょ? そんで、二十年後にもしアニメ監督とかになってたりしたら『キャラデザの仕事ください!』って頼み込みに行く予定だから、一応連絡先教えといてくれる?」  リップサービス、あるいは冗談にしては、雪希の目はマジだった。  いや、おそらく雪希は本気だろう。そういう人だ。  わりと大きめな太一の瞳に、キラキラとした光が宿った。 「はい!」  おそらく、普段は出さないような大声で、太一は返事した。  未来ある少年の心に火が灯ったのが、傍から見てもわかった。  星宮雪希という人は、好きなものに対してはどこまでも真剣で、SNSではたまに容赦なく辛辣な言葉を吐くこともあるけど、同時にその何倍も、作品に愛情をそそぐ人だ。  彼が期待をかけているのであれば、太一も将来大成するかもしれない見込みがあるのだろう。 『そちら側』に行けなかったことは、少し悔しくもあるけど、今、雪希が自分の腕を必要としてくれているのもまた事実であり、他の人には真似できない特別なポジションを雪希の隣に用意してもらっているのも間違いない。  オレはこれでいい、と今なら純粋に胸を張ることができるから、あたたかく見守ることにした。

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