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《第4章》オタクはそれを沼と呼ぶ⑩
力仕事とは無縁そうな、男にしては華奢な手首に嵌まった、青い石が連なるブレスレット。
その石と石の間には、ラインストーンがついた銀の金属パーツが挟まれており、時折、夏の午後の日差しを弾いて、キラリと輝いている。
推しのグッズのアクセサリーは多少高くても買うくせに、いつもだいたい、一切身につけずにしまいこんでいる雪希が装飾品の類を身につけることは珍しい。
本人は『僕に似合うかなぁ?』としきりに気にしていたが、夏によく合う爽やかな色の石は違和感なく馴染んでいたし、贈った側としては『可愛い』という感想ばかり浮かんでくる。
「あの踏切って、まだ人がすごいんですか? 写真とか撮れますかね?」
「そういえば、僕も電車の中から見たことしかないや。あとで行ってみる?」
いま、雪希は太一と並んで、この近くにあるという漫画の聖地について話をしている。
楓と大吾は、少し距離をあけてその後ろ姿を眺めながら、のんびりと歩いていた。
趣味の話で盛り上がっている先頭二人組に対し、後ろの兄弟二人は、さっきからずっと無言だ。
しかし、秋吉家の兄弟にとってはこれが当たり前なので、別に気まずいというわけではない。
弟に気を遣って話題を探すよりも、前を歩く恋人の姿を黙って眺めている方が楽しいというだけだ。
普段、強い日光に晒されていない肌は、夏の日差しをちょっと浴びただけでも赤くなりやすい。
家を出る前に日焼け止めを塗ってやればよかったな、と不自然に赤みを帯び始めた細い腕を後ろから眺めながら、楓は思った。
「楓って、雪希さんが好きな漫画とかアニメ、全部見てるの?」
唐突に、大吾が前を向いたまま話しかけてきた。
「まさか。あの人、めちゃくちゃいろいろ読んでるし見てるから、全部は追いきれないよ。あ、でもオレの職場の本屋で関連書籍を見かけて、なんとなーくタイトルと絵だけ知ってる、っていうのは多いから、たまに話を振ると喜んでくれるとかはある」
「ふーん」
自分から聞いてきたくせに、あまり関心がなさそうな相槌が返ってきた。
いつもなら楓もここで適当に話を切り上げるところだが、一日であっという間に打ち解けてしまった雪希と太一の後ろ姿を見ているうちに、ふとあることが気になってくる。
「おまえ、漫画とかアニメ、興味あったっけ?」
「いや、全然」
そうだろうな、と弟の返事を聞いて思う。
大吾は小学生の時からバスケをやっていて、見た目の通りのスポーツ少年だ。
バスケ以外のスポーツも好きで、家で読む雑誌といえばだいたいスポーツ雑誌で、テレビもスポーツの試合ばかり見ていた。
漫画を買っているところは一度も見たことがない。
「太一くんとは、学校のクラスが同じこと以外、接点がなさそうに見えるけど、どうやって仲良くなったんだ……?」
美少年、と雪希が評していた通り、太一は顔が整ったタイプだと思う。
服も小物もオシャレだ。見かけからはとても、ロボットを描くのが趣味とは思えない。オタク臭さがなく、普通に遊んでいる今時の高校生に見える。
「バスケ部の練習、よく見にきてて、そのわりには入部希望者ってわけでもなさそうだし、いつもスケッチブックみたいなの持ってるから、『なにしてんの?』って声をかけたら、人物描く練習してる、って言われて、そこから、たまに話すようになった」
「へぇ」
「一年の時はクラスが別で……二年になった時、クラス替えで、太一と仲よかったやつが別のクラスになっちゃったみたいで、他に仲がいいやつが同じクラスにいなかったってことで、なんとなくいつもオレのところに話しかけにくるようになったんだ。そこから、休みの日とかもたまに遊ぶようになって……」
青春だ。
少し、羨ましく思う。
自分は高校生の時、雪希の姿を遠目で見ただけで、話しかけることすらできなかった。
作品を見て、どんな人が描いたのか気になった。
次に名前を見て、可愛い名前だなと思っていたら男だと教えられて、顔を見てみたくなった。
顔を見た印象は、作品の印象とはだいぶ違っていた。
おどおどして、人と目線を合わせようとしない。繊細で、生きづらそうな雰囲気の人だと思った。
絵を描いている時はどんな顔をするのかと気になった。
鎧のように纏っている臆病さの下になにを隠しているのか、知りたくなった。
思いがけない再会を果たしたのは二年後のことだった。
入学直後の大学構内で見かけた時は驚いた。てっきり、美大に進学しているものかと思ったから、まさか一般大学の文学部にいるとは思わなかったのだ。
食堂でたまたま鉢合わせた時に、はじめて声をかけた。
でもその時の雪希は、自分が声をかけられているとは気づかなかったらしく、スルーされた。
当時の雪希はいつも俯いてばかりいて、講義が終わるとさっさと帰ってしまうことがほとんどみたいだったから、なんとなくタイミングを逃しているうちに、一年が経過していた。
高校の時の記憶が次第にぼやけ、色褪せていくのを感じた。
このまま忘れてしまおうか、と思うようになってきた頃に、バイト先の本屋で、一冊の本を見つめたまま涙を流している雪希を見かけた。
色褪せかけていた興味が再び鮮やかに彩られるのは、一瞬だった。
「太一が……楽しそうにアニメの話してるのを聞くのは好きなんだけど、オレは部活があってあんまりアニメ見る時間作れないから、話についていけない。やっぱり同じ趣味じゃないと、これ以上仲良くなれないのかな……?」
前の二人に聞こえないよう、小声でぼそぼそ呟く大吾の声が聞こえてきて、楓の意識が目の前の現実に引き戻される。
「地元開催でもない花火大会に、泊りがけで一緒に行こうって話になる時点で、じゅうぶん仲がいいと思うけど?」
空気が読めなくて、いつも余計なことばかり無神経に言い出す弟も、ちゃんと年相応の青春を送っているのかと思ったら、ほんの少しだけ、可愛く思えてきた。
「高校生なら、それぐらい普通なんじゃないのか……?」
おそらくは勝手なイメージからくる思い込みだろう。
こいつなりに『普通』というやつに馴染もうとしている様子が窺えて、楓は口角を上げる。
「グループならともかく、二人きりでそういうことをするのは、よっぽど仲がいい友達じゃないと嫌かな。……オレは別に、おまえが無理にアニメを見なくてもいいと思うよ。ただ、楽しそうに話している相手を見てて自分も楽しい、って思えたなら、それを相手に伝えたらいいと思う」
すべてを理解することはできなくても、一緒にいて、一番の理解者になることはできる。
雪希にとっての自分のように。
「ふぅん……」
わかったのかわかっていないのか、曖昧な反応が返ってきた。
その時、前を歩いていた二人が、チラチラこちらを振り返りながらなにか言い合っているのが見えた。
「なんですか?」
気になって、声をかける。
「いやぁ、全然似てない兄弟だけど、意外と仲いいじゃん、と思って」
こそこそと話していたから、そんなふうに見えたんだろうか。
悪い気分ではないけど、嬉しいかと言われると微妙なところだ。
楓は歩調を速めて雪希の隣に並び、ブレスレットがキラキラ光る腕に自分の腕を絡めた。
「そういえば雪希さんは、一人っ子でしたよね」
「そうそう。だから、フィクションじゃない実際の兄弟がどういうものか、いまいちピンとこなくて、ちょっと憧れるよ」
「お兄ちゃんか弟が欲しかったとか、考えたことあるんですか?」
「そりゃあね。なんでもしてくれて勉強も教えてくれる、優しいお兄ちゃんが欲しかったなぁ」
「……オレは年下ですが、なんでもしてあげますし、勉強も教えられますので、兄代わりだってできますよ」
「さっき、かわいい年下の男の子だから、もっと可愛がってくれって言ってなかったっけ?」
「それはそれ、これはこれです」
くだらない対抗意識を燃やしている自覚はあったものの、キッパリと言い返す。
「えー……じゃあ大吾くん、きみのお兄ちゃん、もらっちゃってもいい?」
「あ、どうぞ。いらないんで」
躊躇なく差し出された。
「楓くんもらっちゃった。嬉しいな」
この野郎、と弟を憎らしく思う気持ちは、雪希の笑顔を見たら、すべてどうでもよくなった。
「ニヤけるな。気持ち悪い」
すかさず弟にツッコまれる。
「大吾くん、違うよ。この場合はね、ニヤけてるっていうより『デレてる』って言うんだよ」
雪希が大真面目な顔で訂正する。
「……雪希さん……勘弁してください」
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